千回目のあなたへ 〜十七の夏、迎えにきたのは神様でした〜



 ***

 翌朝も、昨日と同じように車に乗った。学校が近づくにつれて、胸が重くなる。

 「この辺りで……」

 昨日と同じ角が見えてきたところで、小さく声をかけた。

 けれど、車は止まらない。
 そのまま、校門へ向かってゆっくり進んでいく。

 「今日は、俺も途中まで一緒に行ってもいいかな。今年度の寄付金の件で、学校側と少し話があって」
 「はあ……」

 そういうものなのだろうか。

 隣に座る緋桜さんは、今日は黒いスーツ姿だった。人前に出るときは、こうして“桜小路家の当主”の顔になるらしい。

 すらりとした長身に、整いすぎた横顔。髪を軽く後ろへ流した姿は、いつもより少しだけ近寄りがたい。

 ……目の保養だな。

 こんな状況なのに、思わずそんなことを考えてしまう。

 そして、そう思ったのは、どうやらわたしだけではなかった。
 校門の前で車が止まり、緋桜さんが先に降りた瞬間、周囲の空気が一気に変わる。

 「え、誰……?」
 「めちゃくちゃかっこよくない?」
 「芸能人?」

 登校中の生徒たちが、ちらちらとこちらを見ていた。

 「あ、あの……新しい先生とかですか?」

 誰かが、おそるおそる尋ねる。緋桜さんは、穏やかな表情で生徒たちへ向き直った。

「俺は、桜小路緋桜と申します」

 その場が、どよめいた。

 桜小路緋桜。

 この町に住む人間なら、その名前を知らない者はいない。

 車の中で、わたしは降りるタイミングをすっかり失っていた。
 この空気の中で出ていくのは、さすがに目立ちすぎる。

 どうしよう。

 そう思った瞬間、緋桜さんが振り返った。

「朱里、おいで」

 差し出された手に、周囲の視線が集まる。

 わたしはその手を取り、車を降りる。

「あれ、千歳さん……?」

 促されるまま隣に立つと、集まっていた生徒たちの視線が一斉に突き刺さった。
 緋桜さんは、わたしの手を自分の腕にそっと添えさせる。

 「彼女——千歳朱里さんは、俺の婚約者だ」

 次の瞬間、昨日までわたしに向けられていた軽蔑の視線が、驚きと戸惑いに塗り替わっていく。
 その輪の中に、雛乃がいた。

 ほんの少し前まで浮かべていた柔らかな笑みが、綺麗に消えている。
 目を見開いたまま、唇だけが引きつっていた。その隣には、驚いた様子の京介もいる。

 「もしも、の話ですが——」

 その場が、しんと静まり返る。

 「朱里がこの学校で傷つくようなことがあれば。俺はそれを、桜小路家への敵対行為と見なします」

 緋桜さんの視線が、ほんの一瞬だけ雛乃に向く。

 「誰が相手でも、例外はありません」

 雛乃の顔から、さっと血の気が引いた。
 緋桜さんは、にこりと笑う。

 「朱里が学校に慣れるまで、どうかよろしくお願いしますね」

 言葉は穏やかだった。
 でも、そこにいた誰もが分かったはずだ。

 これはお願いではない。
 警告だ。

 その直後だった。

 「何の騒ぎだ」

 校門のほうから、男性教師が足早に近づいてきた。
 集まっていた生徒たちが、さっと道を開ける。
 教師は最初、険しい顔でこちらを見ていたが、緋桜さんの姿を認めた瞬間、表情を強張らせた。

 「さ、桜小路さん……!?」

 緋桜さんは、何事もなかったように軽く会釈した。

 「朝早くに失礼いたします。今年度の寄付金の件で、学校側と少しお話しできればと思いまして」
 「も、もちろんです。こちらへどうぞ。応接室をご用意いたします」

 教師は慌てて姿勢を正し、校舎のほうを示した。
 さっきまでわたしを囲んでいた視線が、今度は緋桜さんと教師のやりとりに釘づけになっている。
 去り際、緋桜さんはわたしに向けて耳打ちした。

 「夕食は、朱里の好きなものにしよう。何がいいか、考えておいて」

 緋桜さんは教師に案内され、校舎の奥へと歩いていった。