千回目のあなたへ 〜十七の夏、迎えにきたのは神様でした〜

 眼下に、夜の町が広がっていた。

 点々と灯る家々の明かり。川沿いに続く提灯の列。山の向こうには、知らない町のまたたき。
 その光のすべてが、ずっと下のほうにある。

 少女は、男の腕に抱かれたまま、夜空に浮かんでいた。

 ――外の世界なんて、一生見られないと思っていた。

 腰まで届く黒髪が夜風になびき、白い巫女装束の袖が月明かりに透けている。
 まだ幼さの残る顔には、こらえきれない涙が浮かんでいた。

 少女を抱いているのは、紅い瞳の男だった。

 白銀の長い髪は月光を受けてほのかに輝き、毛先だけが桜を溶かしたような淡い桃色に染まっている。

 ――けれど緋桜さま(かれ)は、わたしを鳥籠の外へ連れ出してくれた。

 「君がどこに閉じ込められても。自分が誰なのか、分からなくなっても」

 男の指が、少女の頬に触れる。

 「俺が必ず迎えに行って――君の名前を呼ぶよ」

 月光と桜吹雪の中で、男が笑う。

 ***

 この幸せはずっと続くのだと、信じてやまなかった。

 ――あの夜が来るまでは。

 月明かりの下、町を丸ごと見下ろすほど巨大な木に、満開の桜が咲いている。
 太い幹は地上から天へ伸び、枝は夜空いっぱいに広がって、まるで町の上に花の雲をかけているみたいだった。

 満月の夜、少女はいつものように久遠桜の下で男を待っていた。
 白い衣の袖を胸元で握りしめ、何度も月を見上げる。

 早く会いたい。

 たったそれだけの願いが、胸の奥で小さく弾んでいた。

 その背後に、音もなく影が伸びる。

 男の表情は頭巾を深くかぶっていて見えない。
 その奥で、濁った金色の瞳だけが闇に浮かんでいた。

 「貴様が桜の巫女か」

 声を上げる間もなく、男が取り出した冷たい刃がぶすりと胸を貫く。

 「――ぁ」

 小さく開いた唇から、声にならない息だけがこぼれる。
 痛みとともに、白い衣に赤がじわりと滲んでいく。
 月明かりの下。その色は、ぞっとするほど鮮やかだった。

 「ふははははっ、ついに、ついにやったぞ——!」
 「ひ……おう、さま……」

 伸ばした指先は誰にも届かず、少女は桜の花びらの中に崩れ落ちる。

 その瞳から、光が消えていった。