ファーストリーフ

 当然ながら、台本にある台詞とはちがう。凪砂は無言でおれを見つめた。
 永遠につづきそうな沈黙。おれよりもさらに小さな声で、凪砂がいった。
「いつから?」
「半年くらい……」
 凪砂の視線を受け止められず、俯いた。膝の上に置いた台本の文字がぼやける。
「ごめん、黙ってて……」
「べつにいい。知ってたし」
「え……」
 手のなかで、台本の紙面に皺が寄った。
「葉一くんから聞いた?」
「あいつがしゃべるかよ」
 凪砂は顔をしかめ、ソファに深く座りなおした。両手をソファの背にかけ、おれを見据えた。
「何年いっしょにいると思ってんだよ。気づかないわけないだろ。舐めてんのか」
 口調には言葉ほど怒気は感じられない。むしろ呆れているようだった。
「……いつから?」
 今度はおれがおなじ質問を口にした。
「いつから?」
 凪砂は笑って答えた。
「葉一がおまえのこと好きなのは高校の頃から知ってた」
 思いがけない答えにおれは絶句した。葉一は凪砂がホモフォビアだと思っていたから、彼が打ち明けたとは思えない。大雑把な性格だと思っていた凪砂の鋭さに、おれは愕然とした。
「知ってて……」
 無意識に責めるような口調になりそうで、言葉を切った。糾弾したいわけではなかった。
「気持ち悪い?」
 意図せず、ドラマの台詞とおなじ言葉を発した。
「凪砂、ホモとか嫌いでしょ?」
「嫌いだけどべつに全員無理ってわけじゃねえよ」
「でもいつも……」
「あれは牽制」
 小さく首を傾げて、凪砂が軽い調子でいう。
「牽制?」
「おれがホモ嫌いっていえばおまえも同調するだろ」
 わけがわからなかった。膝の上に置いていた台本をテーブルに置き、身を乗り出した。
「つまり……凪砂はおれと葉一くんが付き合うの嫌ってこと?」
 簡単に祝福されるとは考えていなかった。しかし、凪砂の反応は予想をはるかに超えていた。
「凪砂は……」
 ずっと聞けずにいたもうひとつの質問。口にしようとすると喉が乾燥し、声が掠れた。口中にたまった唾液をゆっくり飲み下してから、いった。
「凪砂は葉一くんが好きなの?」
 勇気を振り絞ってようやく口にした一言だったが、凪砂は一笑に付した。つまらない冗談を聞いたときのように小さく首を振る。
「まさか。おれはホモじゃない」
 おれだってもともと同性愛者だったわけではない。視線に気づいた凪砂が横目におれを見た。
「おまえもべつに男が好きなわけじゃないだろうけど、葉一がその気になれば、絶対落ちると思ってたよ」
 疲れたようにいった。
「あきらめたと思ってたんだけどな」
「なんで……」
「なんでかな」
 おれのほうには目を向けないまま、静かにいう。
「たぶん、ひとりにされるのが嫌だったんだろ。おまえが葉一にハマることも予想できてたし、葉一のほうも、もともとおまえといたくておれにくっついてたんだからな。おまえら付き合ったら、おれはもういらないだろ」
「そんなこと……」
 凪砂はおれのことをまるでわかっていなかった。しかし咎める気にはなれなかった。おれもおなじだったからだ。
 胸がくるしい。小学生の頃から10年以上もの間、おれたちはいったいなにをしてきたのだろう。
「おまえがいなくなるのが怖かった。おれを全肯定してくれるのはおまえだけだからな」
「そんなことないって」
「そんなことあるんだよ!」
 突然、凪砂が声を荒らげて、おれは硬直した。
「だれもおれに期待してない。親も友達も事務所の連中もファンも、おれの外見にしか興味ないって、おまえもわかってるだろ」
「凪砂がそう思うのは勝手だけど、だからって他人を傷つけていいことになるの?」
 おれも息を荒くしていた。凪砂に睨みつけられても怯まなかった。男が好きなのかと尋ねられたときの葉一の顔。おれに拒絶されることを心底怖がっていた。付き合ってからも、後悔を口にしていた。失った時間を取りもどしたいと何度も繰り返していた。凪砂の画策がなければ、おれたちはもっと早く理解しあえていたかもしれない。そう考えると、全身を血液が駆け巡り、頭の奥が熱くなった。
「そんなのただの甘えじゃん。利己的すぎるよ。葉一くんに我慢させて、傷つけて、それでおれたちがそばにいる状態が健全だと本気で思ってた? おれだって……」
 一気にまくしたてて、噎せ返った。酸素を求めて喘ぎながら、おれは必死で訴えた。
「おれ、知らないで、いっしょになって葉一くんの前であんな……」
 凪砂が男嫌いになるのも無理はないと思っていた。一方的な好意を寄せられることでストレスを感じているのだろうと同情していた。作為的だとは考えたこともなかった。
「ひどすぎるよ。なんでそんなことできるのか全然わからない」
「おれだけのせいにすんなよ」
 凪砂が立ち上がる。唇を震わせて一言一言をどうにか外に排出しているおれを見下ろし、いった。
「おれだけが悪いのか? おまえはなんも悪くねえの?」
「おれは……」
「なんも考えないでおれのいうことに頷くだけだっただろ。なにか選ぶときも、行動起こすのも、全部おれのいうこと聞くだけだろ。全部おれのためで、おれが最優先で、そういうの鬱陶しいんだよ!」
「だったらなんでそういわないんだよ!」
「いったって意味ないだろ!」
「なんで……」
「今まで本気で話したこと一度もないだろ。おまえがおれに、本気で、本心で話したこと、今まであったか? 一回でもあったかよ! あったっていうならいってみろよ!」
 凪砂が怒鳴る。かたちのよい唇の端に唾液の粒がこびりつき、眼球が充血している。こんなときにもかかわらず、その異常な様子におれは目を奪われていた。
 おれたちの関係がどれほど歪で、修復不可能なほど捩れていたかに、ようやく気づいた。おれは長い間ずっと凪砂を無視しつづけていた。だれよりもちかくにいたのに。