***
「なっ……なんだこれは!」
少しして、部屋の中から水継さんの声が響いた。
思わず廊下で肩が跳ねる。
式神の人たちに運んでもらった器は、低い卓の上にずらりと並んでいた。
神様に出すものが分からなくて、かなり調べた。お米、お酒、塩、水、野菜、果物、お菓子。
神様へのお供えには、そういうものが多いらしい。
いきなり本格的な神饌は用意できない。
だから、調べたものを参考にしながら、わたしに作れるものを少しずつ膳に整えることにした。
家でもよく作っていた出汁巻き卵に、桜えびと山菜を混ぜたおにぎり。
薄く塩を振ったきゅうりと大根の浅漬け、小さく切った季節の果物。
白玉には、桜のシロップを寒天でゆるく固めたものを添えた。
それから、豆腐と三つ葉の味噌汁。
特別な料理ではない。
けれど、白い小皿や浅い椀に盛りつけると、思っていたよりもきちんと見えた。
「うまい! うまいぞ!」
水継さんの声が、さらに大きくなる。
無骨で近寄りがたい神様だと思っていた水継さんは、真剣な顔で箸を進めていた。
しかも、かなりの勢いで。
豪快に頷きながら食べる水継さんの横で、宵白さんは表情ひとつ変えず、ぱくぱくと次の皿へ箸を伸ばしている。
対照的なのに、どちらも遠慮がない。
「我らは緋桜殿のように、いくらでも人の形を保てるわけではない。ここへ来るだけでも、それなりに腹が減るからな」
口に合わなかったらどうしようと思っていたから、ひとまず胸を撫で下ろす。
ただひとり、緋桜さんだけは黙っていた。
低い卓の向こうで、器を前にしたまま動かない。表情も、少しだけ読みにくい。
「緋桜殿は食わんのか?」
水継さんが不思議そうに尋ねる。
「俺は――」
むぐ。
宵白さんが、何のためらいもなく、緋桜さんの口におにぎりを押し込んだ。
「……宵白」
「おいしいよ?」
宵白さんは平然としている。
緋桜さんは何か言いたげにしたけれど、口に入っているので何も言えない。
もぐ、もぐ。
静かに咀嚼して、沈黙。
怒っているわけではなさそうだ。
でも、いつものようにやわらかく笑っているわけでもない。
もしかして、口に合わなかったのだろうか。
そう思ったところで、緋桜さんが静かに立ち上がった。
「朱里」
「は、はい」
「少し、いい?」
呼ばれたのは、廊下だった。
部屋の中では、水継さんがまだ「この甘い蜜はなんだ」と柏に尋ねている。
宵白さんは何事もなかったように、次の皿へ箸を伸ばしていた。
わたしは緋桜さんのあとを追って、廊下へ出る。
障子が静かに閉まった。
「あの……すみません。やっぱり、余計なことでしたか?」
「そんなことないよ」
「でも、緋桜さん、ずっと黙っていたので……」
「……いや」
緋桜さんは、少しだけ視線を外した。
「美味しいに決まっている」
そこで言葉を切った緋桜さんの頬が、ほんの少し赤くなっていることに気づく。
「ただ、少しだけ」
めずらしく、言いづらそうにしている。
「朱里の手料理を、あの二人に先に食べさせるのが惜しかった、というか……」
拗ねたような声だった。
いつも穏やかで、何でも見透かしているみたいな緋桜さんが、そんな顔をするなんて思わなかった。
胸の奥が、どきんと跳ねる。
「ま、また作ります」
「いいの?」
思ったより早く返事が返ってきて、今度はわたしのほうが戸惑ってしまう。
「もちろんです。緋桜さんが望むなら」
少しだけ息を吸う。
「好きなものを、好きなだけ」
口にしてから、それがいつか緋桜さんがわたしに言ってくれた言葉だと気づいた。
あのとき、わたしはその言葉に救われた。
今度は、その言葉を緋桜さんに返したかったのかもしれない。
緋桜さんは、驚いたように目を見開いてから、ふっと表情をやわらげた。
「それは、楽しみだね」
