演劇嫌いの後輩がなぜか俺に懐いてくる

「出欠取りまーす。高一青木。」

 「はい!」と演劇部らしい明朗快活な返事が響き渡る。部員の出欠を取るというのも部長の仕事だ。昨年9月の文化祭で先輩達が引退してから早半年。とはいえ校内に先輩達がいるという安心感は大きかったようで。今更ながら最高学年であることに緊張して少し手汗で固い名簿帳をふやけさせてしまっている。

「えー、次。高二上野。」
「いーっす」

 ハキハキした返事が続く中、腑抜けた返事に耳を疑う。上野佑(うえのたすく)...。名簿に並ぶ見慣れない文字列に咄嗟に顔を上げる。あの日の憎たらしい金髪が机にだらしなく腰掛けて笑っていた。

「お、おまえ...!入部したのか!?」
「いやぁ、新歓感動しちゃって」

 テキトーにそう流す上野は明らかに思っていない口調だ。新歓は中一数人と演劇部の過疎具合を憐れに思った教師が数人しか来ていないはず。こいつが観劇していないのは火を見るよりも明らかで、部室全体に懐疑的な雰囲気が漂う。

「いーやまじですって!ホールのドアからちらっと!」
「それはどちらかというと観ていないに属するんだよ」

 奴の隣で山城くんが「佑やめなって...!」とあたふたしているのが見えた。

「...まあいいです。入部してくれた新入部員のみんな本当にありがとう。俺は今年度部長の淡島景(あわしま けい)です。ご覧の通り十五人前後しかいない部なんですけど、九月の文化祭に向けて頑張っていきたいと思っています。半年間よろしくお願いします!」

 改めて今年度の部員たちに名乗って頭を下げる。多少気に障るやつがいても、俺の大切な仲間たちに迷惑をかける訳にはいかない。

 ***

「だーーーっ!まじで腹立つ!」
「あーあの途中入部のやつ?上野、だっけ」

 高等科三階。階段近くのC組教室で俺は早々に根を上げていた。窓側の席で机に伏せる俺の頭上から軽快な笑い声が聞こえる。こいつも同じ演劇部の生田(いくた)だ。

「俺は音響だからあんま絡みねーけどさ、上野あの感じでキャスト入ったんだっけ?うけんね」

 うちの部はキャスト、衣装、大道具、音響、照明の五部署に分かれている。入部したら希望書を出してもらって、部長と顧問で少し調整して配属先を決めるのだ。まあ大体が希望通りに配属されるけど。

「キャストっつっても部署内でオーディションあるから文化祭公演出るとは限んないけどな。冷やかしでキャストなれるほど腐ってないっての」
「はは、ブチ切れじゃん」

 希望調査で上野のやけに綺麗な記名の隣にキャストの四文字が踊っていた時は驚いた。

「山城くんと幼馴染って聞いてたからてっきり照明入ると思ってたんだけどな」
「友達と離れても部長の勇姿を側で見たいってことっしょ!熱烈じゃーん」
「ストーカーなら素直に部活してほしいよ」

 生田はいつものように適当に返事をしながら単語帳に目を落とした。効率主義の彼は大体マルチタスクで話を聞いているが、流しているように見えてしっかり会話を覚えていたりするんだから秀才の脳は不思議だ。

「でも上野って意外と演技できるのおもろいよな」
「いやそこな!発声とかテキトーなくせに寸劇台本持たせると意外と見れるもん演ってくるから腹立つんだよな」

 そう。俺が煮え切らない部分はそこなのだ。いつも発声練習や早口言葉などの基礎練の時はぼーっと外を眺めているのにもかかわらず、いざグループ演技が始まると上手い。まあ甘い部分もあるが、初心者にありがちな速すぎるだとか滑舌が甘くて台詞が滑っているというようなことが殆どないのだ。何か演技や放送の部類を齧っていたのだろうか。

「あれ、上野ちゃんの話?」
「あオカン」

 斜め前の席に座っていた巨体が振り返る。同じクラスの鎧塚(よろいづか)、あだ名はオカンだ。その体躯と名前のいかつさに似合わぬ面倒見の良さ____特には料理の上手さが定評だ。

