千回目のあなたへ 〜十七の夏、迎えにきたのは神様でした〜


 ***

 校舎裏の自販機の前は、朝だというのに人が少なかった。
 体育館へ続く渡り廊下の影で、教室のざわめきもここまでは届かない。
 雛乃は自販機の前に立ち、無言で小銭を入れる。

 ピッとボタンを押すその背中を見ながら、わたしはようやく口を開いた。

 「お願い。みんなに、ちゃんと説明して」

 雛乃は、返事をしなかった。

 「あの橋に京介を連れて行ったのは、雛乃でしょ。欄干が折れて、京介が落ちて――」

 そこまで言った瞬間。
 ばしゃっ。
 冷たいミルクティーが、顔にかかった。

 前髪から、頬へ、制服の襟へ。

 液体が服に染みを広げながら、ぼたぼたと落ちていく。

 「あはははははっ! やば、何その顔。ほんと、さいっこう!」

 雛乃はお腹を抱えて笑った。

 「え……」

 ちょっと無神経なところはあるけど、誰にでもやさしくて、町のみんなに可愛がられている雛乃。
 その雛乃が、濡れて震えるわたしを見下ろして、心底楽しそうに笑っている。

 雛乃はひとしきり笑ったあと、急にすっと真顔に戻る。

 「ねえ、分かった? あんたが何を言っても、もう誰も信じないの。みんなが信じてるのは、京介を助けたひなのこと。あんたは、財布を盗んで京介を追いかけたストーカー」

 「あ……あれは、拾っ――」

 「そう言えば? 信じてもらえるといいね」

 可愛らしい顔のまま、唇だけが意地悪く歪む。

 「わたしね、あんたのこと、ずっとずーっと大っ嫌いだった!」

 ***

 朱里が東京から越してきた日から、少しずつ何かが狂いはじめた。

 本人は気づいていないみたいだけれど、少し顔がいいだけで、男子たちは分かりやすく朱里を目で追うようになった。

 京介だって、例外じゃない。
 幼馴染みたいなものだから、放っておけないだけ。最初の頃は、そう思い込もうとした。

 でも、朱里の名前を呼ぶ京介の声が、前より少しやわらかくなったことくらい、あたしには分かる。
 ずっとずっと、京介を見ていたから。

 ――あー、うっざ。

 うざい、うざい、うざい!!!
 朱里が来るまでは、京介の隣も、みんなの中心も、全部ひなのものだったのに。

 ***

 「このドロボーが。千歳家を背負うのは、あんたじゃない」

 爪を噛みながら、雛乃が一歩近づく。

 「あのババアがいなくなれば、本家も終わりってママが言ってた。あんたもどうせすぐ東京に帰ることになる」

 雛乃の言うママは、つまり、わたしにとっての伯母さんだ。
 だから手を貸してくれなかったのかと腑に落ちた瞬間、背筋が冷えた。

 雛乃は濡れたわたしの顔を、上から下まで楽しそうに眺めた。

 「そうしたら、家も、京介くんの隣も。すぐにひなのものに戻るんだから」

 次の瞬間、雛乃の手が制服の胸元を掴んだ。

 ぐっと引き寄せられ、ミルクティーに濡れた前髪から、雫がぽたりと落ちる。

 かわいらしい目元も、柔らかな頬も、そのままなのに。

 そこに浮かんでいるのは、吐き気がするほど醜悪な表情だった。

 「さっさと消えてよ」

 低い声で、雛乃が囁く。

 「この世界から」