「なっ……なんだこれは!」
少しして、部屋の中から水継さんの声が響いた。
思わず廊下で肩が跳ねる。
式神の人たちに運んでもらった器は、低い卓の上にずらりと並んでいた。
神様に出すものが分からなくて、かなり調べた。お米、お酒、塩、水、野菜、果物、お菓子。
神様へのお供えには、そういうものが多いらしい。
いきなり本格的な神饌は用意できない。
だから、調べたものを参考にしながら、わたしに作れるものを少しずつ膳に整えることにした。
家でもよく作っていた出汁巻き卵に、桜えびと山菜を混ぜたおにぎり。
薄く塩を振ったきゅうりと大根の浅漬け、小さく切った季節の果物。
白玉には、桜のシロップを寒天でゆるく固めたものを添えた。
それから、豆腐と三つ葉の味噌汁。
特別な料理ではない。
けれど、白い小皿や浅い椀に盛りつけると、思っていたよりもきちんと見えた。
「うまい! うまいぞ!」
水継さんの声が、さらに大きくなる。
無骨で近寄りがたい神様だと思っていた水継さんは、真剣な顔で箸を進めていた。
しかも、かなりの勢いで。
豪快に頷きながら食べる水継さんの横で、宵白さんは表情ひとつ変えず、ぱくぱくと次の皿へ箸を伸ばしている。
対照的なのに、どちらも遠慮がない。
「我らは緋桜殿のように、いくらでも人の形を保てるわけではない。ここへ来るだけでも、それなりに腹が減るからな」
口に合わなかったらどうしようと思っていたから、ひとまず胸を撫で下ろす。
ただひとり、緋桜さんだけは黙っていた。
低い卓の向こうで、器を前にしたまま動かない。表情も、少しだけ読みにくい。
「緋桜殿は食わんのか?」
水継さんが不思議そうに尋ねる。
「俺は――」
むぐ。
宵白さんが、何のためらいもなく、緋桜さんの口におにぎりを押し込んだ。
「……宵白」
「おいしいよ?」
宵白さんは平然としている。
緋桜さんは何か言いたげにしたけれど、口に入っているので何も言えない。
もぐ、もぐ。
静かに咀嚼して、沈黙。
怒っているわけではなさそうだ。
でも、いつものようにやわらかく笑っているわけでもない。
もしかして、口に合わなかったのだろうか。
そう思ったところで、緋桜さんが静かに立ち上がった。
「朱里」
「は、はい」
「少し、いい?」
呼ばれたのは、廊下だった。
部屋の中では、水継さんがまだ「この甘い蜜はなんだ」と柏に尋ねている。
宵白さんは何事もなかったように、次の皿へ箸を伸ばしていた。
わたしは緋桜さんのあとを追って、廊下へ出る。
障子が静かに閉まった。
「あの……すみません。やっぱり、余計なことでしたか?」
「そんなことないよ」
「でも、緋桜さん、ずっと黙っていたので……」
「……いや」
緋桜さんは、少しだけ視線を外した。
「美味しいに決まっている」
そこで言葉を切った緋桜さんの頬が、ほんの少し赤くなっていることに気づく。
「ただ、少しだけ」
めずらしく、言いづらそうにしている。
「朱里の手料理を、あの二人に先に食べさせるのが惜しかった、というか……」
拗ねたような声だった。
いつも穏やかで、何でも見透かしているみたいな緋桜さんが、そんな顔をするなんて思わなかった。
胸の奥が、どきんと跳ねる。
「ま、また作ります」
「いいの?」
思ったより早く返事が返ってきて、今度はわたしのほうが戸惑ってしまう。
「もちろんです。緋桜さんが望むなら」
少しだけ息を吸う。
「好きなものを、好きなだけ」
口にしてから、それがいつか緋桜さんがわたしに言ってくれた言葉だと気づいた。
あのとき、わたしはその言葉に救われた。
今度は、その言葉を緋桜さんに返したかったのかもしれない。
緋桜さんは、驚いたように目を見開いてから、ふっと表情をやわらげた。
「それは、楽しみだね」


