隙間(スキマ)の桐谷さんは笑わない

 イベントの搬入の仕事は、宅配仕分けよりずっと重労働だった。

「はい、そっちの人! ここのパイプ椅子全部向こうの広場まで運んで。配置は広場のスタッフに聞いて!」

「は、はーい!」

 と両腕にいっぱいのパイプ椅子を持って、えっちらおっちら広場に行けば、

「えっ!? まだ椅子はいいよ。あー、とりあえずそこに積んでおいて。それより先にテントを立てるの手伝ってくれる?」

「へ? は、はい!」

「ちょっとこっちも手足りてないんだけど!」

 朝8時に集合してから、ずっと動き続けている気がする。汗でTシャツが背中に張りついて、日差しで頭がぼうっとする。動いて動いて動いて、目まぐるしく時間が過ぎていった。桐谷さんも同じ現場にいたけれど、チェックインするときに姿を見たくらいで、バイト中は何も話す隙もなかった。
 でも、今日の桐谷さんも、元気に生き生きと働いていた。職場では下ろしている黒髪を一つにまとめ、指示を受けるたびに小さくうなずく。その動きがやけにきれいで、時々目で追ってしまっていた。

「はい、じゃあ12時までのタイミーさんはここまでです。ありがとうございました。各自チェックアウトして、忘れ物には気を付けてね」

 へとへとになって倒れそうになりながら、無限とも思える長机を設置して整理していると、タイミー担当のスタッフさんから声がかかった。助かったあ、もう限界が来るところだった。首にかけたピンクのタオルで額の汗をぬぐいながら、チェックアウトに向かう。酷使しすぎて、腕がプルプル震えている。
 震える腕に落ち着くように言い聞かせながら、何とかスマホを取り出しチェックアウト用QRコードを読み取ろうと格闘していると、横からすっと桐谷さんがやってきた。

「貸して」

「え、あ、はい」

 私のスマホをすっと取り上げ、私の代わりにタイミーのアプリからチェックアウトをしてくれる。私よりも働いていたように見えるのに、全然平気そうだ。

「わあ、ありがとうございます!助かりました! めちゃくちゃしんどくなかったですか?」

 声を落として聞いてみると、桐谷さんはふっと優しく微笑んだ。

「仕分けとか搬入とかで慣れてるから。花岡さんも、続けてたら慣れるよ」

 桐谷澪と、普通に会話をしている! その事実に感動を覚えるが、そんなことをおくびにも出さないようにギッと唇のなかを噛む。

「そうですかねえ。桐谷さんは仕分けとか搬入とか、そっち系メインですか? 飲食とかそういうのも気になってるんですよね」

 自然と一緒に歩きだしながら、駅の方へ向かう。何気なくを装って桐谷さんのことを聞きだしたい。

「接客とかはしたくないな。人と接するの苦手だし」

「えっ、今日もスタッフさんとすごく上手にコミュニケーション取られてたのに」

 まずい。言ってしまった。会社とタイミーでのギャップについて、直接であれそれを想起することでさえ、聞いてはいけないだろうに。案の定、桐谷さんはすっと表情を落ち着かせてしまう。

「そう見えたなら、よかった。じゃあ、私はバスで帰るから」

 地下鉄のマークが見えると、桐谷さんは前回みたいに駆け出そうとしてしまった。あ、まただ。前みたいに、走っていってしまう。

「あっ! あっ! 桐谷さん、LINE! LINE教えてください!」

「え?」

「ほ、ほら。会社のSlackで私的なことを話しすぎるのもアレですし。次はいる案件とか、もし教えてくださるなら、LINEのほうがいいかなーなんて!」
 桐谷さんは、きょとんと眼を丸くする。わあ、こんな表情もするんだ。考えるように少し首をかしげるが、すぐに「確かに、一理あるね」と言ってスマートフォンを取り出した。
 こうして、私は桐谷さんと友達になった。……LINE上の。