星海に消えた約束。

__八月二十五日、夜。

__星祭りが始まった。

昼間までの暑さが少しだけ和らぎ、
島には潮風が流れている。

神社へ続く石段には、
無数の提灯が灯っていた。

__赤い光。

__揺れる影。

__遠くから聞こえる祭囃子。

島中の人たちが、
一年で一番大きな夜を楽しんでいた。

けれど。

星那の胸の奥には、
ずっと消えない不安が残っていた。

「……大丈夫?」

隣を歩きながら、
星那は小さく聞く。

冬雪は少し笑った。

「今日はまだ平気」

そう言う顔は、
確かに昨日までより落ち着いて見えた。

浴衣姿の人たちが横を通り過ぎていく。

__子どもたちの笑い声。

__屋台の灯り。

__焼きそばの匂い。

__綿飴。

__射的。

昔から変わらない、
星影島の夏祭り。

冬雪は境内を見回しながら、
どこか懐かしそうに目を細めた。

「……不思議だな」

「?」

「初めて来たはずなのに」

風が吹く。

提灯が揺れる。

冬雪は静かに続けた。

「全部、知ってる気がする」

星那の胸が少し締め付けられる。

思い出し始めている。

少しずつ。

確実に。

でも。

それは同時に、
“終わり”へ近づいている気もした。

だから星那は、
その不安を押し込めるように笑う。

「なら案内いらないね」

「いや」

冬雪は小さく笑った。

「一緒に回ってほしい」

その言葉だけで、
胸が熱くなる。

二人は並んで歩き出した。

境内には、
星灯籠が並んでいる。

星型に切り抜かれた灯りが、
地面へ淡く零れていた。

冬雪はその光を見つめたまま、
ぽつりと呟く。

「……綺麗」

その横顔を見た瞬間。

星那は、
八年前を思い出していた。

幼い自分。

夜の海。

星の落ちる空。

そして。

「星って、
海へ落ちるんだね」

そう笑っていた、
あの日の“ゆき”。

胸が苦しくなる。

隣にいる。

やっと会えた。

なのに。

また失うかもしれない。

その恐怖だけが、
ずっと消えなかった。

__その頃。

神社の裏では、
星里と希美が空を見上げていた。

「……始まる」

星里が小さく呟く。

空気が違った。

風が変わっている。

まるで、
夜そのものが静まり返っていくような感覚。

希美は不安そうに聞いた。

「本当に、
記憶なくなるのかな……」

星里は答えなかった。

ただ、
夜空を見つめている。

その表情は、
どこか祈るようだった。

__境内。

冬雪は急に足を止めた。

「……冬雪くん?」

返事がない。

冬雪は、
遠くの舞台を見ていた。

祭り唄が流れている。

島の人たちが、
ゆっくり踊っていた。

その瞬間。

冬雪の顔色が変わる。

「……っ」

頭を押さえる。

呼吸が乱れた。

「冬雪くん!?」

星那が慌てて支える。

冬雪は苦しそうに息をした。

「……聞こえる」

「え……?」

「この歌……知ってる……」

その声が震えていた。

頭の奥で、
何かが弾けるみたいに。

冬雪の視界が揺れる。

__鈴の音。

__夜の海。

__幼い声。

『また会える?』

断片的な記憶が、
次々流れ込んでくる。

「……ぁ」

冬雪は目を見開いた。

そして。

無意識に口を開く。

祭り唄の続きを、
自然に歌っていた。

星那の呼吸が止まる。

それは。

八年前、
“ゆき”が歌っていたものと同じだった。

完全に。

同じ旋律。

冬雪自身も、
歌いながら驚いていた。

「なんで……」

掠れた声。

「俺、知ってる……」

その時だった。

夜空で、
一筋の光が流れた。

ざわ、と境内が揺れる。

誰かが空を指差した。

「流れ星!」

歓声が上がる。

けれど。

星那だけは、
血の気が引いていた。

始まった。

__大流星群。

空を見上げた瞬間。

__二筋。

__三筋。

無数の星が、
夜空を横切っていく。

まるで。

空そのものが崩れていくみたいだった。

「……綺麗」

誰かが呟く。

けれど冬雪は、
苦しそうに呼吸を乱していた。

「冬雪くん!」

星那が名前を呼ぶ。

冬雪は震える目で空を見ていた。

その瞳に映っているのは、
今の夜じゃない。

__八年前。

__星の海。

__一人きりの夜。

『怖い?』

幼い星那の声。

『……ううん』

『でも、
消えちゃいそう』

胸が締め付けられる。

冬雪の中で、
記憶が繋がり始めていた。

「あ……」

涙が零れる。

「俺……」

呼吸が苦しい。

頭が割れそうに痛い。

でも。

思い出したい。

忘れたくない。

冬雪は震える声で呟く。

「会いたかった……」

その瞬間。

境内の灯りが一斉に揺れた。

風が吹き抜ける。

まるで、
神社全体が何かへ呼応しているみたいだった。

遠くで鈴が鳴る。

__カラン。

__カラン。

冬雪の視界が滲む。

そして。

脳裏に、
最後の夜が蘇る。

__八年前。

幼い“ゆき”は、
海辺で泣いていた。

『もう帰らなきゃ』

『どこに?』

『……分かんない』

『帰っちゃやだ』

あの日。

本当は。

言いたいことがあった。

でも言えなかった。

時間がなかった。

怖かった。

消えてしまいそうで。

冬雪は苦しそうに息を飲む。

星那が必死に支える。

「大丈夫……!?」

冬雪は涙を流しながら、
震える声で言った。

「……思い出した」

星那の目が揺れる。

冬雪は空を見上げる。

無数の流星。

星の海。

そして。

やっと。

ずっと失っていた記憶が、
一つへ繋がった。

「俺……」

涙が頬を伝う。

「約束してた」

星那の呼吸が止まる。

冬雪はゆっくり星那を見る。

その目は、
もう“冬雪”だけのものじゃなかった。

“ゆき”の記憶も。

今の時間も。

全部抱えた目だった。

そして。

震える声で、
ゆっくり言う。

「また会えたら__」