千回目のあなたへ 〜十七の夏、迎えにきたのは神様でした〜

 ***

 それからしばらくして、夏休みが始まった。

 初音のこと。堕神のこと。
 考えないようにしても、胸の奥には小さな棘のように残っている。

 奉納祭までは、あと二週間。そんな夏休み初日の昼下がり。

 「七姫(ななみ)でーす! お兄さんが、あかりんの婚約者の……」
 「桜小路緋桜です」

 駅から少し歩いた先にある、最近できたばかりの古民家カフェ。

 黒い梁と白い漆喰の壁。
 窓際には小さな庭が見え、低いテーブルの上には、季節の果物を使ったケーキと湯気の立つ紅茶が並んでいた。

 そこに座っている緋桜さんは、いつもの和服姿ではない。

 白いシャツに、薄いグレーのカーディガン。
 髪もゆるく後ろでまとめていて、ぱっと見は、少し浮世離れした綺麗な男の人、くらいに見える。

 七姫に神様だとばれないように、今日はできるだけ現代の服を着てほしいと頼んだのだ。

 七姫は椅子に座るなり、明るい金髪を揺らしながら店内をきょろきょろ見回した。

 「え、待って。ほかのお客さんいなくない?」
 「今日は貸し切りにしてもらった」

 緋桜さんが、何でもないことのように言う。

 「ええっ!?」
 「朱里の大切な友人だからね。落ち着いて話せる場所のほうがいいと思って」

 また、そういうことを当たり前みたいに言う。
 七姫はぱちぱちと瞬きをしたあと、わたしのほうへ身を乗り出した。

 「え、わたしまでこんな好待遇? 神なんだけど」
 「……朱里の友人は、勘がいいね」

 緋桜さんが、少しだけ目を細めた。
 その一言に、胸がどきっと跳ねる。

 「あ、いや、そういう意味じゃなくて!」

 きょとんとしている七姫をよそに、わたしは慌てて緋桜さんへ身を寄せた。
 ギャルと神様の対面は、何が起こるか分からない。

 「えっと……改めて見ると、なんか不思議な光景だね」

 東京で一緒に放課後を過ごしていた親友と、久遠桜の神様であり、今はわたしの婚約者でもある人。

 そのふたりが同じテーブルについている。
 そう思うと、目の前の光景が少しだけ現実離れして見えた。

 「こっちの台詞なんだけど? 久しぶりに会ったら、イケメン大富豪とカフェ貸し切って待ってるんだもん。びっくりだよ」
 「遠いところ、よく来てくれたね」
 「勢いで来ちゃいました! 宿もこれから探すつもりで」
 「それなら、うちに泊まればいい。部屋ならいくつもあるし」
 「えっ、いいんですか? じゃあ、お言葉に甘えて——」

 そこまで言いかけて、七姫がふと目を瞬かせた。

 「……あ、でも猫っています?」
 「いるけど、どうして?」
 「わたし、猫アレルギーで。猫ちゃんは好きなんですけど、体質だけはどうにもならなくて!」

 柏の顔が頭に浮かぶ。

 猫じゃないわよ、と尻尾を揺らす姿まで、簡単に想像できてしまった。

 桜小路家に泊まってもらうのは、難しそうだ。

 「あの……それなら、私が使っていた部屋はどうかな」
 「え?」
 「今はおばあちゃんが入院していて、家空いてるから。私としても、家に誰かいてくれると安心っていうか」
 「いいの!?」

 七姫が身を乗り出した。

 「正直、めちゃくちゃありがたい。ホテルより落ち着きそうだし、あかりんの家なら安心だし」

 緋桜さんも小さく頷く。

 「朱里がそうしたいなら、俺は構わない。必要なら、式神の見回りも手配しよう」
 「式神?」
 「ぼ、防犯係みたいなものだよ! それよりこっちにはどのくらいいるの?」

 式神について掘られるのはまずい。
 話を逸らしつつ質問すると、七姫はぱっと顔を輝かせた。

 「二週間はいる予定。久遠桜の奉納祭は今回の旅行のメインだし!なんかこの町、パワースポットも神社も多いから、全然飽きなさそう!」
 「あはは……七姫は本当にそういうの好きだね」
 「やばっ!」

 時計を見た七姫の声が跳ねる。この騒がしさが懐かしい。

 「今度は何!?」
 「十五時から駅前で、お祭り前の御朱印めぐり案内があるんだよね。そこ行きたいし、商店街も見たいし、荷物もあかりんのおばあちゃんちに置きたいし……」

 七姫はスマホのメモを見ながら、早口で予定を並べていく。

 「荷物なら、こちらで届けさせよう。朱里のおばあさまの家でいいんだろう?」
 「えっ、いいんですか?」
 「もちろん」

 緋桜さんが軽く目配せをすると、カフェの奥から、黒いベスト姿の若い男性が静かに近づいてきた。
 ぱっと見は店員さんにしか見えない。

 けれど、その動きがあまりにも音もなく滑らかで、わたしにはすぐに分かった。
 たぶん、式神だ。

 「神対応……! じゃあ、ちょっと行ってきます! 迷ったら電話する!」

 七姫は何も気づかないまま、キャリーケースをその人に預けると、元気よくカフェを飛び出していった。
 七姫の足音が、店の外へ弾むように遠ざかっていく。

 さっきまで笑い声でいっぱいだったカフェの奥席に、ふっと静けさが戻った。
 テーブルの上では、紅茶の湯気だけがゆらゆらと揺れている。

 緋桜さんと二人きりになると、七姫の勢いに紛れていた緊張が、少し遅れて胸の奥に戻ってきた。

 「朱里の友人は、元気な子だね」
 「そうなんです」

 騒がしくて、思いついたらすぐ行動。ひとの話を最後まで聞いていないようで、大事なところは誰よりも見ている。
 あの明るさに、わたしは何度も救われてきた。

 「そういえば、さっき彼女が話していた奉納祭についてだけど」
 「久遠桜の……でしたっけ?」
 「ああ」

 緋桜さんの目が、静かにわたしを見る。

 「朱里に、手伝ってほしいことがあるんだ」