「オカン上野知ってんの?オカンって料理部の部長だよね」
「あれ淡島たちの方こそ知らないのか?上野ちゃんは元々料理部部員だぞ」
「「は、はあ!?」」

 思わず生田と声が揃う。あの上野が...?小生意気なあいつがエプロンを付けて料理をしている姿なんて想像がつかなすぎる。

「上野って、あの上野佑だよな」
「そうだって。料理もお菓子作りも上手かったんだけどな。劇部に引き抜きされたって料理部内ではなかなかに敵対視されてるぞ、おまえら」

 身に覚えのない密かな恨みの存在を知らされて身震いする。冗談半分で勧誘はしたが、本当に入部してくるなんてこちらとしても想定外だ。

「器用で真面目な奴だったからな。退部届もらう時にちらっと理由聞いたら『社会科見学してきます』なんて言ってたから熱烈な劇部の勧誘でもあったのかと思ったよ」
「いやいやいや」
「ふは、社会科見学って。やっぱりお試し交流のつもりなんかね」

 情報が出揃うほどに輪郭がぼやけていく上野像に困惑する。俺と生田の頭上にはエクスクラメーションマークが浮かんだまま、チャイムが鳴った。

***

「はーいじゃあ暇な人はフット下げてー」

 放課後。ホールの大きな時計は短針が六に差し掛かったあたりだろうか。六月に入って文化祭に向けての本格的な準備が始まりつつあった。普段は合唱部や吹部などの他の文化系部活に取られてしまう大きなホールも、使う権利が出てくる頃だ。
 俺が半年間温めた渾身の脚本は出来上がっているが、まだキャストが決まっていない。今日は今年度入って初めてのホール練だった為、各部署新入部員への機材説明やちょっとした寸劇で部活時間は幕を閉じた。

「部長!脚本グループメッセージに上がってたの読んで照明案作ってみたんですけど......」

 ポリカラーの片付けをしているとぽん、と肩を叩かれる。山城くんがおそるおそる資料を差し出していた。

「え!?作ってくれたの?俺照明の知識ないからどうしようか迷ってたんだけど本当にこれ使っていいの?」
「は、はい...!」

 嬉しそうに彼が笑う。副部長の山城くんは俺の期待以上に働いてくれている。いつも助けられてばかりだ。

「ヤマお前照明案とか作れんの?すげー」
「げ、上野」

 小柄な山城くんの後ろから細身の長身が顔を出す。

「げってなんすか、げって」
「上野おまえ今日何もしてないだろ。オーディションも近いんだから発声くらいちゃんとやっとけよ」
「やってますって。てかずっと思ってたんですけど、あんた他の後輩には大体くん付けなのに俺だけ呼び捨てなのサベツっすか?かなしー」
「お前も俺のこと先輩って呼んだことないだろ」
「呼んでほしいんですか?かわいいっすね」
「お前なあ......」

 最近はいつもこうだ。目が合えば変なやっかみを付けられて小競り合いをする。その間で山城くんがあたふたしている。そろそろ彼を見習ってほしい。
 ポリカラーの箱を端に寄せて片付けを終える。フットライトも全て下げ終わった様だし、本日の部活はもう解散にしようか。

「一旦聞いてくださーい!部活お疲れ様でした。今日はこれで解散で大丈夫です。オーディションも近いし役が決まってからも練習期間があまりないので、今日から夏休みの数日間は自主練に空き教室使っても良いそうです。うまく活用してください!じゃあ終わりで大丈夫です」

 部員一同のお疲れ様でしたという声が響いてまたざわざわとした空気に戻る。

「淡島これ倉庫戻さなくていいんだっけ」
「...あ」

 俺も帰ろうかとリュックを背負ったところで隣の椅子に置いたままの小道具類と目が合う。何個か試してみようと大道具の誰かが持ってきたのだろう。見渡す限り大道具の子は見当たらないし、俺が持って行くしなないと腹を括る。

「悪ぃ淡島、俺塾あるから後輩とかに手伝ってもらって」

 そう言って生田が足早にホールを後にする。押し付けか本当か絶妙なラインで責めようにも責められない。

「あー...誰か」
「先輩!俺行きます」

 こちらを窺っていた山城くんがここぞとばかりに手を挙げる。今日はいつも以上に山城くんに頼りづくである。

「また山城か?たまには上野も手伝ったらどうなんだ」

 生徒にしては低すぎる声に呼び止められる。物理教師かつ演劇部顧問の黒田先生が眠そうに目を擦っていた。顧問といっても名ばかりの存在で、彼自身もそれを分かっているのか部活中は基本的に寝てばかりだ。それ故に生徒からのあだ名はヒメ。眠り姫のヒメである。小太りでいつもはち切れそうな黒スーツを身に纏っている彼を姫呼ばわりするミスマッチさが相まって、なぜか生徒からそこそこの高評価を勝ち得ている。

