隙間(スキマ)の桐谷さんは笑わない

 月曜の朝。オフィスの空気は少し重たい。週末明け特有の、まだ体温が上がりきっていない感じ。コーヒーメーカーの音がやけに大きく響く。
 あくびを噛み殺しながら、カフェで買ってきたカフェラテを啜る。十時からはマーケティング部の全体ミーティングだ。部長が来る前の数分間、誰もが「仕事してます」みたいな顔をしてパソコンを見つめている。私もそのひとりだった。

「おはようございます」

 その声が聞こえた瞬間、心臓が跳ねた。
 桐谷澪。白いシャツにネイビーのパンツ。肩までの黒髪は無造作に下ろされていて、表情はいつもの無表情。あの日、パーカーに軍手で段ボールを持ち上げていた人と、同じ人には見えなかった。
 彼女は静かに自分の席に座り、PCを開く。私がガンガン見つめているのに気付いているのかいないのか、こちらをちらりとすら見ない。
 土曜日、一緒に働いた仲なのに!
 部長が入ってきて、全体ミーティングが始まる。進行役の田村さんがプロジェクトごとの報告を読み上げていく。

「桐谷さん、CRMの方はどう?」

「はい。先週のA/Bテストの結果が出ました。CTRが3.2%上昇しています。想定より反応が良かったので、明日から本配信に切り替えます」

 いつもの、落ち着いた声。丁寧で、隙がない。完璧な桐谷澪。
 ――まるで土曜の彼女が、幻だったみたいだ。
 私はそっと視線を送る。まっすぐな背筋。薄いピンクのリップ。淡々と話し続ける横顔。やっぱり、笑ってはいない。

「……花岡さん」

「えっ、はい!」

 思わず声が裏返る。つい桐谷さんのことを考えてしまっていた。

「どうした、まだ寝てるのか? 広告の出稿スケジュール、来週分も共有出しておくように」

 部長が苦笑しながらこちらを見ていた。

「あ、はい! すぐにやります」

「すぐじゃなくていい、今日中な。はい、それじゃあ今週も頑張りましょー」

「は、はい!」

 部長の号令で、メンバーは三々五々散らばっていく。パソコンに向かうもの、自販機に向かうもの、お手洗いに向かうもの。私もPCに向かい直ろうとすると、一瞬だけ席を立つ桐谷さんと目が合った。けれどそのまま、何も言わずにすっと部屋を出ていく。
 やっぱり、あれは別人だったのかもしれない――そう思いたくなるほど、完璧に“いつもの桐谷澪”だった。