千回目のあなたへ 〜十七の夏、迎えにきたのは神様でした〜

 ***

 遠くで、どん、と低い音がした。

 夜空の向こうで、花火が一輪、ゆっくりと開く。
 遅れて届いた音に、通りを歩いていた人たちがいっせいに顔を上げた。

 「花火の時間だね」

 緋桜さんが空を見上げる。

 屋台の灯りの向こう、久遠神社のほうへ人の流れができ始めていた。

 「行ってみる?」
 「でも、すごく混んでいそうですね」
 「それなら、いい場所がある」

 聞き返すより早く、緋桜さんがこちらへ手を伸ばした。

 「失礼するよ」
 「ちょ、ちょっと!」

 ふわりと体が浮いた。

 次の瞬間には、緋桜さんの腕に抱き上げられている。
 驚いてしがみつくと、提灯の赤、屋台の明かり、行き交う人たちの浴衣の色が、あっという間に下へ流れていった。

 風が頬を撫でる。

 緋桜さんは、久遠桜の太い枝の上へ軽やかに降り立った。

 久遠桜は、町の中心に根を張る神木だ。
 大人が何人も並べそうなほど太い枝が、空へ向かって大きく伸びている。

 枝の上は驚くほど安定していた。

 「ここなら、よく見えるんじゃないかな」
 「……すごい」
 「特等席だからね」

 薄紅の光が、緋桜さんの横顔を照らす。

 花火が散るたび、久遠桜の花びらも光を含んで揺れた。
 空には花火、足元には町の灯り、すぐそばには緋桜さんがいる。
 
 袖の内側に入れたまま、手紙は渡せずにいる。

 伝えるなら、今しかない。

 ……そう思ったのに。

 手紙を出そうとした指が、袖の上で止まる。

 好きな人に想いを伝えることが、こんなにも怖いなんて。
 恋が人を、こんなにも臆病にしてしまうなんて。

 知らなかった。

 「朱里?」

 緋桜さんがこちらを見る。

 「い、いえ」

 とっさに何か言わなきゃ、と思った。

 けれど出てきたのは、言いたいこととは全然違う言葉だった。

 「あの……今日、見た夢の中で」
 「うん」
 「私、指輪をしていたんです」

 言ってから、しまったと思った。

 なぜよりによって、その話をしたのだろう。
 でも、一度口にすると止まらなかった。

 「左手の薬指に、細い指輪があって。見覚えはないのに、すごく大切なものみたいに感じて……」

 顔が熱い。
 花火のせいにしたいくらい、頬が熱かった。

 緋桜さんは、しばらく夜空を見上げていた。

 またひとつ、花火が上がる。

 光が散ったあと、緋桜さんは静かにこちらを見た。

 「その相手を、俺は知っているよ」
 「どうして……?」
 「全部、覚えているから」

 花火の音が、少し遅れて夜空に響いた。

 「何を、ですか」

 緋桜さんは、わたしから目を逸らさなかった。

 「君が何度も死んだこと。俺が何度も、君を救えなかったこと」

 まさか。

 「あれは、これから起こる未来じゃない」

 夜空に残った光が、緋桜さんの横顔を薄く照らしていた。

 「俺が救えなかった、過去だ」
 「……!」
 「何度繰り返しても、君は堕神に殺された。そのたびに俺は、君を失った」

 袖の中で、手紙を握る指に力がこもる。

 「待ってください。じゃあ、緋桜さんは……」
 「ああ」

 緋桜さんは、少しだけ寂しそうに笑った。

 「俺は何度も、同じ時間(とき)をやり直している」