刻の輪廻で君を守る

***

 女医先生やソリスト教国の馬車は中心街へと帰っていった。

 俺もレイチェル一家だけの時間が必要だろうと隣の実家に帰ろうとしたのだが、引き留めたのはサファナおじさんだった。

“もし良ければなんだが……娘の為に、アシュレイ君には付いていてあげて欲しいんだ”

 そう言って引き留めたおじさんの背中の奥には、まだ身体を細かく震わせるレイチェルの姿があった。そして、

“アッシュ……居て欲しい……怖いのよ……”

 まるで幼子のように。

 かくして、俺はサファナ一家の夕食にご一緒させてもらうこととなった。

 食事も終わり、サファナおばさんが食器を片付けしてる間もレイチェルは俺の右手をギュッと握り締めたままだった。

 ……昔、レイチェルがまだ幼かった時はこうしてよく手を繋いであげてたな。

 少し、懐かしさも感じる。

 しかし、もう夜も更けつつある。

「すみません、では俺もそろそろお(いとま)しますね」

 と、立ち上がるとレイチェルが握っていた右手をギュッと引っ張る。

 お、おい!?

「お願い! ……アッシュ、寝る時も側に居て欲しい……」

 う、……そ、それをこの場で言いますか……ご、ご両親がいるこの場で!?

 流石に困惑の表情を浮かべるサファナおじさん。そら、そーだって。昔みたいな子供同士では無いのだから。

「ごめんなさい……無理を言ってるのは自分でもわかってる……でも……怖いのよ……一人で寝ていると」

 ……襲われた時の記憶が蘇りそうで……

 その先は言葉にしなくてもわかった。

 今も、その時のことを思い出したのだろう。両肩を自身の両手で抱き締めながら再び涙が滲む。

「アシュレイ君、良ければレイチェルの側にいてあげて欲しいの。今のこの娘は貴方を必要としていると思うから」

 それは食器を洗っていたサファナおばさんの言葉だった。

 俺を信用してくれている言葉。

 本当なら、もっと別の場で聞きたかったものでもあるが。

「…………」

 不安げに隣の俺をじっと上目遣いに見つめるレイチェル。俺が頷くと、ホッとしたように笑顔を見せた。






 オフィエル祭の最終夜にも訪れたレイチェルの自室。

 柔らかい色調のピンクや茶色で統一された中、唯一異様な存在感を示す大きな本棚と黒い背表紙の本の数々。

 その隣にレイチェルの少し広めのベッドがあった。

 俺の実家にはサファナおじさんが事情を説明しに行ったようだが、

『アイツならレイチェルさんの為にこき使ってやって下さい』

 とだけだったらしい。ウチのオヤジらしい、放任的だが今回は有り難かった。

 ずっと俺の右手を握って離さないレイチェルはそのまま、ベットの中で背中を丸めてまるで胎児のような格好で横になっている。

 その反対側に俺も横になって寝ていた。

 右手はやはり掴まれたまま。

 だが、俺自身が近づくとまだ昼の時の記憶が甦るのだろう、ガタガタと身体が震えてしまうので俺自身はベッドの端にまでできるだけ距離を取らざるを得なかった。

「ゴメンなさい……アッシュなのに……好きなのに……」

 何度も謝罪の言葉を口にするレイチェルにゆっくり首を振って否定する。

「大丈夫だ。……レイチェル、俺の方こそすまない。俺が、自分の気持ちと向き合わなかったから、こんなにも時間を掛けてしまって」

 だから、もう一度、ハッキリと口にした。

「レイチェル、俺はレイチェルのことが好きだ。俺はレイチェルを守り続けたい」
「うん……ありがと。私も……ずっと好き。アッシュと……一緒に並んで歩みたい……なのに……こんなに、なって……」

