千回目のあなたへ 〜十七の夏、迎えにきたのは神様でした〜



 ***

 朱里が自室へ戻ったあと、部屋には静けさだけが残った。

 障子の向こうでは、庭木の影が夜風に揺れている。
 緋桜は座卓の前に座ったまま、湯呑みに指を添えていた。

 朱里が去っていった障子の先を、しばらく見つめている。

 その足元に、柏が音もなく現れた。

 「今日は最悪な一日だったわよ」

 堕神が朱里を狙っている以上、護衛もなく学校へ行かせるわけにはいかない。
 朱里には内緒で、柏に“普通の猫”として学校の様子を見てもらっていた。

 もちろん、柏ひとりにできることには限りがある。それでも、彼女の魂を狙う堕神が学校へ入り込むようなことがあれば、白豹の姿になって朱里を守ることはできる。

 「あの雛乃って分家の女、絶対に許せない!」

 柏は尻尾で床を一度叩き、その日の出来事を話し始めた。

 教室で財布を盗んだと疑われたこと。
 京介が雛乃の言葉を信じ、朱里へ軽蔑の目を向けたこと。
 校舎裏で、雛乃が朱里にミルクティーを浴びせたこと。

 「あの京介ってのも、ほんっとイライラする! のうのうと騙されてるんじゃないわよ、ボケ!」

 「なるほどね」

 がちゃん、と乾いた音がした。

 緋桜の手の中で、湯呑みに細い亀裂が走っている。

 「緋桜、目が笑ってないわよ」

 柏が呆れたように目を細める。

 「にしても、良かったの? あの子、かなり凹んでるわよ。こういう時は、無理にでも話を聞いたほうが――」

 「無理に話させるつもりはないよ」

 緋桜は、割れた湯呑みを見下ろしたまま動かなかった。

 「あの子は、ずっといろんなものを背負ってきた。本当なら大人が背負うべきだったものまで、ひとりで抱えてきたんだと思う」

 指先から、陶器のかけらがひとつ落ちる。

 「助けたいからといって、こちらから傷口に触れるのは違う。朱里が自分で話してくれなくてもいい。ただ、あの子が助けてほしいと手を伸ばした時には、全力でその手を取る」

 そこでようやく、緋桜は顔を上げた。

 「そのために、俺はここにいる」

 紅い瞳に、冷たい光が宿る。

 「ただ――何事もなかったことにはさせないよ」

 柏が、ゆらりと尻尾を揺らした。

 「どうするつもり?」

 緋桜はゆっくり立ち上がる。

 口元には、穏やかな笑みが浮かんでいた。

 「少し、挨拶に行こうか」