星海に消えた約束。

__その日の夜。

星那は自室の窓を開けたまま、机へ突っ伏していた。

外から潮風が入ってくる。

遠くで波の音。

夏の夜の匂い。

でも、全然落ち着かなかった。

頭の中には、
今日の冬雪の顔ばかり浮かぶ。

__『星……海……』

焦点の合わない瞳。

苦しそうな声。

そして。

一瞬だけ重なった、
八年前の“ゆき”の面影。

「……なんなの」

小さく呟く。

分からないことが多すぎた。

どうして冬雪はこの島を知っているのか。

どうして夢を見続けているのか。

どうして祭りが近づくたびに、
苦しそうになっていくのか。

そして。

__どうして時々、消えてしまいそうに見えるのか。

星那はぎゅっとシーツを握った。

怖かった。

もし全部知ってしまったら。

冬雪が、本当にどこか遠くへ行ってしまう気がして。

でも。

知らないままでもいられなかった。

「……ちゃんと知りたい」

小さく息を吐く。

八年前からずっと、
“ゆき”を追いかけていた。

でも今は違う。

知りたいのは、
“昔のゆき”じゃない。

__志水冬雪という人のことだった。

__翌日。

朝から空は曇っていた。

灰色の雲が海の向こうまで広がっている。

夏休み中の学校は静かだった。

星那は図書室の前で立ち止まる。

手の中には、
昨日からずっと握っていたスマホ。

画面には、
昨夜調べていた内容が残っている。

“星影島 星祭り”

“星守神社 言い伝え”

“神隠し”

そこまで入力して、
怖くなって閉じた。

自分でも分かっていた。

今、自分は
踏み込んではいけない場所へ近づこうとしている。

でも。

「……知らなきゃ」

冬雪を見ているだけじゃ駄目だと思った。

もし本当に、
祭りと冬雪に関係があるなら。

もし、
星里が何か知っているなら。

このまま何も知らないまま、
祭りの日を迎える方が怖かった。

その時。

「なに難しい顔してんの」

後ろから声がした。

振り返ると希美がいた。

購買のパンを片手に、
呆れたみたいな顔をしている。

「また考え込んでたでしょ」

「……別に」

「嘘つけ」

希美は隣へ来る。

「で?」

星那は少し迷った。

でも。

「……調べようと思ってる」

「何を?」

「冬雪くんのこと」

その名前を口にした瞬間、
希美の表情が少しだけ変わる。

最近ようやく、
星那は自然にその名前を呼べるようになっていた。

「過去?」

星那は頷いた。

「祭り近づくほど変になってる」

静かな声。

「このまま何も知らないの、嫌なの」

希美はしばらく黙っていた。

窓の外で風が吹く。

遠くから運動部の声が聞こえる。

「……止めないけど」

希美は小さく言う。

「無理しなよ」

「え?」

「絶対一人で抱え込むタイプだから、あんた」

図星だった。

星那は小さく目を逸らす。

すると希美は少し真面目な顔になる。

「でもさ」

「?」

「もし何かあったとしても」

その声は、
いつもより静かだった。

「今あの人がここにいるのは、本物でしょ」

星那は息を呑む。

「夢とか記憶とか関係なく」

希美は続ける。

「笑ったり、苦しんだりしてるのは、“今の冬雪”なんだから」

その言葉が胸へ残る。

星那はゆっくり頷いた。

「……うん」

そして思う。

ちゃんと知りたい。

冬雪のことを。

どうしてこの島へ来たのか。

どうして“星の海”を夢見るのか。

どうして祭りが近づくたび、
苦しそうになるのか。

全部。

逃げずに。

__その日の夕方。

星那は神社へ戻ると、
社務所の前で立ち止まった。

障子の向こうに、
母の気配がある。

星里は確実に何かを知っている。

あの日。

冬雪を見た瞬間の顔。

“星が海に落ちる夢”を聞いた時の沈黙。

全部、
偶然には見えなかった。

星那は小さく息を吸う。

そして。

ゆっくり障子へ手をかけた。

「……お母さん」

声が少し震える。

「話したいことがあるの」

その瞬間。

障子の向こうで、
ほんのわずかに空気が止まった気がした。