2.いつもの隣
__朝のホームルーム前の教室は、いつも少し騒がしい。
__椅子を引く音。
__友達を呼ぶ声。
__廊下を走る足音。
窓の外からは運動部の掛け声が聞こえる。
六月の湿った空気が、
開け放たれた窓から教室に流れ込んでいた。
美空は自分の席に座りながら、
鞄の内ポケットに手を添える。
指先に触れる封筒の感触。
今朝見つけた、
白い手紙。
まだそこにある。
捨てたわけでも、
誰かに見せたわけでもない。
なのに、
ずっと気になっていた。
机に教科書を出しても。
先生の話が始まっても。
ノートを開いても。
頭のどこかに、
あの文字が残っている。
『君に伝えたいことがあります。』
『六月八日 放課後 旧校舎裏へ』
「……美空?」
横から声がした。
「えっ?」
顔を上げる。
斜め前の席から、
片山芽衣 (かたやま めい)がこちらを見ていた。
肩までの髪を揺らしながら、
少しあきれた顔をしている。
「さっきから三回呼んでる」
「あ、ごめん」
「珍しいじゃん。ぼーっとしてるの」
「そんなしてた?」
「してた」
芽衣は小さく笑って、
美空の机に肘をついた。
「なんかあった?」
「……別に」
「ほんとに?」
「ほんと」
芽衣はじっと見つめてくる。
こういうところが鋭い。
少しの変化も見逃さない。
美空は視線をそらして、
窓の外を見るふりをした。
その時。
「おい、美空」
今度は反対側から声が飛んできた。
振り向くと、
教室の後ろのロッカーに寄りかかっていた空が、
何かをこちらへ差し出していた。
「……これ」
「え?」
「英語のワーク。朝、机の上に置いたままだった」
「あ」
美空は目を丸くした。
たしかに忘れていた。
「あ、ありがとう」
受け取る。
指先が一瞬だけ触れた。
たったそれだけなのに、
なぜか少しだけ心臓が跳ねた。
「また?」
芽衣が吹き出す。
「え?」
「空が美空の忘れ物届けるの何回目?」
「……知らない」
「絶対十回以上ある」
「ないって」
「あるある」
そこへ、
空の後ろから男子の声が飛ぶ。
「また月瀬の世話してんの?」
振り返った空の隣に、
堀川琉生(ほりかわ るい)がいた。
にやにやしながら笑っている。
「世話っていうか保護者じゃん」
「違う」
空が短く返す。
「でも毎朝一緒に来て、席も近くて、忘れ物も届けて?」
「幼なじみだから」
「便利な言葉だなー、“幼なじみ”って」
「うるさい」
教室のあちこちで笑いが起きる。
芽衣もくすっと笑っていた。
「ほんと仲いいよね」
「別に普通だけど」
美空が言うと、
「それを普通って言うの、美空たちだけだから」
芽衣はそう言った。
美空は言い返そうとして、
やめた。
たしかにそうかもしれない。
朝一緒に登校して、
授業受けて、
帰り道も一緒。
家は隣。
小さいころからずっと一緒。
その生活が当たり前すぎて、
特別だなんて考えたことがなかった。
でも。
今朝の手紙を隠した瞬間から、
少しだけ何かが違ってしまった気がしていた。
__昼休み。
購買で買ったパンを持って、
美空は窓際の自分の席に戻る。
芽衣が隣に座る。
その少しあと、
空と琉生も自然と近くへ来た。
四人で昼を食べるのもいつものことだった。
「美空、それ新作?」
芽衣がパンを見る。
「うん。レモンクリーム」
「ひと口ちょうだい」
「やだ」
「ケチ」
その向かいで、
琉生が空に言う。
「空、それ焼きそばパン二個目?」
「一個目」
「さっき食ってたじゃん」
「あれはメロンパン」
「炭水化物祭りか」
笑い声が広がる。
__いつもの昼休み。
__いつもの空気。
なのに、
美空だけ少し落ち着かなかった。
視線が何度も鞄へ向いてしまう。
六月八日まで、
あと三日。
放課後、
旧校舎裏。
その言葉が頭から離れない。
「……美空」
不意に空が呼ぶ。
「え?」
「さっきからなんか変」
「……え」
「ぼーっとしてる」
芽衣が笑った。
「ほら、空も言ってる」
「うそ」
「ほんと」
空はパンの袋を机に置きながら、
美空を見る。
「なんかあった?」
その言葉に、
美空の心臓がまた大きく鳴った。
手紙のことが頭をよぎる。
話すべきか。
でも、
まだ言えなかった。
「……なんでもない」
そう返すと、
空は少しだけ眉を動かした。
それ以上は聞いてこない。
けれど、
気づいている顔だった。
__午後の授業。
__先生の声が遠い。
ノートの文字が頭に入らない。
窓の外では風が揺れて、
校庭の木々がかすかにざわめいていた。
ふと、
視線を感じる。
顔を上げると、
斜め前の空がこちらを見ていた。
目が合う。
空は一瞬だけ驚いたように目を細めて、
すぐ前を向いた。
美空も慌ててノートへ目を戻す。
胸が落ち着かない。
手紙のせいなのか。
それとも__
自分でもまだわからなかった。
ただひとつだけ、
確かなことがある。
ずっと当たり前だった“隣”が、
少しずつ、
違うものに見え始めていた。
