星海に消えた約束。

__七月中旬。

星影島にも、本格的な夏がやって来た。

長かった雨季が終わり、空は毎日のように青く広がっている。

港では蝉が鳴き続け、
防波堤には強い陽炎が揺れていた。

そして。

高校は夏休みに入った。

「うわぁぁ……!!やっと夏休みだぁ……!!」

教室で机に突っ伏しながら、希美がだらけた声を出す。

「まだ初日だけど」

星那が苦笑すると、希美は顔を上げた。

「でも今年、祭り準備めっちゃ忙しいじゃん」

確かにそうだった。

星祭りまで、あと一ヶ月半。

島中が少しずつ慌ただしくなり始めている。

学生たちも毎日のように準備へ駆り出されていた。

__提灯作り。

__飾り付け。

__舞台設営。

__神輿の整備。

__神社の掃除。

特に星那は、神社の娘ということもあり忙しかった。

「星那、午後から神社?」

「うん」

「志水くんも来るの?」

その名前に、星那は少しだけ視線を揺らした。

「……来ると思う」

最近の冬雪は、ほとんど毎日神社へ来ていた。

理由は本人にも分からないらしい。

でも。

「落ち着くから」

いつもそう言う。

それが少し嬉しくて。

少し怖かった。

__昼過ぎ。

__星守神社。

境内では祭りの準備が進められていた。

石段には提灯が並べられ、
社務所の前では大人たちが忙しそうに動いている。

夏の日差しは強い。

木陰にいても暑かった。

「星那ちゃん、こっち手伝ってー!」

「はーい!」

段ボールを運びながら、星那は境内を見回す。

すると。

鳥居の前に、冬雪が立っていた。

__白いシャツ。

__黒髪。

夏の光の中でも、どこかだけ温度が低いみたいな存在感。

「冬雪くん」

呼ぶと、冬雪はゆっくり振り返った。

けれど。

「……あ」

星那は小さく息を呑む。

顔色が悪い。

「大丈夫?」

冬雪は少し遅れて笑った。

「ん、平気」

でも声に力がない。

近づくと分かった。

額に薄く汗を浮かべている。

まるで熱があるみたいに。

「また頭痛?」

「……ちょっとだけ」

最近、本当に増えていた。

祭りが近づくほど。

星の話をするほど。

冬雪の異変は強くなっている。

「休んだ方がいいよ」

「大丈夫」

そう言いながらも、冬雪は鳥居を見上げていた。

風鈴が鳴る。

その音に、冬雪の瞳がわずかに揺れた。

「……また聞こえる」

「え?」

「鈴の音」

静かな声。

「なんか最近、ずっと耳に残ってる」

星那の胸がざわつく。

それは夢の中だけじゃなくなっていた。

現実でも。

少しずつ、記憶が混ざり始めている。

すると突然。

「__冬雪!」

境内の奥から星里がやって来た。

珍しく、少し強い声だった。

冬雪が顔を上げる。

「……え?」

星里は一瞬だけ言葉を止めた。

まるで、自分でも驚いたみたいに。

“冬雪”と自然に呼んでしまったことに。

星那も目を見開く。

星里はすぐ表情を戻した。

「無理しちゃ駄目よ。顔色悪いわ」

「すみません」

「今日は休みなさい」

冬雪は少し困ったように笑う。

「でも、手伝い……」

「そんなことはいいから」

いつもより強い口調だった。

その空気に、星那は違和感を覚える。

まるで。

星里が、冬雪を“近づけたくない”みたいに見えた。

「……お母さん?」

星里ははっとしたように振り返る。

「え?」

「どうしたの?」

「なんでもないわ」

でも。

少し顔色が悪かった。

冬雪もそれに気づいたのか、小さく目を伏せる。

その瞬間だった。

強い風が吹いた。

境内の提灯が一斉に揺れる。

鈴の音が重なる。

そして。

冬雪の身体が、ぐらりと揺れた。

「冬雪くん!?」

星那が慌てて支える。

__触れた瞬間。

__ぞくりとした。

__冷たい。

__いつもより、ずっと。

冬雪は苦しそうに息を飲んでいた。

「……海」

「え?」

「……星が……落ちる……」

__焦点の合わない目。

__震える声。

星那の背筋が冷える。

まただ。

最近の冬雪は、時々こうなる。

まるで夢と現実の境界が曖昧になるみたいに。

「冬雪くん、しっかりして!」

その声に、冬雪はゆっくり瞬きをした。

数秒遅れて、意識が戻ったみたいに周囲を見る。

「……あれ」

「大丈夫!?」

冬雪は少しだけ息を乱しながら、小さく笑った。

「……ごめん」

でも。

その笑顔は明らかに無理をしていた。

星里は黙って冬雪を見ている。

その目は、どこか怯えているようにも見えた。

__夕方。

作業が終わり、人が減った頃。

星那は一人で石段に座っていた。

空は茜色へ変わっている。

蝉の声が遠い。

今日の冬雪の様子が、頭から離れなかった。

「……何が起きてるの」

小さく呟く。

すると後ろから足音がした。

振り返る。

冬雪だった。

「隣、いい?」

「……うん」

冬雪は静かに座る。

風が吹く。

沈黙が落ちる。

でも。

今日は少しだけ、その沈黙が苦しかった。

「俺さ」

突然。

冬雪が言った。

星那は静かに顔を上げる。

夕暮れの光の中。

冬雪はどこか遠くを見る目をしていた。

「最近、怖いんだ」

「……怖い?」

「思い出したいのに」

冬雪は苦しそうに笑った。

「思い出したら、戻れなくなる気がする」

星那は何も言えなかった。

胸が締め付けられる。

風鈴が鳴る。

夏の終わりが、
少しずつ近づいていた。

__祭りまで、あと一ヶ月半。