***
こんなはずじゃなかった。
雛乃は、祭りの通りから外れた暗い路地にひとりで立っていた。
提灯の灯りは遠く、笑い声もざわめきも、薄い膜の向こうにあるみたいに滲んでいる。
本当なら今ごろ、京介くんと腕を組んで一緒に歩いているはずだった。
屋台を見て、適当に笑って、かき氷なんかを食べさせあって。
それなのに。
「ごめん。もう、雛乃とは一緒にいられない」
あんなにまっすぐな顔で。まるで、自分だけ正しい場所へ戻るみたいに振られるなんて。
「なんでよ……」
爪が、手のひらに食い込む。
わたしを浄化の間へ入れたのは、京介くんだ。
それなのに、どうしてわたしだけが悪者みたいになっているのだろう。
「朱里さえいなければ」
胸の奥に、黒いものが滲む。
ずっとこの町にいたのは、わたしのほうだ。
久遠神社のことも、奉納祭のことも。
町の人たちのことも、朱里よりは知っている。
それなのに、あいつは突然戻ってきた。
白い藤まで咲かせて、みんなに拍手されて。
京介くんまで。
「あたしのほうが、ずっと……」
「なら、取り返せばいい」
背後から声がした。
振り返ると路地の奥に、フードをかぶった男が立っていた。
祭りの灯りは届かず、顔は見えない。ただ、口元だけが薄く笑っている。
「誰……?」
男が、黒い手を差し出した。
「この手を取れ。そうすれば、お前の願いを叶えてやる」
祭りの音が遠ざかる。
怪しい、と思わなかったわけじゃない。
でも、差し出された黒い手から不思議と目が離せなかった。
京介くんも。
巫女の座も。
朱里に奪われたものを、全部。
ーーめちゃくちゃにしてやりたい。
そう思った瞬間、胸の奥で黒いものが甘く疼いた。
そのためなら、なんだってやる。
指先が触れた瞬間、フードの影が大きく口を開いた。
「え……?」
ばくん、と。
雛乃の声も、怒りも、嫉妬も、朱里を憎む気持ちも、黒い闇に呑み込まれた。
次の瞬間、 雛乃の唇で男の声が笑った。
フードの男はもういない。
雛乃の顔をした何かが、ゆっくりと自分の手を見下ろす。
「……だいぶ薄いが、巫女の血だ。望んでいたものとは違うが、食前酒には悪くない」
黒く濁った瞳が、祭りの灯りの向こうを見据える。
「次は、お前だ。桜の巫女」
白く染まった藤が、遠くで夜風に揺れていた。
こんなはずじゃなかった。
雛乃は、祭りの通りから外れた暗い路地にひとりで立っていた。
提灯の灯りは遠く、笑い声もざわめきも、薄い膜の向こうにあるみたいに滲んでいる。
本当なら今ごろ、京介くんと腕を組んで一緒に歩いているはずだった。
屋台を見て、適当に笑って、かき氷なんかを食べさせあって。
それなのに。
「ごめん。もう、雛乃とは一緒にいられない」
あんなにまっすぐな顔で。まるで、自分だけ正しい場所へ戻るみたいに振られるなんて。
「なんでよ……」
爪が、手のひらに食い込む。
わたしを浄化の間へ入れたのは、京介くんだ。
それなのに、どうしてわたしだけが悪者みたいになっているのだろう。
「朱里さえいなければ」
胸の奥に、黒いものが滲む。
ずっとこの町にいたのは、わたしのほうだ。
久遠神社のことも、奉納祭のことも。
町の人たちのことも、朱里よりは知っている。
それなのに、あいつは突然戻ってきた。
白い藤まで咲かせて、みんなに拍手されて。
京介くんまで。
「あたしのほうが、ずっと……」
「なら、取り返せばいい」
背後から声がした。
振り返ると路地の奥に、フードをかぶった男が立っていた。
祭りの灯りは届かず、顔は見えない。ただ、口元だけが薄く笑っている。
「誰……?」
男が、黒い手を差し出した。
「この手を取れ。そうすれば、お前の願いを叶えてやる」
祭りの音が遠ざかる。
怪しい、と思わなかったわけじゃない。
でも、差し出された黒い手から不思議と目が離せなかった。
京介くんも。
巫女の座も。
朱里に奪われたものを、全部。
ーーめちゃくちゃにしてやりたい。
そう思った瞬間、胸の奥で黒いものが甘く疼いた。
そのためなら、なんだってやる。
指先が触れた瞬間、フードの影が大きく口を開いた。
「え……?」
ばくん、と。
雛乃の声も、怒りも、嫉妬も、朱里を憎む気持ちも、黒い闇に呑み込まれた。
次の瞬間、 雛乃の唇で男の声が笑った。
フードの男はもういない。
雛乃の顔をした何かが、ゆっくりと自分の手を見下ろす。
「……だいぶ薄いが、巫女の血だ。望んでいたものとは違うが、食前酒には悪くない」
黒く濁った瞳が、祭りの灯りの向こうを見据える。
「次は、お前だ。桜の巫女」
白く染まった藤が、遠くで夜風に揺れていた。