 レイチェル……。

 本当は今すぐ抱き締めてやりたい。なのに、それさえも叶わない。

 ただただ、幼いレイチェルにしてた様に頭を撫で続けてあげるしか。

 しかし、そうすることで安心したのか、徐々にレイチェルの桜色の唇から寝息がこぼれだす。

 ただ、俺の右手はその胸元にギュッと握られたままだが。

 穏やかな寝息が安定して聞こえてきて、ようやく彼女が寝ついたことがわかる。

 やはり、今日はずっと緊張していたのだろう。すぐに熟睡していた。

 しかし——これは、逆にキツイ。

 少し身体を離しているも同じベッドの中で向かい合う男女。

 目の前にはレイチェルの可憐な寝顔がある。その長く(はかな)い睫毛の数さえ数えられる距離。

 甘い、女の子特有の鼻腔をくすぐる匂い。

 そして、桜色の小さな唇。

 わかってる。

 レイチェルは、男の暴力に恐怖し、心を傷つけられた。

 絶対に彼女を傷つけてはいけない。

 だから、俺が変なことを考えてはいけないのだ。

 そうなのだけど……

「けど、この状況は流石はなぁ……」

 なんとゆーか、ある意味、こっちが緊張しっぱなしだぞ、おい。

 悶々とする中、俺は朝まで一睡も出来なかったのだった。








 翌朝、昨日の女医先生が往診でサファナ家にやって来てくれた。

 時計塔の文字盤は、



 10:30



 時間を掛けて、レイチェルを問診、診察してくれた結果、わかったことはやはり彼女が受けた心の傷は深い、ということだった。

“トラウマ反応と言うのよ。男性に対する回避症状として出てるのが身体の震え。そして情動の変化。再体験症状がないのはアシュレイ君が彼女に付いていてあげてるお陰かもしれないわ”

 専門的であり、全てが理解できる訳では無いのだが、いずれにせよ、治療には時間を掛けるしかない、ということだった。

 サファナおじさんへも、昨日よりは大分マシだが、やはり近づくと身体が震え出すことは止められなかった。

 家族ですら、こうなのだ。

 外に、公共の場に出れるのはそれこそ、もっと先になるだろう。

 だからこそ、俺は俺がやるべき事をやらなければ……









 懐中時計で時間を確かめる。

 時刻は、



 13:15



 サファナ家から出ようとするとレイチェルは
「あ……アッシュ、行くのね?」

 と、俺を不安げに見つめて来た。

「ああ……夜には必ず戻る」
「うん…………待ってるから」

 それでも不安そうなレイチェルの頭を1回だけ撫でてやり、俺は中心街へと向かったのだった。









 そして、俺が訪れたのは中心街、行政地区にある憲兵隊本部。

 時計塔の時刻は、



 14:45



 ユリウスが、あらかじめ門番にも話を通していたのだろう。

 名前を出すと、直ぐに案内役が現れ、例の執務室へと。

 まぁ、あの時間軸は『刻戻り』で改変されたんで、実際に訪れるのはこれが初めてになる訳だが。

 と、ドアを開けると中にいたのはニコニコ顔のバルに、仏頂面のユリウス。

 その奥で、ワルターさんが困り果てた顔をしていた。

「こーんな小綺麗な部屋なんて、ユリウスに必要あるのかナー? 床なんて盾や鎧で、ぐちゃぐちゃじゃーん」
「き、貴様……折角、執務室にあげてやったと言うのに……その態度はなんだッ!」
「お、やるのかナー? でも、僕、判事長からもらった逮捕免除証があるもんネー」

 そう言ってヒラヒラと一枚の書類をユリウスの顔面に突き出す。

 多分、公判前にクリフトン教授から渡されたバルが逮捕されないことを保証する書類なのだろう。

 まぁ、それがあるからこそ、バルも含めてこの憲兵隊本部で話し合いを、としたのだが……。

 これまで敵対していたはずの憲兵隊本部に入れる様になって嬉しくてはしゃぎたいのはわかる。わかるが……

「バル。すまないが、ユリウスの言う通りだ。あまりふざけた態度はやめてくれ」
「あ、うん……すまんのだなー」

 そうでなくても昨日は寝れなくて、甲高い声は頭に響くんだよ……

 俺の剣幕にバルもすぐに謝罪する。

 ユリウスも、ハァーッとため息をつく。

 ここにいるのはこの執務室の主であるユリウス、それにバルとワルターさんだった。

 ……そういや、セレスさんには昨日、この会のことを伝えてなかったっけ? レイチェルを見てもらう為に俺と入れ替わってもらったからか。

 それはさておき。

「すまないが、『チーム・アッシュ()』にお願いした結果を教えてくれないか」

 そう、まずはその確認だった。

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