千回目のあなたへ 〜十七の夏、迎えにきたのは神様でした〜

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 支度を整えて家を出ると、門の前には、自転車にまたがった京介の姿があった。

 日に焼けた肌に、短く整えた黒髪。
 制服のシャツは少し着崩れていて、肩にかけた鞄が片方だけ下がっている。

 八雲京介(やくもきょうすけ)

 町の八雲神社の跡取りで、幼なじみ。
 と言っても、再会したのはこの町に来てからだ。

 「遅せーぞ。寝坊か?」
 「ちょっとね」
 「ふーん。乗れよ、歩いてたら間に合わねー」

 京介が、ぽんぽんと自転車の荷台を叩く。

 「……いいの?」
 「今さらだろ。昔もよく乗せてやってたし」

 昔。その言葉に、胸の奥が小さく揺れた。

 子どものころ、夏休みにこの町へ帰ってくるたび、京介はわたしの手を引いて町じゅうを連れ回してくれた。

 恋と呼ぶには少し足りない。
 けれど他人と呼ぶには近すぎる。

 そんな距離に、いまも少し戸惑ってしまう。

 荷台にまたがると、京介が自転車を漕ぎ出した。
 桜並木の坂を、二人乗りで降りていく。

 「最近さ、おんなじ夢をよく見るんだよね」
 「どんな?」
 「んー、あんまり縁起のよさそうなやつじゃないんだけど」
 「疲れてんじゃねえの。あんま無理すんなよ」

 京介は軽く笑っただけだった。
 わたしも、それ以上は言わなかった。

 心配してくれたのは分かる。
 でも、夢の中の痛みを言葉にするにはあまりにリアルで。
 自分でもうまく整理がついていなかった。

 坂を下りきるころ、ざぁっと風が吹いた。
 町の中央にそびえる巨大な桜が、青い空を覆うように枝を揺らす。

 夏が近いというのに、その木だけは、いまも淡い花を咲かせていた。

 「相変わらず、すごいね」

 思わずつぶやくと、京介がちらりと振り返った。

 「久遠桜のこと?」
 「もうすぐ夏なのに、まだ咲いてるんだなって」
 「こっちじゃ当たり前だけどな。久遠桜が咲いてるあいだは、町じゅうの桜も散らない」
 「本当に神さまみたいだね」
 「みたい、じゃなくて、いるんだよ。緋桜さまが」

 京介は、当たり前みたいに言った。

 「久遠桜に宿る神さま。昔から、この町を守ってるんだよ」
 「緋桜さま……」

 夢の中で聞いた名前と同じ響きに、胸の奥がかすかに揺れた。
 久遠桜を管理する桜小路家には、その神と同じ名を名乗る当主がいるらしい。

 病院も、駅前のスーパーも、唯一のホテルも、ぜんぶ「桜小路」の看板を背負っている。
 神さまを敬うことと桜小路家を立てることは、この町ではほとんど同じ意味だ。

 東京にいたころは、神さまなんて初詣のときにお願いをするくらいのものだった。
 けれど映画館へ行くにも電車を乗り継がなきゃいけないこの町で。
 久遠桜と緋桜さまの話は、誰もが当然のように知っていた。

 そして久遠桜を祀る神社を代々世話してきたのが、千歳家。
 つまり、わたしの家系だった。

 もっとも、 時代が下るにつれ千歳家の役目は薄れ、おばあちゃん曰く「今は祭りの神事を手伝うくらい」らしいけれど。

 「京介くん――!」

 校門の前につくと、雛乃(ひなの)が駆け寄ってきた。
 ふわりと巻いた茶色い髪。丸い目元に、薄桃色のリップ。小柄な体を揺らして走る姿は、まるで小動物みたいだった。

 千歳雛乃(ちとせひなの)

 分家のひとり娘で、わたしの従姉妹だ。

 雛乃がぱっと京介の腕に絡みつくと、まわりの空気がふわっと明るくなる。
 可愛くて、優しくて、ちょっとだけ天然。

 雛乃は、町の誰からも愛される存在だ。

 「あれ? 朱里ちゃんも、一緒に来たんだ?」

 雛乃が、こてんと首をかしげる。
 その大きな瞳には京介が真っ先に飛び込んできたようで、わたしに気づくのは少し遅い。

 「うん。遅れそうだったから、乗せてもらって」
 「そっか。今日ホームルームないんだって。一限体育だし、更衣室まで一緒に行こ!」

 その笑顔が、一瞬だけ薄くなる。
 けれどすぐに、いつもの可愛らしい顔に戻った。

 一応、本来の本家は祖母とわたしの家のはずだけど、父が町を出ていたあいだに、分家の雛乃の家が町の中心に出てきたそうだ。
 いまでは町の人の多くが、雛乃の家を本家だと思っている。

 だから、この町で「千歳さん」と言えば、それは雛乃のこと。
 同じ名字を名乗っていても、わたしはいつも、“じゃないほうの千歳”として見られていた。