刻の輪廻で君を守る

***


 私は、彼にとって、ずっと大切な妹だった。

 いや、それは今もだろう。



 町の中心部から私たちの住む郊外へと、辻馬車はゆっくりと走り続けていた。

 夕暮れが落ちる。

 隣では、私の大事な幼馴染みであるミリーが最近、飼い出したカナリアが如何(いか)に可愛く鳴くのかを語っていた。

 そして、その向こう側、もう一人の幼馴染みである、アッシュ——アシュレイ・ノートン——は、少し疲れた表情で固い馬車のシートに座り込んでいた。

 ……どうして、そんなに疲れてるのだろう。

「そんなにボーッとしてどうしたの? 司書の仕事は何もなくて(らく)ー、てさっき言ってたのに。……それとも私の探し物に付き合わせちゃったのが疲れちゃった?」

 ちょっと申し訳なくて、問うてみた。

「……いや、大丈夫だ。またミリーの家へお誘いを受けに行くか」

 彼は苦笑して『何でもない』と誤魔化す。いつもの、何かを隠している時の苦笑い。

 やはり、何かあったのだ。


 これは……彼の悪い癖だ。

 どれだけ、それが大変で苦しいことでも私たち、特に私には決して見せない。

 兄として、私たちを守ろうとする。

 たとえ、私自身がそれを望んで無いとしても。

 彼に追いつきたくて、その横に並びたくて私は必死に頑張った。

 頑張って勉強し、飛び級を繰り返し……いつの間にか2個上の彼自身の学年も飛び越えてこの春、史上初の女性判事にもなった。

 ここまで来たのに、一番褒めて欲しい認めてほしい人は、まだ私に心を開いてくれない。

 いつまで私は『守られる大事な妹』なのだろう。

 いつ、私はその位置から抜け出して、彼に、対等に……1人の女性として、見てもらえるのだろうか。

 この想いはずっと私の中で(おり)のように溜まり続け、決して吐き出すことはない。

 そう、そもそもの始まりは10年前に(さかのぼ)る。







 あの頃は、まだミリーが1歳でちょうど、お庭で歩き始めた頃だった。


「れぃちゅ、れぃちゅー」

 辿々(たどたど)しい言葉で私のことをそう呼んでくれる。

 ちっちゃくて、すっごく可愛いかった。

 いや、今も可愛いのだけど。



「ふふっ、『レイチェルお姉ちゃん』よ、ミリー。まだうまく言えなくても、ちゃーんとお姉ちゃんの名前は覚えておきましょうね」
「大丈夫ですよ、クリエッタおばさん。『れぃちゅ』ってすっごく可愛い呼び名だし。ありがとう、ミリーちゃん」

 お礼を言うと意味がわかったのかニッコリと笑顔。

 ほんっとうに可愛い。

 ああ、また抱きしめたくなっちゃう。

「ねえねえ、クリエッタおばさん。私、ミリーちゃんの為に花輪をプレゼントしてあげてもいいかな? すっごく似合うと思うの」
「あら、ありがとう。でも、この辺りに花輪を作れるようなお花って植えてあったかしら?」

 おばさんはお庭の花を使うのだと思ったみたい。

「おばさん、違うよ。レイチェルはエルム草原まで行こう、て言ってるんだ。あそこならシロツメグサが生えているから」

 それまで何も言わずに、ジッと私とミリーちゃんが遊んでいるのを見守っていたアシュ兄ちゃんが口を開いた。

「エルム草原? あそこまでって少し遠くないかしら。土日ならピクニック用の辻馬車もあるけど、今日はそれも無いのだし」
「違うよ、おばさん。レイチェルは最近覚えた地図で行ってみたいだけ。花輪はついでだと思うよ」

 失礼ね。そんなことないわよ。ちゃーんとミリーちゃんに綺麗な花輪をプレゼントしたいんだから。

 お隣同士の私、アシュ兄ちゃんは、つい最近生まれたミリーちゃんを囲んでこうしてよく遊んでいた。

 まだまだミリーちゃんは幼かったので、私とアシュ兄ちゃんだけで遊ぶことも多かったのだけども

 そう、それで最近、地図の見方を先生から習って色々と読めるようになったの。ピクニックでよく皆で行くエルム草原も頑張れば1時間ぐらいで行けることも地図で知った。

「出かけるってことは帰りもあるってことなんだよ、レイチェル」
「そんなのわかってるわよ。でも行って帰ってで2時間もかからないでしょ? 今からなら3時のティータイムに間に合うわ」
「……言い出したら聞かないな、レイチェルは」

