刻の輪廻で君を守る

***

「どうしたの? 変なアシュレイお兄ちゃん。お母さん、お買い物に行って留守だからミリーがお茶を出してくるね」
「あ、おい。ミリー、実は……」

『お前の飼っているカナリアが野良猫に襲われそうなんだ!』と言おうとしたのだが、何故かその後半の言葉は言葉にならなかった。

 舌が何故か動かない。

 ミリーに伝えなければならないのに。なぜ……?

「どうしたの? 変なアシュレイお兄ちゃん。『実は』って何なのかな? 取り敢えずお茶しながらまた聞かせてくれるかな?」

 そう言ってミリーは台所にお茶を取りに行ってしまった。

 傍目からすると勝手知ったるとは言えアポ無しで突然訪れた来客に対して本当にできた娘だよ。

 それは兎も角。



 これはどういうことだ?



 推定される事実としては……本当に昨日の『ミリーのカナリアが猫に襲われる前の時間』なのか? それとも単なる夢? あの天使達に連れ去られてしまった死後の世界線ってのだけは勘弁願う。



 わからない。

 本当はただ馬車の中で俺自身が寝こけているのかもしれない。

 ……だとしても、だ。



 考える。

 僅かでも、これが、可能性がある話、であるのなら。

 それが夢みたいな話であったとしても。

 あの……ミリーの悲しい顔を防げるのなら。また、レイチェルのジト目を浴びずに済むんであれば。



 ——やれることは取り敢えずやってみるべき、か。



 そう自分の中で結論づけて台所にいるミリーの所へ行こうとドアに手を掛け……

 手がすり抜けてしまった。



「あれ?」



 思わず声が出てしまった。

 ドアノブに手を掛けて押し開こうとした瞬間、俺の右手がドアを突き抜けてしまったのだ。いや、比喩じゃないって。

 ドア板に俺の手首までが飲み込まれてる状態。

 落ち着け。特に痛みはない。

 恐る恐る右手を引っぱり抜くと俺の右手は無事、戻ってきた。大丈夫、怪我はないし、グーパー出来る。

 なんだこれは? 怪奇現象か?

 もう一度、ドアノブに手を掛けてみた。ノブに触れている感触はある。

 で、そのまま回してドアを開こうとした瞬間、再び右手はズレてドア板に喰われてしまった。

 これは……まずいかもしれん。

 と、焦ってる俺の前でドアの方がバタンと開いてしまう。

「あれ? どうしたのアシュレイお兄ちゃん? こんなドアの前で立ってて。ほら、ちゃんとミリーがお茶入れたからそこで一緒にお茶しようよ」

「あ、ああ。すまんな、ミリーがどんなお茶を入れるのか気になってしまって」

「やだなぁ、アシュレイお兄ちゃん。もうミリーだってお茶ぐらい入れられるよ。お母さんに習ったんだもん」

 渋々、元のテーブル席に戻ることに。

 大丈夫。椅子に座ることは出来る。突き抜けることはない。

 恐らく、『触れる』ことは出来るのだろう。

 だが、『押したり引いたり』、物の位置を変えることは……多分、出来ない。

「はーい、これがミリー特製紅茶でーす。良ければ感想を教えてね、アシュレイお兄ちゃん」

 ……現時点で自分がどんな『存在』になってしまっているのかの疑問は甚だあるが、先の現象から推察するにこの目の前の紅茶も俺は『飲む』ことが出来ない可能性が高い。


 そもそもティーカップを持ち上げることすら出来ないんではなかろうか。



 でだ。

 このまま出してくれた紅茶の前で固まってしまっているとミリーが不審に思ってしまうのは明らかだろう。

 どうしたら、と困ってしまって外を見ると既に時計塔の文字盤は11:55を指していた。

 ミリーは『お昼の鐘の音が鳴った時』に猫とカナリアが争う音を聞いた、と言っていたはず。

 時計塔のお昼の鐘の音は12:00だ。



 まずい。



 このままでは、またミリーの話していたことが繰り返してしまう。

 ……ような気がする。

 しかし、俺はミリーにその事を伝えることができない。

 伝えようとしても何故か舌がこわばってしまって言葉にならないのだ。

 どうすれば……

「変なアシュレイお兄ちゃん? ところで今日はどうしてミリーのお家に?」

 そうだ、それだ!

「そうそう! 最近、鳥の声が聞こえてきてな。もしかしてミリー、最近、鳥を飼ったのか?」
「うん、そうなんだ! お父さんがこの間の試験、頑張ったご褒美だよってフィッチを買ってくれたの。すっごく可愛いんだよー」

 ……よし、この話題なら喋れる。

「そうか、それは良かったな。良ければ俺にもそのカナリアを見せてくれないか?」
「あれ? アシュレイお兄ちゃんにフィッチがカナリアだって言ったっけ?」

 おっとまずい。

 口が滑った。

 緊張で喉が少し乾くのを自覚しながら場を誤魔化す言葉を慎重に選ぶ。

「いや、鳴き声でカナリアだろうとな。そうだったのか?」
「うん、そうだよ。さっきも言ったけど、すっごく可愛いんだ。じゃあ、アシュレイお兄ちゃんにも見てもらうね。鳴き声もすっごく可愛いんだからねー」

 ……危なかった。



 ミリーは直ぐにリビングを出て2階に上がって行った。

 それからしばらくして、

『な、なにコイツ! ダメ!』
『ニャーギャニャニャー!』
『あ、鍵が開いてた! 危なかったよー!』

 そんな声が上の方でドタバタと聞こえてきて……

 まぁ……これは……間に合ったのかな。

 と、ふと時計塔を見ると12:00を示しており、
 


 リーンゴーンリーンゴーン



 昼の鐘の音が町中に鳴り響く中。



 またしても世界が灰色のモノクロームに染まって……再び、反転していく。

 世界が反転していく。

 世界が反転。

 …………



 ふと、気がつくとそこは再び馬車の中だった。

 夕日も落ち掛けており辺りは薄暗い中、ランタンを(とも)した馬車はクロノクル市の郊外へと進んでいく。

 隣ではレイチェルとミリーが楽しげに会話していた。

「そうなんだ、ミリー。カナリアを飼い始めたの?」

「うん、そうなの。すっごく可愛く鳴くんだよー。またレイチェルお姉ちゃんも見に来てよ。あ、アシュレイお兄ちゃんも一緒に」

「て、お誘いされてるわよアッシュ。そんなにボーッとしてどうしたの? 司書の仕事は何もなくて楽ー、てさっき言ってたのに。……それとも私の探し物に付き合わせちゃったのが疲れちゃった?」

 ちょっと申し訳なさそうにこちらをうかがうレイチェルに、苦笑を返して応える。

「いや、一緒に見に行きたいよな。その時はまた美味しい紅茶をお願いするぞ、ミリー」

「うん! この間、お母さんに習ったんだ。2人とも楽しみにしててよー!」 

「うん、私も楽しみにしてるね」

「ありがとう! レイチェルお姉ちゃん。そう言えば明後日の日曜からのオフィエル祭なんだけど……」

「ミリーもお祭りに行くのよね。今度、一緒に行こっか?」

「うん!」

 ……ミリーが笑っている。いつもの明るい笑顔で。

 もはや、あの泣き顔は、俺の記憶の中だけのものになっていて、その面影はどこにもなかった。

 何が起こったのか、俺にはまだ理解は出来ない。

 俺は本当に……時間を巻き戻したのか?

 それとも、ただの夢だったのか?

 でも、ミリーのこの笑顔を守れた。

 それだけは確かなのだから。

⭐︎⭐︎⭐︎