__朝のホームルーム前の教室は、いつも少し騒がしい。
__椅子を引く音。
__友達を呼ぶ声。
__廊下を走る足音。
窓の外からは運動部の掛け声が聞こえる。
六月の湿った空気が、
開け放たれた窓から教室に流れ込んでいた。
美空は自分の席に座りながら、
鞄の内ポケットに手を添える。
指先に触れる封筒の感触。
今朝見つけた、
白い手紙。
まだそこにある。
捨てたわけでも、
誰かに見せたわけでもない。
なのに、
ずっと気になっていた。
机に教科書を出しても。
先生の話が始まっても。
ノートを開いても。
頭のどこかに、
あの文字が残っている。
『君に伝えたいことがあります。』
『六月八日 放課後 旧校舎裏へ』
「……美空?」
横から声がした。
「えっ?」
顔を上げる。
斜め前の席から、
片山芽衣 (かたやま めい)がこちらを見ていた。
肩までの髪を揺らしながら、
少しあきれた顔をしている。
「さっきから三回呼んでる」
「あ、ごめん」
「珍しいじゃん。ぼーっとしてるの」
「そんなしてた?」
「してた」
芽衣は小さく笑って、
美空の机に肘をついた。
「なんかあった?」
「……別に」
「ほんとに?」
「ほんと」
芽衣はじっと見つめてくる。
こういうところが鋭い。
少しの変化も見逃さない。
美空は視線をそらして、
窓の外を見るふりをした。
その時。
「おい、美空」
今度は反対側から声が飛んできた。
振り向くと、
教室の後ろのロッカーに寄りかかっていた空が、
何かをこちらへ差し出していた。
「……これ」
「え?」
「英語のワーク。朝、机の上に置いたままだった」
「あ」
美空は目を丸くした。
たしかに忘れていた。
「あ、ありがとう」
受け取る。
指先が一瞬だけ触れた。
たったそれだけなのに、
なぜか少しだけ心臓が跳ねた。
「また?」
芽衣が吹き出す。
「え?」
「空が美空の忘れ物届けるの何回目?」
「……知らない」
「絶対十回以上ある」
「ないって」
「あるある」
そこへ、
空の後ろから男子の声が飛ぶ。
「また月瀬の世話してんの?」
振り返った空の隣に、
堀川琉生(ほりかわ るい)がいた。
にやにやしながら笑っている。
「世話っていうか保護者じゃん」
「違う」
空が短く返す。
「でも毎朝一緒に来て、席も近くて、忘れ物も届けて?」
「幼なじみだから」
「便利な言葉だなー、“幼なじみ”って」
「うるさい」
教室のあちこちで笑いが起きる。
芽衣もくすっと笑っていた。
「ほんと仲いいよね」
「別に普通だけど」
美空が言うと、
「それを普通って言うの、美空たちだけだから」
芽衣はそう言った。
美空は言い返そうとして、
やめた。
たしかにそうかもしれない。
朝一緒に登校して、
授業受けて、
帰り道も一緒。
家は隣。
小さいころからずっと一緒。
その生活が当たり前すぎて、
特別だなんて考えたことがなかった。
でも。
今朝の手紙を隠した瞬間から、
少しだけ何かが違ってしまった気がしていた。
__昼休み。
購買で買ったパンを持って、
美空は窓際の自分の席に戻る。
芽衣が隣に座る。
その少しあと、
空と琉生も自然と近くへ来た。
四人で昼を食べるのもいつものことだった。
「美空、それ新作?」
芽衣がパンを見る。
「うん。レモンクリーム」
「ひと口ちょうだい」
「やだ」
「ケチ」
その向かいで、
琉生が空に言う。
「空、それ焼きそばパン二個目?」
「一個目」
「さっき食ってたじゃん」
「あれはメロンパン」
「炭水化物祭りか」
笑い声が広がる。
__いつもの昼休み。
__いつもの空気。
なのに、
美空だけ少し落ち着かなかった。
視線が何度も鞄へ向いてしまう。
六月八日まで、
あと三日。
放課後、
旧校舎裏。
その言葉が頭から離れない。
「……美空」
不意に空が呼ぶ。
「え?」
「さっきからなんか変」
「……え」
「ぼーっとしてる」
芽衣が笑った。
「ほら、空も言ってる」
「うそ」
「ほんと」
空はパンの袋を机に置きながら、
美空を見る。
「なんかあった?」
その言葉に、
美空の心臓がまた大きく鳴った。
手紙のことが頭をよぎる。
話すべきか。
でも、
まだ言えなかった。
「……なんでもない」
そう返すと、
空は少しだけ眉を動かした。
それ以上は聞いてこない。
けれど、
気づいている顔だった。
__午後の授業。
__先生の声が遠い。
ノートの文字が頭に入らない。
窓の外では風が揺れて、
校庭の木々がかすかにざわめいていた。
ふと、
視線を感じる。
顔を上げると、
斜め前の空がこちらを見ていた。
目が合う。
空は一瞬だけ驚いたように目を細めて、
すぐ前を向いた。
美空も慌ててノートへ目を戻す。
胸が落ち着かない。
手紙のせいなのか。
それとも__
自分でもまだわからなかった。
ただひとつだけ、
確かなことがある。
ずっと当たり前だった“隣”が、
少しずつ、
違うものに見え始めていた。

