星海に消えた約束。

星那の心臓が強く跳ねた。

風が止まったみたいだった。

__蝉の声も。

__波の音も。

全部遠くなる。

目の前にいる冬雪は、
本当に泣きそうな顔をしていた。

白い指先を見つめたまま、
自分の存在を確かめるみたいに震えている。

__透けた。

ほんの一瞬。

夕陽の中へ溶けるみたいに。

八年前。

“ゆき”が消えた夜と、
同じだった。

星那の喉が震える。

__怖い。

__怖いのに。

__それ以上に。

「……消えないで」

気づけば、そう口にしていた。

冬雪がゆっくり顔を上げる。

静かな瞳。

その奥に、
どうしようもない不安が滲んでいた。

「俺……」

掠れた声。

「やっぱり、おかしいよな」

星那は強く首を振る。

「違う」

「でも今……」

「違うから」

声が震える。

自分でも驚くくらい必死だった。

冬雪が何者なのか。

どうしてこんなことが起きるのか。

まだ分からない。

でも。

ここで、
“普通じゃない”なんて言葉で遠ざけたくなかった。

星那は冬雪の腕を掴む。

ぎゅっと。

逃がさないみたいに。

「ちゃんといるでしょ」

涙が出そうになる。

「ここにいる」

冬雪は目を見開いた。

__風が吹く。

__提灯が揺れる。

境内へ夜が落ち始めていた。

「……島居さん」

その呼び方が、
今は少しだけ苦しかった。

冬雪は苦しそうに目を伏せる。

「俺、自分が怖い」

小さな声。

「最近、記憶が混ざるんだ」

「……」

「夢なのか、本当にあったことなのか分からなくなる」

__そして。

「時々、“帰らなきゃ”って思う」

星那の呼吸が止まりそうになる。

「帰る……?」

冬雪はゆっくり頷く。

「でも、どこに帰るのか分かんない」

その言葉が、
ぞっとするほど寂しかった。

まるで。

この世界に居場所がない人みたいで。

星那は唇を噛む。

母の言葉が蘇る。

__『星に呼ばれる』

__『向こう側』

嫌だ。

__そんなの。

__やっと会えたのに。

__またいなくなるなんて。

星那は冬雪の手を両手で包み込む。

__冷たい。

でも、
ちゃんと触れられる。

__ちゃんとここにいる。

「……帰らなくていい」

__思わず零れた声。

冬雪がゆっくり目を開く。

星那は泣きそうになりながら続けた。

「分かんないなら、今はここにいて」

震える声。

「ちゃんと、隣にいてよ……」

言い終わった瞬間。

自分でも分かるくらい、
感情が溢れていた。

冬雪はしばらく何も言わなかった。

ただ静かに、
繋がれた手を見ている。

やがて。

本当に小さく笑った。

壊れそうなくらい、
弱い笑顔だった。

「……うん」

その返事に、
星那の胸が少しだけ軽くなる。

けれど次の瞬間。

冬雪の視線が、
再び裏山へ向いた。

暗くなった木々の奥。

星が見える場所。

そして。

冬雪が小さく呟く。

「……あそこに行かなきゃいけない気がする」

星那の背筋が冷える。

「なんで?」

冬雪は苦しそうに眉を寄せた。

「分かんない」

静かな声。

「でも、祭りの日に何かがある気がする」

風が吹き抜ける。

夜空には、
一番星が浮かび始めていた。

祭りまで、あと一ヶ月。

近づくほど。

冬雪の中の“何か”は、
確実に目を覚まし始めていた。