刻の輪廻で君を守る

***

 もう陽はほとんど地平線に落ちようとしていた。

 周囲の空き家の出入り口は例の袋小路にはなく、グルッと回らなければならない。その数も距離もかなりのものだが、ワイヤーの落ちていた位置から、その全てを探すのではなく、大体のあたりはつけていた。

 その内の一軒の家に立ち入る。

 壁も天井も、ほぼ崩れ落ちており、夕暮れ時の空が下から良く見える。

 何やら調理場らしき竈などの跡にボロボロのカウンター、へし折れたテーブルの数々。椅子の残骸らしきものが転がっている。

「……ここは10年前までは小さな酒場だったそうだ。夫婦で切り盛りしていたそうだが、どんどん経営が傾き10年前に夜逃げして以来、ここはこのまま、らしい」

 なぜか俺たちに付いてくるユリウスが解説してくれる。

 流石、役所の資料にもアクセスし放題なだけあって見ただけじゃ分かりっこないことまで教えてくれて、ありがとーですよ、クソ。

「? 少尉が教えてくれたのになんで不機嫌になるのよ、アッシュ?」

 いや、別に。

 関係ないのに俺らについてくるのが気に入らないとかそんな理由では……

「……リアンの捜索はどうなってるんだよ」
「言ったろう? 憲兵隊の内部情報は言えんと」

 俺らは関係者だぞ。ったく。

 奥にあった崩れかけのドアをくぐる。

 そこにあったのは、これまた同じくボロボロに崩れ果てた酒樽の数々。

「蔵、だったのね……」

 ごく僅かに無事な酒樽もあり、蓋を開けるも当然、中身は何も無い。

 10年前、だからなぁ。

 壁も天井も崩れ落ちつつあり、蔵であることを示すのはこれら酒樽の残骸ぐらい。

 その更に奥の扉を開けて出る。

「庭、かしら……」

 そこはちょっとした広場だった。レイチェルの言うように庭だったのだろうが、雑草が伸び放題に伸びている。

 ここにも幾つか酒樽の残骸が放置されており、どうもこの庭のある勝手口からも蔵に酒樽を運べる構造になっていたらしい。

 ほぼ陽は落ちきっており、俺たちの影が長く伸びていた。

 と、そこに別の憲兵が走ってくる。

「分隊長殿! ご報告が!」
「なんだ? ……うーん……」

 チラッと俺たちを見てから、伝令と思しき憲兵と庭の端に移動してこそこそと報告を受ける。

 ……そんな聞き耳なんか立てたりせんわい。

「やっぱり、なんかアッシュって少尉に対して不機嫌よねー。何かあったの?」
「別に。さっき初対面で何もあるわけないだろ」
「それもその筈なのよね……」

 右腕の痛みがじんわりしてくる。

 機嫌が悪いのはこの痛みのせいだな、きっと。

 と、その時、

「馬鹿なッ! 誰が許可したのだ!? 港湾局が認めたのか!」

 辺りに響くほどの大声でユリウスが叫んだ。

 機密情報だったんじゃないのかよ……という突っ込みが出来るレベルではない。

 明らかに真っ青になって目の前を凝視していた。

「……」

 そして、こちらに来るとそっとレイチェルを招く。

「え? うーん……」

 俺の支えから離れることを少し悩むも、俺が大丈夫だから、と合図するとしぶしぶユリウスの元で何やら話し始める。

 その間、俺はまた地面を端から端へとじっくり調べていく。

 雑草だらけの中に酒樽の破片であろう木片が散らばり、そして……一部、雑草が何かで折れている部分がある。

 この跡は?

「ええ!? アルサルトの蒸気船が出航するのを誰が許可したのよ! 容疑者の船をそのまま見過ごしたの!?」
「サファナ判事、声が大きい!」
「でも、それって……それって……」

 あのレイチェルがひどく動揺している。滅多なことで動じないあの、レイチェルが?

 レイチェルは俺の方を見て、どう口にするか答えあぐね、そして意を決して口を開く。

「アッシュ、聞いて欲しいの」
「サファナ判事! 彼は部外者です!」
「彼は関係者よ! 私もね! 聞いてもらう必要があるわ」
「……わかりました」

 ユリウスが不承不承、頷く。




「今、入った報告によると大商人アルサルトの持つ蒸気船がつい先ほど、港を出航したらしいの」

 蒸気船。まだ世界でも僅かしか無い、蒸気機関を推力に利用した船か。

 ミリーが見に行きたい、と言っていたヤツだ。

 そう言えば、ここに来る前に何やら汽笛のようなものを聞いた気がする。あれは出港前の合図のやつか?

 だが、それがどうしたと言うのだ。その船が出航することになんの意味がある?

「問題は、その船の持ち主なのよ。アルサルト・リーベラ。大国、カルタ帝国お抱えの大商人。問題は、彼はこのクロノクル市で奴隷売買という違法行為を行った可能性があるのよ」

 奴隷?

 なんだ、それは?

 言葉としては知っている。だが、今までの俺たちの日常に無い言葉。

「このクロノクル市では当然、奴隷は違法よ。でもまだ、この世界では奴隷が合法の国もある。……そして彼はその違法な奴隷売買をこのクロノクル市で行った嫌疑が掛けられて今、勾留中なの」

 勾留中?

 しかし、それでは……

「そうだ。持ち主が勾留中にも関わらず、船は出航した」

 ユリウスはその事実を俺に明かした。

 頭の中で今まで全くバラバラのキーワードがそれぞれ、今、意味を持って繋がろうとしつつある。

 だが、これは、繋がった先にあるのは……

「……もう一つ、悪い話があるの」

 鎮痛な面持ちでレイチェルは、そっと口を開いた。言うべきか言わざるべきかを悩みつつ、それでも彼女は俺に、その事実を伝える。

「彼は、その中で、特に、子供の奴隷を探してる可能性があるの」

 子供……なんだ、それは……

「天使のような子を……」

 『天使』……『銀髪』と『黄金眼』の聖天使オフィエル……

 リアン……

「だが、港へ通じる大通りは自分の部隊が警備を担当していた。変装して配置していた担当者も含めて、子供やそれに似た物を背中に抱えて通ったヤツはいない。その報告は無い!」

 あれ程、俺に情報を伝えたがらなかったユリウスが、必死に『大丈夫だ』と話す。

 いや……しかし……これは、もう……

「?? どうしたの、アッシュ?」

 これは……もう……どうにも……

 俺は震える指先で地面を指す。ようやく、痛みがおさまりつつある右手で。

 その地面には2本の線のような跡があった。

「これは……何なの?」
「轍、だ、これは。恐らく馬車の」

 俺の言葉に2人は弾かれたように顔をあげる。

「ここで、リアンは酒樽に入れられて、馬車で港に運ばれていったんだ」



 レイチェルが喉を抑えて足元から崩れ落ちる。見開いた目にはこれまでに俺が見たこともないほどの不安と恐怖に彩られていた。

 天才少女の強さが崩れ落ちた瞬間だった。



 そう。


 ——それが、もう戻らない事実だった。


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