千回目のあなたへ 〜十七の夏、迎えにきたのは神様でした〜

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 北の祠へ向かったのは、その日の午後だった。

 水継さんの力を借りられることになったあと、柏とともにそのまま川辺を離れ、細い山道を登っていく。

 木々の隙間から差し込む光はやわらかく、足元には小さな白い花が点々と咲いていた。
 道の端には、誰かが踏み固めた跡がうっすらと残っている。

 暁乃さんも水継さんも、まだはっきりとした社を持っているわけではなかった。
 けれど、北の祠は少し違った。

 木立の奥にある小さな祠は、ほかの場所よりも手が入っているように見えた。

 大きな社ではない。
 けれど、苔むした石段の脇には白い花が供えられ、古い木の扉の前には、小さな灯明皿(とうみょうざら)がきちんと置かれている。

 まだ神社と呼べるほど立派ではない。

 それでも、ここはもう誰かが足を運び、手を合わせる場所として整えられていた。

 おそらく里の人たちが、祈る場所として大切に守っているのだろう。

 未来の月代神社は、学びや知恵、進む道に迷った人の祈りを受け止める場所だった。
 受験の合格祈願に訪れる人も多く、境内には絵馬がいくつも掛けられていた。

 今はまだ小さな祠でしかない。

 けれど、この澄んだ空気の中には、何かを学び、選び、決めようとする人たちの祈りが、少しずつ積もっているように感じた。

 その祠の前に、白い少年が座っていた。

 水色の髪は顎のあたりで切りそろえられ、眠たげな目は、どこか遠くを見ているようだった。
 水継さん同様に、未来で会った宵白さんよりも少し幼い。

 けれど、こちらを見る静かな気配は、確かに同じだった。

 「僕になんの用?」

 少年は、祠の柱にもたれたまま尋ねた。

 「あの、宵白さん……ですよね」
 「そう呼ぶ人もいる」

 眠たげな目が、ゆっくりとこちらを見る。
 わたしは、ここへ来た理由をできるだけ簡単に伝えた。

 黒鉄を封じるために、四方の力を借りたいこと。
 南の暁乃さんと、西の水継さんが、もう力を貸してくれること。
 そして、北の力がどうしても必要なこと。

 話しているあいだ、宵白さんは口を挟まなかった。ただ、ときどき瞬きをしながら、静かに聞いている。

 「……だから、お願いに来ました」

 言い終えると、宵白さんは少しだけ首を傾げた。

 「いいよ」
 「……え?」
 「力を貸せばいいんでしょう。いいよ」

 あまりにもあっさりした返事に、言葉が止まった。

 「本当に、いいんですか?」
 「うん」
 「理由とか、条件とかは……」

 宵白さんは、小さくあくびをした。

 「じゃあ、二つだけ」
 「……はい」

 「ひとつ。全部終わったら、しばらく起こさないで」
 「分かりました」

 それだけなら、宵白さんらしい願いだ。
 けれど、続く沈黙が少しだけ違っていた。

 眠たげな目の奥で、白銀の光がかすかに揺れている。
 次の願いは、軽いものではないのかもしれない。

 「ふたつ」

 眠たげな目が、すっとわたしを見た。

 「君がいちばん帰りたい場所を、僕に見せて」
 「……どういうことですか」  
 「ここに来る人はみんな、進む道に迷ってる。でも君はそうじゃなさそうだから。帰る道に迷ってない人の頭の中を、一度見てみたかったんだ」

 断る理由は、なかった。  
 宵白さんの指先が、わたしの額にそっと触れる。

 浮かんだのは、縁側で、お寿司を食べた後に緋桜さんと並んで月を見た夜。
 池に映った月が、風で揺れていた、何でもない時間だった。

 「……なるほどね」

 宵白さんは指を離し、ほんの少しだけ笑った。

 「いいよ。力を貸してあげる」

 拍子抜けするほど静かな承諾だった。

 「彼を、失いたくないんでしょう?」

 白藤の下で倒れていた緋桜さんの姿が、頭に浮かんだ。

 冷たくなっていく手。逃げろ、と告げた声。

 宵白さんには、本当に見えているのかもしれない。
 わたしが言葉にしていないものまで。

 「……はい」

 ようやく、それだけを返した。

 「そう」

 宵白さんは札を手にしたまま、また祠の柱にもたれた。

 「じゃ、おやすみ」
 「えっ」

 そう言うなり、宵白さんは目を閉じてしまう。
 しばらく待ってみたけれど、宵白さんはすーすーと寝息を立てていて、もう動く気配がなかった。

 「……本当に、いいんですよね?」

 足元では、柏が前足で顔を撫でるように毛づくろいをしている。

 「本人がいいって言ったんだから、いいんじゃない?」

 「……」

 たしかに、そうなのかもしれない。

 わたしは小さく息をつき、月代の札が光を宿したことを確かめた。

 南の日輪。西の八雲。北の月代。
 これで、未来の四社につながる三つの力がそろった。