 根負けしたようにアシュ兄ちゃんは片手を挙げる。

 なんのかんの言ってアシュ兄ちゃんは私の言う事を聞いてくれるのだ。





 港町クロノクル市を郊外から更に南東に向かってヘルベの森沿いの街道をぐるっと回った先にエルム草原がある。

 ちょっと小高い丘があってそこから一面に広がる草原はピクニックにちょうど良くって、休日にはよく遊びに行く人達もいて、私もパパとママとよくランチしたりしていた。

 なのでよく知ってるし、そんなに危険なとこじゃない。

 ただ、あそこにいるカラスが時々、私の大事なビー玉とかキラキラ光る物をお空から奪いに来るのはイヤだったけど。それ以外は大丈夫。





 夏のお日様が白く道を照らしつける。

 でも、街道沿いには緑も生い茂っていて、暑いのは暑いのだけど、耐えられないほどじゃない。

 でも、そこまでではないとしても……

「この暑い中にマントまで持ってくる必要はないんじゃないの? アシュ兄ちゃん」
「今は、な。こういう時はもしもの為の用意が必要なんだよ」

 ちょっぴり首筋から汗をかいている癖にアシュ兄ちゃんは何でもない風を装って答えた。

 こんな時、いつもアシュ兄ちゃんは直接、理由を教えてくれない。私はそれが不満だった。


 ——でも、今ならわかる。

 アシュ兄ちゃん……アッシュは私に心配や申し訳ない思いをさせたくなかったのだ。


 町を出て、少し行くと街道の分岐点に来た。

 地図ではこのまま右手にぐるっと回り込む形で行けばその先にエルム草原に着くみたい。

 でも、このまま真っ直ぐ行けば……




「ねぇ、このまま森の中を突っ切って行けば、そっちの方がエルム草原に着くのは早いんじゃないかしら」

 手元の地図には街道だけじゃなく、ヘルベの森の中の道も細かく書かれている。その道を辿れば、街道をぐるっと回るより真っ直ぐエルム草原に着けるはずだった。

「森の中の道は街道とは違う。道の分岐だって、こうやって案内の看板が出てるわけじゃないんだよ、レイチェル」

「看板が無くたってここに地図があるじゃない。大丈夫よ」

「森の中には色んな動物や虫もいたりする。危険があるかもしれない」

「あら、ヘルべの森は木こりのゴロー爺が居てるじゃない。何かあればゴロー爺の山小屋に行けばいいのよ」

「ゴロー爺、今年はヘルべの森に行くって聞いてないけど……」

「毎年、夏には行ってるんだから今年も行ってるに決まってるじゃない」


 近所の木こりのゴロー爺は毎年、夏から秋にかけてを森の中で過ごしてる。

 で、薪や木材を切ってきて、冬から春にかけては町のお家に帰ってきて私たちに森の色んなお話を聞かせてくれるのだ。

 なので、今年も山小屋でお仕事をしているはず。

 なのに、アシュ兄ちゃんは私の案に渋い顔を見せていた。

 もう、それだったら……

「わかったわよ。そしたら、アシュ兄ちゃんはそのまま街道沿いにエルム草原を目指して」

「え? それはどういう……」

「私は、このままヘルべの森を突っ切ってエルム草原に向かうわ。どっちが早いか競争よ!」

「バラバラになるのは、余計に危険だよ。レイチェル。それならまだ一緒に行く方が……」

「大丈夫! ちゃんと地図もあるし。心配しないで」

「ダメだ! レイチェル一人だなんて危険すぎる」

「もう! アシュ兄ちゃんは心配し過ぎなの。私も地図が読めたり色んなことが出来るようになったのよ。いつまでも幼い子扱いしないでよ!」

「…………」



 ちょっと言い過ぎたかもしれない。でも……私のことも、私が出来るってことも、アシュ兄ちゃんには見て欲しいし、知って欲しい。

 アシュ兄ちゃんはそれでも何とか私を納得させようとしたけれど、私がゴネ倒したら、本っ当に渋々、納得してくれたみたいだった。






「……本当に気をつけるんだよ、レイチェル」
「もう、さっきから何度も聞いたわよ、それ。大丈夫。ここに地図もあるし」

 アシュ兄ちゃんは何度も何度もこちらを振り返りながら街道を歩いて行った。

 よーし、これでどっちが早いか競争なんだから。


 森の中に一歩、入るとそこは全く別の世界だった。
 あれだけ明るかったお日様も鬱蒼と生い茂る木々で昼間なのにどんやりと暗く、ジメジメとした湿気が周囲に立ち込める。

 早速、後悔しかけちゃったけど、アシュ兄ちゃんにあれだけ『出来る!』て言っておいて引き返すなんて出来なかった。

 地図を見て、足元の小道を確認し進み続ける。

「…………」

 地図だと……もうすぐ四つ辻に出るはず……。

 蔦と薮が足元をまとわりつく。時折、知らない鳥の鳴き声が森をこだまする。

 大丈夫……もうすぐ四つ辻に……

 そう思ってぬかるんだ小道を進んでいた、その先に、

「……うそ……」

 そこは四つ辻じゃなく、丁字路になっていた。目の前を大きな石と土砂の壁が立ち塞がる。

 地図と違う? それともどこかで間違えた?

 どうすれば良いの? 右? 左?

 いつもなら、聞けば答えてくれるアシュ兄ちゃんは居ない。

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