「えーー俺?」
「基礎練もサボってばかりだろ。少しくらいは手伝ってやれ」

 いつも寝てばかりで部活の前半しか見ていないヒメには、上野は生徒目線以上にサボり魔として映っているようだ。しぶしぶ上野はお茶セットなどの小道具を抱える。

「お前ヒメにも目つけられてるなんて大概だな」
「物理の成績は悪くないんですけどね」

 ホールを出て部活倉庫がある旧校舎に渡る渡り廊下へと向かう。ヒメは倉庫の鍵を取りに職員室へ行くと言って消えてしまったし、山城も下駄箱で上野を待つと言って昇降口へ向かってしまった。
 上野と二人きり。なんとなくの気まずさが漂う。

「...気まずいとか思ってます?」
「は、いや、思ってないけど」
「俺は気まずいっすよ」
「...お前が言うなよ」

 上野が掴めない。聞きたいことは沢山あったはずなのにいざ目の前にすると案外出てこないものだ。

「あ、お前元々料理部だったんだってな。驚いたよ」
「あーオカン先輩に聞きました?実は料理出来る系男子なんで、モテちゃいますね」

 オカン呼びは世界共通なのか。それにしてもオカンには敬称をつけるのに俺にはいつになったら先輩だと認識してくれるのだろうか。

「にしてもなんで料理部なんだ?言っちゃ悪いけど帰宅部だと思ってたわ」
「料理は裏切らないんでね。部活史上最も生活に役立つでしょ。親が部活には入れってうるさかったんで、運動部は拘束時間が長いし演劇とか吹部とか夢追う系は論外だし」
「お前なあ......」
「でも本当でしょ。形のない憧ればっか追っててもそれを掴むのはほんの一握りの人間なんですよ。それなら最初から堅実に生きていた方が損しなくて済む」

 そう平然と言ってのける上野の考えは入部当初から全く変わってないようだ。薄々感じてはいたが上野の夢嫌いはなかなか根強いものらしい。
 
「損得で諦められる時点でその程度のものだったってことなんじゃないか?お前も本当に手に入れたいものができたらきっと分かるよ」
「はっ、ご高説どうも」

 なりたいものや憧れは辞めようと思って辞められるものじゃない。俺は小学生の時に学芸会で主役の景色を見てしまった時からこの世界から抜け出せずにいるのだ。あの瞬間、俺はある意味で演劇に恋焦がれてしまった。
 そうこう言っているうちに倉庫に着いたが、まだヒメが来る気配はない。

「俺は上野の演技好きだけどな。基礎練サボってるせいで危なっかしくはあるけど、人に見せようっていう意志を感じる。一回ちゃんと向き合ってみればいいのに」
「......あーまあ俺なんでもできるんで?ナンパはご遠慮くださーい」

 少しの沈黙があってまたいつものふざけた口調に戻る。荒削りではあるが上野の演技が良いものであるのは事実だ。しっかり向き合えばオーディションで良い役を貰うのも夢じゃないだろう。

「ヒメセン来ないっすね」
「また職員室で寝てるんじゃないか」

 倉庫前の廊下に座り込む。小道具の袋の重量で腕が少し赤くなっていた。見上げれば窓の外はもう夕焼けを過ぎている。

「...センパイ彼女とかいるんすか」
「は、はあ!?なんだよ突然に」

 藪から棒な話題に思わず声を荒げる。

「いやぁうちの学校の文化祭結構大々的じゃないですか。やっぱ劇部ともなると他校の女子とか?声掛かったり?」
「はあ...」
「って思ったんですけどごめんなさい心苦しいですよね。居るはずないのに」
「お前なあ...!いや、まあ居ない、けど」
「そっか、良かった」
「良かったってなんだよ良かったって!てかさっき先輩って言っただろ!ようやくだな」

 俺は見逃さないぞ、と詰め寄る。しれっと先輩呼びしたことはかなりの快挙である。

「はっはは、本当に気にしてたんですか、先輩」

 何がおかしいのかいつになく楽しげな上野の笑い声が響く。遠くでばたばたと階段を駆け上がる足音と鍵の音が聞こえた。