「葉一とやってんの?」
呆然としているおれを見下ろして、凪砂がいった。抑揚を欠いた冷めた声だった。
「え……」
「セックスだよ。してるだろ。」
凪砂の話にはいつも脈絡がない。ついていけず、戸惑った。凪砂は無表情で、感情や意図を読み解くことはできなかった。
「なんでそんな……」
「いいからさっさといえよ。おまえが入れられるほうだよな、当然?」
「……いいたくない」
「いえって」
言葉が鋭く尖り、空気が張り詰めた。静かではあったが、有無をいわさぬ口調だった。
「はじめてしたとき、どうだった?」
「凪砂……」
「どうだったんだよ。あいつがはじめてだっただろ? ちがうとかないよな?」
「そんなわけ……」
「じゃ教えろよ。痛かった? 気持ちよかったか?」
「もうこういうのは……」
「早くいえ」
凪砂が繰り返す。冷ややかな視線がおれの体を貫く。逃げられないと悟るにはじゅうぶんだった。
「……気持ちよかった」
絶望的な気持ちで答えた。ほとんど口を動かさずに発した声は、顔の周辺で霧散した。
「なに?」
「気持ちよかったよ」
もう一度、はっきり答えた。
「痛くなかった」
「葉一、やさしかったか?」
「本当に、もう……」
「やさしかったかって聞いてんだよ」
「……やさしかったよ」
「へえ」
自分で聞いておきながら、関心なさげに眉を上げて、凪砂はソファに座りなおした。もうおれを見ていなかった。ソファの背に腕を預けて、怠そうに脚を組む。
「よかったな」
凪砂のいわんとすることが理解できず、困惑しているおれの前で、凪砂は小さく呟いた。
「おれは痛かった」
色のない瞳が部屋の壁を通り抜けてどこか遠くへ向かっている。
「高校入ってすぐ、しつこくつきまとってくる3年生がいたの、おぼえてるか」
頷くだけで精一杯だった。中学校でも凪砂の周囲は騒がしかったが、男子校の高校では中学の比ではなかった。男だけの世界で、女子生徒と見間違えるほどの凪砂の美貌は目立った。本人にとっては、望ましいことでは決してなかった。
凪砂のファンのなかでももっとも熱狂的だったのが、当時生徒会長を務めていた上級生だった。校舎内だけでなく放課後の帰り道でも待ち伏せていて、親が裕福なのか、高価なブランド品のプレゼントを押しつけてくることも多く、凪砂を辟易させていた。夏休みがはじまるすこし前に姿を見なくなり、他県の学校に転校したと聞いた。家族とともに引っ越し、大きな2階建ての家は売りに出された。受験の時期ということもあり、すこし不自然な気もしたが、凪砂を困らせていた存在がひとり減って安堵したこともあり、たいして気にとめなかった。
夏休みに入ると、凪砂は演劇のワークショップに参加するといって、2週間東京へ出かけた。もどってきたのは二学期がはじまる頃だった。
「凪砂……」
おぞましい想像が頭をよぎった。唇が震えた。東京からもどった凪砂と学校で久しぶりに会ったとき、かすかな違和感をおぼえたことを思い出していた。凪砂に問いかけると、専門的なレッスンを受けたことで、心境の変化が生まれたのだという答えが返ってきた。
「生徒会室だった。いつもは鍵がかかっててだれもこない。葉一が通りがかったのは偶然だった」
凪砂の表情に変化はなかった。ただ、白い顔を傾け、視線を壁に向けていた。
「おれはぼこぼこにされて、動けなかった。服も破れてたし……」
全身の血液が冷えていく感覚。ただじっと凪砂を見つめることしかできなかった。
「家に帰って、親に転んだっていいわけした。そのあとは知らない。クソ野郎は消えて、葉一は父親に反抗するのをやめた」
声が漏れそうになり、唇を噛んだ。憤ったり悲しんだり、そんな感情を持つことは、おれにはゆるされない。やるなら10年前にやるべきだった。
「警察には……」
「だれにも話してない。葉一とも、この話は一度もしてないしな」
愚かな質問だった。ゴシップ記者ではないのだ。今さらどうなるものでもないというのに。ほかになにかいうことがあるはずだ。後悔がおれの口を閉ざした。
「おれにも……」
「おまえにだけは絶対知られたくなかった」
おれは凪砂を神格化していた。おれにとって凪砂は崇拝の対象だった。それが凪砂にとって重圧だったことはもうわかっている。
2年に進級して、葉一とおなじクラスになってからは、凪砂につきまとう男たちも自然と離れていった。ふたりが付き合っているという噂が流れたこともあるが、どちらも肯定も否定もしなかった。
凪砂が男嫌いなのはわかっていたから、噂を信じることはなかった。葉一は他の連中とちがって凪砂に興味を示さなかったし、おれに対しても親切だった。凪砂の影のようにあつかわれることはなく、いつも対等だった。
中学まではおれ以外の人間をちかづけなかった凪砂が葉一だけはちかくにいることを受け入れた。不思議だったが、凪砂にとっては都合がよかったのだろうと思っていた。生徒会長がいなくなっても状況は変わるどころか悪化するばかりだった。
「あいつ、おまえにも話してないんだろ」
頷いた。凪砂の差別的な発言を葉一は咎めなかった。凪砂への好意が理由ではなかった。自分の浅はかさが呪わしかった。
「葉一がだれかにバラすんじゃないかと思ったし、秘密を握られてんのは気持ち悪かったけど、そのうち忘れた。あいつがおれを護ろうとしてるわけじゃないって気づいてからは、考えなくなった。自分に興味ないやつ見たことあんまなかったから新鮮だったし、とにかく気が楽だった」
花、好きなの?
