***
遠くで、どん、と低い音がした。
夜空の向こうで、花火が一輪、ゆっくりと開く。
遅れて届いた音に、通りを歩いていた人たちがいっせいに顔を上げた。
「花火の時間だね」
緋桜さんが空を見上げる。
屋台の灯りの向こう、久遠神社のほうへ人の流れができ始めていた。
「行ってみる?」
「でも、すごく混んでいそうですね」
「それなら、いい場所がある」
聞き返すより早く、緋桜さんがこちらへ手を伸ばした。
「失礼するよ」
「ちょ、ちょっと!」
ふわりと体が浮いた。
次の瞬間には、緋桜さんの腕に抱き上げられている。
驚いてしがみつくと、提灯の赤、屋台の明かり、行き交う人たちの浴衣の色が、あっという間に下へ流れていった。
風が頬を撫でる。
緋桜さんは、久遠桜の太い枝の上へ軽やかに降り立った。
久遠桜は、町の中心に根を張る神木だ。
大人が何人も並べそうなほど太い枝が、空へ向かって大きく伸びている。
枝の上は驚くほど安定していた。
「ここなら、よく見えるんじゃないかな」
「……すごい」
「特等席だからね」
薄紅の光が、緋桜さんの横顔を照らす。
花火が散るたび、久遠桜の花びらも光を含んで揺れた。
空には花火、足元には町の灯り、すぐそばには緋桜さんがいる。
袖の内側に入れたまま、手紙は渡せずにいる。
伝えるなら、今しかない。
……そう思ったのに。
手紙を出そうとした指が、袖の上で止まる。
好きな人に想いを伝えることが、こんなにも怖いなんて。
恋が人を、こんなにも臆病にしてしまうなんて。
知らなかった。
「朱里?」
緋桜さんがこちらを見る。
「い、いえ」
とっさに何か言わなきゃ、と思った。
けれど出てきたのは、言いたいこととは全然違う言葉だった。
「あの……今日、見た夢の中で」
「うん」
「私、指輪をしていたんです」
言ってから、しまったと思った。
なぜよりによって、その話をしたのだろう。
でも、一度口にすると止まらなかった。
「左手の薬指に、細い指輪があって。見覚えはないのに、すごく大切なものみたいに感じて……」
顔が熱い。
花火のせいにしたいくらい、頬が熱かった。
緋桜さんは、しばらく夜空を見上げていた。
またひとつ、花火が上がる。
光が散ったあと、緋桜さんは静かにこちらを見た。
「その相手を、俺は知っているよ」
「どうして……?」
「全部、覚えているから」
花火の音が、少し遅れて夜空に響いた。
「何を、ですか」
緋桜さんは、わたしから目を逸らさなかった。
「君が何度も死んだこと。俺が何度も、君を救えなかったこと」
まさか。
「あれは、これから起こる未来じゃない」
夜空に残った光が、緋桜さんの横顔を薄く照らしていた。
「俺が救えなかった、過去だ」
「……!」
「何度繰り返しても、君は堕神に殺された。そのたびに俺は、君を失った」
袖の中で、手紙を握る指に力がこもる。
「待ってください。じゃあ、緋桜さんは……」
「ああ」
緋桜さんは、少しだけ寂しそうに笑った。
「俺は何度も、同じ時間をやり直している」
遠くで、どん、と低い音がした。
夜空の向こうで、花火が一輪、ゆっくりと開く。
遅れて届いた音に、通りを歩いていた人たちがいっせいに顔を上げた。
「花火の時間だね」
緋桜さんが空を見上げる。
屋台の灯りの向こう、久遠神社のほうへ人の流れができ始めていた。
「行ってみる?」
「でも、すごく混んでいそうですね」
「それなら、いい場所がある」
聞き返すより早く、緋桜さんがこちらへ手を伸ばした。
「失礼するよ」
「ちょ、ちょっと!」
ふわりと体が浮いた。
次の瞬間には、緋桜さんの腕に抱き上げられている。
驚いてしがみつくと、提灯の赤、屋台の明かり、行き交う人たちの浴衣の色が、あっという間に下へ流れていった。
風が頬を撫でる。
緋桜さんは、久遠桜の太い枝の上へ軽やかに降り立った。
久遠桜は、町の中心に根を張る神木だ。
大人が何人も並べそうなほど太い枝が、空へ向かって大きく伸びている。
枝の上は驚くほど安定していた。
「ここなら、よく見えるんじゃないかな」
「……すごい」
「特等席だからね」
薄紅の光が、緋桜さんの横顔を照らす。
花火が散るたび、久遠桜の花びらも光を含んで揺れた。
空には花火、足元には町の灯り、すぐそばには緋桜さんがいる。
袖の内側に入れたまま、手紙は渡せずにいる。
伝えるなら、今しかない。
……そう思ったのに。
手紙を出そうとした指が、袖の上で止まる。
好きな人に想いを伝えることが、こんなにも怖いなんて。
恋が人を、こんなにも臆病にしてしまうなんて。
知らなかった。
「朱里?」
緋桜さんがこちらを見る。
「い、いえ」
とっさに何か言わなきゃ、と思った。
けれど出てきたのは、言いたいこととは全然違う言葉だった。
「あの……今日、見た夢の中で」
「うん」
「私、指輪をしていたんです」
言ってから、しまったと思った。
なぜよりによって、その話をしたのだろう。
でも、一度口にすると止まらなかった。
「左手の薬指に、細い指輪があって。見覚えはないのに、すごく大切なものみたいに感じて……」
顔が熱い。
花火のせいにしたいくらい、頬が熱かった。
緋桜さんは、しばらく夜空を見上げていた。
またひとつ、花火が上がる。
光が散ったあと、緋桜さんは静かにこちらを見た。
「その相手を、俺は知っているよ」
「どうして……?」
「全部、覚えているから」
花火の音が、少し遅れて夜空に響いた。
「何を、ですか」
緋桜さんは、わたしから目を逸らさなかった。
「君が何度も死んだこと。俺が何度も、君を救えなかったこと」
まさか。
「あれは、これから起こる未来じゃない」
夜空に残った光が、緋桜さんの横顔を薄く照らしていた。
「俺が救えなかった、過去だ」
「……!」
「何度繰り返しても、君は堕神に殺された。そのたびに俺は、君を失った」
袖の中で、手紙を握る指に力がこもる。
「待ってください。じゃあ、緋桜さんは……」
「ああ」
緋桜さんは、少しだけ寂しそうに笑った。
「俺は何度も、同じ時間をやり直している」


