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校舎裏の自販機の前は、朝だというのに人が少なかった。
体育館へ続く渡り廊下の影で、教室のざわめきもここまでは届かない。
雛乃は自販機の前に立ち、無言で小銭を入れる。
ピッとボタンを押すその背中を見ながら、わたしはようやく口を開いた。
「お願い。みんなに、ちゃんと説明して」
雛乃は、返事をしなかった。
「あの橋に京介を連れて行ったのは、雛乃でしょ。欄干が折れて、京介が落ちて――」
そこまで言った瞬間。
ばしゃっ。
冷たいミルクティーが、顔にかかった。
前髪から、頬へ、制服の襟へ。
液体が服に染みを広げながら、ぼたぼたと落ちていく。
「あはははははっ! やば、何その顔。ほんと、さいっこう!」
雛乃はお腹を抱えて笑った。
「え……」
ちょっと無神経なところはあるけど、誰にでもやさしくて、町のみんなに可愛がられている雛乃。
その雛乃が、濡れて震えるわたしを見下ろして、心底楽しそうに笑っている。
雛乃はひとしきり笑ったあと、急にすっと真顔に戻る。
「ねえ、分かった? あんたが何を言っても、もう誰も信じないの。みんなが信じてるのは、京介を助けたひなのこと。あんたは、財布を盗んで京介を追いかけたストーカー」
「あ……あれは、拾っ――」
「そう言えば? 信じてもらえるといいね」
可愛らしい顔のまま、唇だけが意地悪く歪む。
「わたしね、あんたのこと、ずっとずーっと大っ嫌いだった!」
***
朱里が東京から越してきた日から、少しずつ何かが狂いはじめた。
本人は気づいていないみたいだけれど、少し顔がいいだけで、男子たちは分かりやすく朱里を目で追うようになった。
京介だって、例外じゃない。
幼馴染みたいなものだから、放っておけないだけ。最初の頃は、そう思い込もうとした。
でも、朱里の名前を呼ぶ京介の声が、前より少しやわらかくなったことくらい、あたしには分かる。
ずっとずっと、京介を見ていたから。
――あー、うっざ。
うざい、うざい、うざい!!!
朱里が来るまでは、京介の隣も、みんなの中心も、全部ひなのものだったのに。
***
「このドロボーが。千歳家を背負うのは、あんたじゃない」
爪を噛みながら、雛乃が一歩近づく。
「あのババアがいなくなれば、本家も終わりってママが言ってた。あんたもどうせすぐ東京に帰ることになる」
雛乃の言うママは、つまり、わたしにとっての伯母さんだ。
だから手を貸してくれなかったのかと腑に落ちた瞬間、背筋が冷えた。
雛乃は濡れたわたしの顔を、上から下まで楽しそうに眺めた。
「そうしたら、家も、京介くんの隣も。すぐにひなのものに戻るんだから」
次の瞬間、雛乃の手が制服の胸元を掴んだ。
ぐっと引き寄せられ、ミルクティーに濡れた前髪から、雫がぽたりと落ちる。
かわいらしい目元も、柔らかな頬も、そのままなのに。
そこに浮かんでいるのは、吐き気がするほど醜悪な表情だった。
「さっさと消えてよ」
低い声で、雛乃が囁く。
「この世界から」


