フォレスト~森に棲む男~

 頭が重い。体が動かない。瞼を開けると、数匹の“クランケ”が顔を覗きこんできた。
 いや、今の立場を考えれば、“患者”と呼ばれるべきはおれのほうか。自虐的に考えながら、奴らの顔をにらみつけた。
 剥き出しの脳を半透明の膜が覆い、手足は細く、全身に黄土色の鱗のようなものがまとわりついている。眼窩は空洞になっていて、代わりに発達した巨大な鼻が顔の半分を占めている。顎の下に垂れ下がった細長い髭のような部分は触覚のような役割を担っているらしく、触手のように伸びておれの首や頭を這いまわった。
 不快さに思わず顔を背ける。触手の肌触りもさることながら、奴らの姿かたちはあまりにも醜く、正視に耐えなかった。こいつらが新しい人間として地球を支配していくのだとしたら、それは悪夢以外のなにものでもない。
 強力な光をあてられ、眩しさに目を細めた。白い視界の向こう側で、ガラスを擦るような音が飛び交った。新人類がつかう言葉。もちろん、おれには意味を理解することができない。
 身を捩ったが、硬い鉄のようなものに両手足を拘束されていて、身動きできない。暴れるおれをよそに、“クランケ”たちは頷きあい、滑るような動きで部屋を出て行った。
 目の奥が痛むほど白い部屋のなかに、おれはひとり残された。実験室のようで、おれが括りつけられた台を囲むようにして、見たこともない機械が所狭しと並んでいる。あのアンドロイドがいったことのすべてを信じるわけではないが、すくなくとも、奴らの持つ文明が優れていることだけは確からしい。
 頭も固定されていたが、眼球を上下左右に動かして、周囲の様子をさぐった。どうやら実験室のような場所らしい。おれは奴らの手によって解剖され標本にされてしまうわけだ。
 フランクの選択は正しかった。実験の材料にされるぐらいなら、自殺したほうがはるかにましだった。後悔の念に苛まれながらも、おれは必死にもがいた。
 やがて、再び扉がひらいた。奴らのうちのひとりがぬっと顔を出し、床を滑るようにちかづいてきた。おれのそばに立ち、首を傾げるようにして顔を覗きこんでくる。触れあいそうな距離にまでちかづくと、悪臭がした。
 吐き気をこらえ、口のなかに溜まった唾を“クランケ”に向かって吐いた。顔に唾を吐きかけられ、相手は一瞬怯んだ。
 おれは無言で新人類とやらをにらみつけた。怒鳴ってやったところで、どうせ意味などわからない。
 おれの敵意を察したのか、相手は静かに離れた。細長い触手の先をつかって機械を操作する。
 とたんに、頭や手足を拘束していた器具がはずれた。突然自由になって戸惑ったが、体のほうが先に動いた。
 振り向いた“クランケ”を突き飛ばし、台から飛び降りた。“クランケ”の体は意外に軽く、壁に激突して転がった。
 牽制している余裕はなかった。裸足のまま部屋を横切り、扉に飛びついた。力まかせにこじ開けようとしたが、取っ手ひとつない扉はびくともしなかった。
「くそっ!」
 思い切り蹴り上げると、なぜかあっけなく扉がひらいた。不思議に思うより先に、外へ転げ出た。
 部屋を出ると、扉は再び自動的に閉まった。咄嗟に外側の機械を拳で叩き壊す。これで相手は外に出られなくなったはずだ。
 壁に背中を圧しつけながら、おれは烈しく喘いだ。全身から汗が噴き出し、息が上がっている。なぜかわからないが、ピンチを脱することに成功したらしい。 見張りでもさせられていたのか、よほど間の抜けた奴だ。室内に残された“クランケ”の様子を確認しようと立ち上がり、扉の横に設置された小窓に顔をちかづけた。
 ほぼ同時に、扉の反対側で“クランケ”が立ち上がった。海月のような動きで窓にぴったり張りつく。
 窓ごしに再び視線があい、おれは思わず声を上げた。後ずさりながらも、化け物に向かって中指を突き立ててみせた。
「ざまあみやがれ、この野郎。不細工な化けもんが!」
 相手は無言でおれを見つめていた。瞳にあたる部分が黒々とまたたき、なにかいいたげに見えた。
「なんだよ。悔しがってんのか。化けもんにそんな感情があるのかよ?」
 興奮は笑いに変わった。肩を上下させながら周囲に視線をめぐらせる。まだ気づいた奴はいないようだが、油断はできない。さっさと逃げたほうがいいだろう。
「じゃあな、クソ野郎」
 踵を返しかけたところで足を止めた。ゆっくりと振り返る。
 ぺたりぺたりと裸足の足音を立てながら、小窓の前にもどった。小さな四角のなかで、奴はまだおれを見ていた。
 ゆっくりと顔をちかづける。一枚のガラスを挟み、鼻先が触れあいそうな距離で、化け物と見つめあった。奴の黒い皮膚が蠢き、触手が持ち上がった。細い先端がおれの顔を縦に撫でるように滑った。唇の位置で止まり、おれの顔をたしかめるかのようにそのままじっと動かずにいる。
「……うそだろ」
 無意識に首を振っていた。頭の奥が急激に冷え、足ががくがく震えた。
「おまえ……ノアか?」