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久遠桜の根元で、誰かを待っている。
白い衣の袖が夜風に揺れ、胸元では小さな願い札を握りしめていた。
月明かりの中を、桜の花びらがゆっくりと流れていく。
――また、あの夢だ。
白い衣をまとい、腰まで届く黒髪を揺らしている少女。
彼女の名は、初音と言っただろうか。
初音はいつものように、久遠桜の根元で緋桜さまを待っていた。
足元には、月を映した小さな池がある。
ふと、初音が水面を覗き込んだ。
揺れる月明かりの中に、白い顔が映る。
細い目元に、頼りなげな唇。
どこか心細そうに立つその姿を見た瞬間、胸の奥が強く跳ねた。
なぜ、今まで気がつかなかったんだろう。
彼女は、どことなく私に似ている。
まるで古い鏡を覗き込んでいるみたいだった。
そのとき、初音の背後に影が落ちた。
池の水面に、頭巾を深くかぶった男の姿が映る。
「すみません。道を教えてくれませんか」
初音が振り向いた。
客人が迷い込んでしまったのだろうか。
そう思った瞬間、胸の奥に違和感が走る。
ここは久遠桜の社の内側で、結界の中だ。
ふつうの里人ですら、簡単には立ち入れない場所のはずだった。
けれど、それに気づいたときには、もう遅かった。
冷たい刃が、ぶすりと初音の胸を貫く。
「あ……」
初音の膝が崩れた。
ここから先は、いつもと同じだった。
笑い声を上げる男から守るように。
血の海の中に倒れた初音を、駆けつけた緋桜さまが抱き起こす。
「初音、しっかりするんだ、初音——!」
その叫びを聞くたび、胸の奥が苦しくなる。
けれど、今日はそこで終わらなかった。
桜の影に立つ頭巾の男が、血に濡れた手のひらを月にかざしている。
「ふははははっ、ついに、ついにやったぞ! ああ、温かい。これが巫女の血か」
男は、うっとりと指先を見つめた。
「だが足りぬ。まだだ。もっと力が要る」
そのとき、風に煽られて男の頭巾がめくれた。
初めて、初音を殺した男の顔が見える。
藤色を帯びた白髪に、濁った金色の瞳。
顔の右半分には、焼け痕のような薄い痣が広がっていた。
焦げた花びらが肌に貼りついたようにも、黒ずんだ桜の枝が頬を這っているようにも見える。
整った顔立ちのはずなのに、どこか均衡を欠いていた。
「巫女も、神も、人の願いも。すべて喰らい、すべて我が糧にしてやる」
濁った金色の瞳が、初音ではなく、夢を見ているわたしを射抜いた気がした。
その瞬間、闇が大きく波打った。


