千回目のあなたへ 〜十七の夏、迎えにきたのは神様でした〜

 ***
 
 「ッ――!」

 千歳朱里(ちとせあかり)は、布団を握りしめて跳ね起きた。

 心臓が、痛いくらいに大きな音で鳴っている。

 手のひらには、まだ刃の冷たさが残っている気さえした。
 胸元を確かめても、傷なんてどこにもないのに。

 ……また、あの夢だ。

 この町に来てから、毎晩同じ夢を見る。

 桜の下で、少女が誰かと約束を交わし、そのすぐあとに謎の男に殺される夢。

 名前も顔も知らない少女なのに、その痛みだけが、毎朝きまって自分のことみたいに胸に残った。

 ひおう、さま。

 夢の中で少女が呼んだ名前が、起きてもまだ、耳の奥に残っている。
 ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。

 「朱里、遅刻すんぞー!」
 「ごめん、すぐいく!」

 窓を開けて返事をして、台所へ下りる。
 しんとした家に、朝の物音はわたしのぶんしかない。
 誰かが用意してくれた朝ごはんも、「いってらっしゃい」の声も。

 朱里は、長い黒髪をひとつに結びながら、冷蔵庫を開けた。
 ゆうべ作っておいた煮物を、小さなタッパーに移す。
 おばあちゃんの好物の、かぼちゃの煮物だ。

 手術を控えているから、お見舞いに持っていけるのはほんの少しだけ。

 それでも病院のごはんばかりじゃ味気ないだろうと思って、看護師さんに確かめながら、ときどき届けていた。

 べつに、誰かに頼まれたわけじゃない。
 ただ、おばあちゃんが少しでも喜んでくれるなら、と思っただけだ。

 父は、わたしが小学生のころに亡くなった。
 町の旧家・千歳本家の長男だった父は、若いころに東京へ出て、母と結婚してこの町を離れた。
 それきり本家とも分家とも縁は薄くなり、おばあちゃんはひとりでこの家を守ってきたそうだ。

 ひと月前、そのおばあちゃんが倒れたと連絡が来た。
 父を亡くしてから、母は朝から晩までずっと仕事を頑張ってくれていた。

 けれど無理が重なったのか、最近の母は心の状態が不安定で、遠方の病院や親戚とのやり取りを担える状態ではなかった。

 おばあちゃんの病院での身の回りのことは、看護師さんたちが見てくれている。
 それでも、古い家の管理や手術の説明、役所への連絡まで、東京で働く母ひとりでは抱えきれない。

 町に残った分家の伯母や伯父も「うちには関係ない」と、祖母の家に関わる気はない。
 だから、わたしはこの町に来るしかなかった。

 スマホがブーッと鳴った。東京の母からだ。

 『朱里、おばあちゃんのことお願いね。ごめんね、ぜんぶ任せちゃって』

 続けて、もう一通。

 『でも、きっと大丈夫。朱里は強い子だから』

 『うん、大丈夫だよ』と打って、送る。
 ほんとうは不安でたまらない日も、そう打つのが癖になっていた。

 お母さんに大切にされていないわけじゃない。
 ただ、お母さんはいつも、自分のことで精いっぱいだった。

 だからわたしは、できるだけ手のかからない子でいようと決めていた。

 でも、ときどき思う。

 もしも……誰かにとって、自分のことより先に思い浮かぶ存在になれたら。
 その人にとっての“特別”になれたら。

 もう、大丈夫なふりをしなくてもいいのかな。

 そんなことを考えても、答えは出ない。

 玄関の向こうでは、京介が待っている。
 長い黒髪をポニーテールにまとめ、急いで引き戸を開けた。