校舎の横の花壇で葉一が話しかけてきたときのことを思い出した。あのとき、凪砂は近くにいただろうか。記憶ははっきりしない。
凪砂がポケットから煙草を取り出し、火をつける。煙が揺蕩い、独特の匂いが漂った。
「葉一くんの部屋で……」
煙草の匂いを嗅ぎながら、いった。
「凪砂の煙草の吸い殻見つけた」
凪砂がおれを見た。
「あいつはなんて?」
「凪砂に聞けって……」
「相変わらずだな」
凪砂が笑う。これまでに見たどの笑顔よりも美しかった。
「疑ってんのか?」
煙を吐きながら、凪砂がいう。
「心配しなくても浮気はしてねえよ」
「べつにそんなこと……」
片手に煙草をつまんだまま、もう片方の手で冷めたコーヒーを啜って、凪砂はいった。
「英語、習ってた」
「英語?」
「あいつ、英語得意だろ」
「なんで英語?」
ほとんど吸っていない煙草の火を消してしまうと、凪砂は腹の中央で指を組んだ。おれを見つめ、いった。
「おれ、アメリカ行く」
呆然としているおれを見下ろして、凪砂がいった。抑揚を欠いた冷めた声だった。
「え……」
「セックスだよ。してるだろ。」
凪砂の話にはいつも脈絡がない。ついていけず、戸惑った。凪砂は無表情で、感情や意図を読み解くことはできなかった。
「なんでそんな……」
「いいからさっさといえよ。おまえが入れられるほうだよな、当然?」
「……いいたくない」
「いえって」
言葉が鋭く尖り、空気が張り詰めた。静かではあったが、有無をいわさぬ口調だった。
「はじめてしたとき、どうだった?」
「凪砂……」
「どうだったんだよ。あいつがはじめてだっただろ? ちがうとかないよな?」
「そんなわけ……」
「じゃ教えろよ。痛かった? 気持ちよかったか?」
「もうこういうのは……」
「早くいえ」
凪砂が繰り返す。冷ややかな視線がおれの体を貫く。逃げられないと悟るにはじゅうぶんだった。
「……気持ちよかった」
絶望的な気持ちで答えた。ほとんど口を動かさずに発した声は、顔の周辺で霧散した。
「なに?」
「気持ちよかったよ」
もう一度、はっきり答えた。
「痛くなかった」
「葉一、やさしかったか?」
「本当に、もう……」
「やさしかったかって聞いてんだよ」
「……やさしかったよ」
「へえ」
自分で聞いておきながら、関心なさげに眉を上げて、凪砂はソファに座りなおした。もうおれを見ていなかった。ソファの背に腕を預けて、怠そうに脚を組む。
「よかったな」
凪砂のいわんとすることが理解できず、困惑しているおれの前で、凪砂は小さく呟いた。
「おれは痛かった」
色のない瞳が部屋の壁を通り抜けてどこか遠くへ向かっている。
「高校入ってすぐ、しつこくつきまとってくる3年生がいたの、おぼえてるか」
頷くだけで精一杯だった。中学校でも凪砂の周囲は騒がしかったが、男子校の高校では中学の比ではなかった。男だけの世界で、女子生徒と見間違えるほどの凪砂の美貌は目立った。本人にとっては、望ましいことでは決してなかった。
凪砂のファンのなかでももっとも熱狂的だったのが、当時生徒会長を務めていた上級生だった。校舎内だけでなく放課後の帰り道でも待ち伏せていて、親が裕福なのか、高価なブランド品のプレゼントを押しつけてくることも多く、凪砂を辟易させていた。夏休みがはじまるすこし前に姿を見なくなり、他県の学校に転校したと聞いた。家族とともに引っ越し、大きな2階建ての家は売りに出された。受験の時期ということもあり、すこし不自然な気もしたが、凪砂を困らせていた存在がひとり減って安堵したこともあり、たいして気にとめなかった。
夏休みに入ると、凪砂は演劇のワークショップに参加するといって、2週間東京へ出かけた。もどってきたのは二学期がはじまる頃だった。
