ファーストリーフ

「悪い。遅くなった」
 ランチとディナーの間で無人の店内で待っていると、凪砂がやってきた。すこしも悪いと思っていない顔で『CLOSE』の札がかかったドアを圧し入ってくる。
「腹減ったな」
 凪砂は舞台公演中で忙しい時期だったが、平日のこの日は夜の1公演のみで、集合時間まではまだ時間があった。軽く食事を済ませてから下北沢の劇場に向かうつもりなのだろう。
「どこか食べに行く? それともなにかつくろうか」
「んー、じゃあんま時間もないし、適当につくって。あまってんのでいいから」
「わかった。ビーフシチューでいい?」
「なんでもいい」
 準備のためキッチンに入ろうとして、ふと振り返った。いつも座る席に荷物を置いている凪砂を見つめる。凪砂は視線に敏感だ。すぐに気づき、訝しげに眉を顰めた。
「なんだよ」
「いや……」
 口籠もりながらも、いった。
「本当にきれいな顔だなって思って」
「はあ?」
 素直な賛辞だったが、凪砂はあからさまに表情を歪めた。
「気持ち悪いこといってんじゃねえよ」
「ごめん」
 凪砂が外見を褒められるのを好まないと知っていたが、口にせずにはいられなかった。
 思いを寄せている相手の名を葉一は明かさなかったが、おそらく、凪砂のことだろう。何度も強調するほどかわいらしい男というのはそういない。ゲイ嫌いという事実も一致する。ランチの客と葉一の関係はわからないが、おそらく劇場の付近でふたりでいるところを見て勘違いしたのだろう。おれと凪砂のどちらが葉一の思いびととして相応しいか、すこし考えればわかりそうなものだが。
 よほど空腹だったのか、凪砂は出されたビーフシチューを猛烈な勢いで食べはじめた。相変わらずの食べっぷりで、つい微笑ましく眺めてしまう。
「おかわり」
 あっという間に空にした皿を突き出す。再び皿にシチューを盛りながら、おれはいった。
「そういえば、葉一くんもビーフシチュー好きだよね」
「あ? そうだっけ?」
 バゲットを囓りながら、凪砂が首を傾げる。
「はじめて聞いたけど」
「好きだっていってたよ」
「そうかあ? 昔なんかの流れでビーフシチュー派かクリームシチュー派って話なったとき、断然クリームシチューつってたけどな」
 高校で葉一と親しくなったのは凪砂が先だった。凪砂と葉一はおなじクラスで、班もおなじだった。おれはべつのクラスで、放課後凪砂といっしょにいるうちに、葉一とも自然と話すようになった。
「凪砂と葉一くん、仲いいよね」
「は? おまえだって仲いいだろ」
「でも、家に行ったりとかはないし」
「……おれだって行かねえよ」
 即答ではなかった。聞かれてもいないのに、凪砂は早口にしゃべる。
「なんなんだよ、いきなり」
「べつに……」
 葉一とちがい、凪砂はかなりわかりやすい。嘘をついているときはすぐにわかる。
 友人同士なのだから、家に遊びに行くことくらいあるだろう。ふたりそろっておれに隠そうとする意図がわからなかった。正直にいうと、疎外感をおぼえていた。おれだけが知らないふたりだけの秘密があることにすくなからずショックを受けていた。
 しかし、いっぽうでは、おれが知っていて凪砂が知らないこともある。
「なんか今日変じゃねえ、おまえ」
 2杯目のシチューを受け取り、凪砂が眉間に皺を寄せる。
「なんかあったんか?」
「べつになにも……」
 葉一の態度から察するに、凪砂は葉一の気持ちを知らないはずだ。知っていれば態度に出るだろうし、同性愛者を忌み嫌うような言葉を発することもないはずだった。傍若無人に振る舞っているようでも、配慮ができないわけではないのだ。
 葉一に思いを寄せられていることを凪砂がもし知ったらどう思うか。想像するのは難しかった。滅多に他人に心をゆるさない凪砂も、葉一のことは信頼しているようだった。しかし、恋愛となると話はちがってくるはずだ。
「なんなんだよ、気持ち悪いな。はっきりいえよ」
 スプーンを置いて、凪砂が腕を組む。ひとりで塞ぎこんでいるおれに苛立ちをおぼえはじめているようだった。
「あのさ、凪砂」
「ああ?」
「ちょっと変なこと聞いていい?」
「いちいち面倒くせえな。さっさといえよ」
 凪砂の向かいの椅子に座り、テーブルの上に両肘をつく。
「もしも、もしもだよ」
 店内にはおれたちだけだったが、なんとなく声を落として、聞いた。
「男に告白されたらどうする?」
「もしもなにも死ぬほど告白されてるわ」
 凪砂は心底不快そうに顔をしかめた。質問を間違えたらしい。
「今までみたいなのじゃなくて、すごく性格よくてやさしくて、凪砂のことを大事にしてくれるひとだったら?」
「性格がどうでも男だろ? ありえねえ。キモすぎる」
 食欲を失ったように首を窄めて、凪砂はいった。
「なに、だれのこといってんの?」
 訝しげな目でおれを見る。
「まさか、おまえ……」
「ちがう、おれじゃないよ!」
 慌てて両手を掲げ否定する。たしかに、この流れでは誤解されてもしかたない。
「ならいいけどさあ、あんま気持ち悪いこというなよな」
 冷めて乾いたバゲットを囓りながら、凪砂はため息をついた。
「男となんか付き合えるかよ。冗談じゃねえ」
 想像するのもおぞましいというように舌打ちしていう。
「ていうか、おれ彼女いるしな」
「え!」
 思いがけない話におれは思わず声を上げた。
「そうなの?」
「あれ? いってなかったっけか」
「聞いてないよ!」
 唖然としながらも、どうにか質問した。
「いつから?」
「先々月くらいだったかな?」
 絶句した。凪砂はもともと自分のことをあまり話したがらない性質だが、いっしょに生活していてまったく気配を感じることはなかった。
「だ、だれ?」
「今やってる舞台の共演者だよ。稽古中に何回かいっしょにメシ食ったりとかしてて、なんかなりゆきで」
「なりゆき……」
「なんだよ、文句あんのかよ」
「べつに文句はないけど……」
 なんとなく釈然としない気分だ。
「一言いってくれても……」
「いちいち報告する必要ないだろ」
 呆れたような表情で凪砂がいう。
「それに、どうせすぐ別れるし」
「そんなのわかんないじゃん」
「わかるんだよ」
 有無をいわせぬ口調。凪砂は中学時代からたくさんの女子に告白されていた。ほとんどは断っていたが、稀に交際に発展することもあった。しかし、どの子も長くは持たなかった。どの場合も関係を終わらせるのは相手のほうだった。はじめのうちは自由奔放な凪砂に魅力を感じていても、付き合っていくうちに蔑ろにされていると感じるのだろう。
 凪砂にとって、俳優としての活動がなによりも重要で、頭のなかには芝居しかなかった。付き合うときに必ず念を圧してはいたが、関係が深まれば変わっていくと期待するのだろう。けっきょくは、相手のほうが寂しさに耐えられず、去っていった。
 凪砂のほうも引き留めることはなかった。どうでもいいという顔をしているが、実際には凪砂も相手とおなじくらい落胆し、傷ついていた。無頓着な態度を取っていても、むしろ人一倍ナイーブで傷つきやすい。凪砂もまた、過去の経験から、恋愛に期待することをあきらめていた。