「凪砂……」
おぞましい想像が頭をよぎった。唇が震えた。東京からもどった凪砂と学校で久しぶりに会ったとき、かすかな違和感をおぼえたことを思い出していた。凪砂に問いかけると、専門的なレッスンを受けたことで、心境の変化が生まれたのだという答えが返ってきた。
「生徒会室だった。いつもは鍵がかかっててだれもこない。葉一が通りがかったのは偶然だった」
凪砂の表情に変化はなかった。ただ、白い顔を傾け、視線を壁に向けていた。
「おれはぼこぼこにされて、動けなかった。服も破れてたし……」
全身の血液が冷えていく感覚。ただじっと凪砂を見つめることしかできなかった。
「家に帰って、親に転んだっていいわけした。そのあとは知らない。クソ野郎は消えて、葉一は父親に反抗するのをやめた」
声が漏れそうになり、唇を噛んだ。憤ったり悲しんだり、そんな感情を持つことは、おれにはゆるされない。やるなら10年前にやるべきだった。
「警察には……」
「だれにも話してない。葉一とも、この話は一度もしてないしな」
愚かな質問だった。ゴシップ記者ではないのだ。今さらどうなるものでもないというのに。ほかになにかいうことがあるはずだ。後悔がおれの口を閉ざした。
「おれにも……」
「おまえにだけは絶対知られたくなかった」
おれは凪砂を神格化していた。おれにとって凪砂は崇拝の対象だった。それが凪砂にとって重圧だったことはもうわかっている。
2年に進級して、葉一とおなじクラスになってからは、凪砂につきまとう男たちも自然と離れていった。ふたりが付き合っているという噂が流れたこともあるが、どちらも肯定も否定もしなかった。
凪砂が男嫌いなのはわかっていたから、噂を信じることはなかった。葉一は他の連中とちがって凪砂に興味を示さなかったし、おれに対しても親切だった。凪砂の影のようにあつかわれることはなく、いつも対等だった。
中学まではおれ以外の人間をちかづけなかった凪砂が葉一だけはちかくにいることを受け入れた。不思議だったが、凪砂にとっては都合がよかったのだろうと思っていた。生徒会長がいなくなっても状況は変わるどころか悪化するばかりだった。
「あいつ、おまえにも話してないんだろ」
頷いた。凪砂の差別的な発言を葉一は咎めなかった。凪砂への好意が理由ではなかった。自分の浅はかさが呪わしかった。
「葉一がだれかにバラすんじゃないかと思ったし、秘密を握られてんのは気持ち悪かったけど、そのうち忘れた。あいつがおれを護ろうとしてるわけじゃないって気づいてからは、考えなくなった。自分に興味ないやつ見たことあんまなかったから新鮮だったし、とにかく気が楽だった」
花、好きなの?
校舎の横の花壇で葉一が話しかけてきたときのことを思い出した。あのとき、凪砂は近くにいただろうか。記憶ははっきりしない。
凪砂がポケットから煙草を取り出し、火をつける。煙が揺蕩い、独特の匂いが漂った。
「葉一くんの部屋で……」
煙草の匂いを嗅ぎながら、いった。
「凪砂の煙草の吸い殻見つけた」
凪砂がおれを見た。
「あいつはなんて?」
「凪砂に聞けって……」
「相変わらずだな」
凪砂が笑う。これまでに見たどの笑顔よりも美しかった。
「疑ってんのか?」
煙を吐きながら、凪砂がいう。
「心配しなくても浮気はしてねえよ」
「べつにそんなこと……」
片手に煙草をつまんだまま、もう片方の手で冷めたコーヒーを啜って、凪砂はいった。
「英語、習ってた」
「英語?」
「あいつ、英語得意だろ」
「なんで英語?」
ほとんど吸っていない煙草の火を消してしまうと、凪砂は腹の中央で指を組んだ。おれを見つめ、いった。
「おれ、アメリカ行く」



