公園での短いデートを終えてからスーパーに行き、夕食の買い物をした。凪砂の好きなロールキャベツとローストチキンをつくり、帰宅を待っていると、夕方頃にスマホが鳴った。
凪砂かと思ったが、画面に表示されたのは葉一の名だった。調理器具を洗って濡れていた手を拭って、電話に出た。
「もしもし、初芽?」
葉一の声を聞くと、自然と肩の力が脱けた。自覚している以上に緊張していたらしい。
「だいじょうぶか?」
おれが黙っているのを心配してか、葉一が声をひそめる。
「ごめん、だいじょうぶ」
ロールキャベツの鍋に蓋をする。ガスコンロの火を弱めておく。あとは10分ほど煮込むだけだ。
「なにしてた?」
「今? 料理してた」
「そっか」
おれの声の調子を確認して、葉一がわずかに安堵の息を漏らす。心配して連絡をくれたのだろう。背後には複数の声があった。内容までは判別できないが、慌ただしい印象だった。職場のどこかからかけているのかもしれない。
「サンドイッチ、さっき全部食べたよ」
つい数時間前に別れたばかりなのに、律儀に報告してくれる。
「うまかった。ありがとう」
「どういたしまして」
なにげないやりとりをかけがえのないものに感じる。離れているのに、葉一を近くに感じる。
「凪砂、まだ帰ってない?」
「うん、夜になると思う」
「そっか……」
もう一度、葉一はいって、さらに繰り返した。
「だいじょうぶ?」
「だいじょうぶだよ」
こちらもおなじように返事をする。強がっているわけではない。昼間、公園で凪砂とはじめて衝突してから、ずっと考えていた。そして、今度こそ本当に決意を固めていた。
「葉一くん」
「なに?」
聞こえにくかったのか、声が遠ざかり、雑音が混じったものの、すこしして周囲の声が聞こえなくなった。どこかべつの場所に移動したのかもしれない。
「なに、初芽」
「ううん、なんでもない。ただ、ちょっと……」
うまく言葉が紡げずに、口籠もってしまう。まだ会社にいて、そう長く電話をしてはいられないはずだが、葉一はいつものように黙って待っていてくれた。
「おれ、凪砂とちゃんと向き合おうと思う」
躊躇いながらも、ようやくいえた。キッチンの流し台に溜まった水の自然な模様を見下ろし、おれはいった。
「もう凪砂に嘘つきたくないし」
「そうだな」
葉一は静かに答えた。ドアが開く音と、葉一を呼ぶ声がした。
「そろそろもどらないと」
「わかった」
今日も残業するのだろう。仕事に追われながらもおれを気遣ってくれる。葉一はずっと変わらなかった。
「なにかあったらすぐ連絡しろよ」
「うん」
「じゃあ……」
「葉一くん」
考えるより先に言葉が漏れた。
「なに?」
これ以上引き留められないと思ったが、止められなかった。スマホを握りしめ、いった。
「葉一くんの部屋で煙草の吸い殻見つけた」
葉一は答えなかった。無音の電子機器から表情をうかがい知ることはできなかった。
「凪砂がきた?」
「……うん」
葉一は誤魔化しもうろたえもせずにはっきり答えた。ずっと聞きたかったこと。口にするときは案外呆気なかった。肯定されても、自分でも驚くほど冷静でいられた。
「なにしに? いつ?」
「それは凪砂に聞いて」
「なんで凪砂に」
「内緒にするって約束した」
「おれにはいえないってこと?」
「やましいことはなにもないよ」
苛立つこともなく、はっきりと葉一はいった。
「初芽が心配するようなことはなにもない」
黙っていると、葉一がもう一度、繰り返した。
「今日、凪砂に聞いて。あいつが話さないなら、おれが話す。約束する」
「……わかった」
不満や不安は驚くほどなかった。葉一が曖昧に濁して逃げようとせずに正面から受け止めてくれたことで、むしろ安心できた。
「あとで連絡する」
「うん。おれも電話する」
葉一の声を聞いて、ずっと聞けずにいたことをぶつけることができたことで、心の奥に残っていた迷いやわだかまりが消えていた。互いに「好きだよ」と伝えてから、短い通話を終えた。
スマホを握ったまま、おれはこれまでにないほど穏やかで落ち着いた気持ちになっていた。
もう逃げない。凪砂からも葉一からも。
鍵が開けられる音がした。ドアの向こうに人の気配。凪砂が帰宅したのだ。
ロールキャベツを煮ていた火を止め、おれはキッチンを出て、親友を迎えるため玄関に向かった。
凪砂かと思ったが、画面に表示されたのは葉一の名だった。調理器具を洗って濡れていた手を拭って、電話に出た。
「もしもし、初芽?」
葉一の声を聞くと、自然と肩の力が脱けた。自覚している以上に緊張していたらしい。
「だいじょうぶか?」
おれが黙っているのを心配してか、葉一が声をひそめる。
「ごめん、だいじょうぶ」
ロールキャベツの鍋に蓋をする。ガスコンロの火を弱めておく。あとは10分ほど煮込むだけだ。
「なにしてた?」
「今? 料理してた」
「そっか」
おれの声の調子を確認して、葉一がわずかに安堵の息を漏らす。心配して連絡をくれたのだろう。背後には複数の声があった。内容までは判別できないが、慌ただしい印象だった。職場のどこかからかけているのかもしれない。
「サンドイッチ、さっき全部食べたよ」
つい数時間前に別れたばかりなのに、律儀に報告してくれる。
「うまかった。ありがとう」
「どういたしまして」
なにげないやりとりをかけがえのないものに感じる。離れているのに、葉一を近くに感じる。
「凪砂、まだ帰ってない?」
「うん、夜になると思う」
「そっか……」
もう一度、葉一はいって、さらに繰り返した。
「だいじょうぶ?」
「だいじょうぶだよ」
こちらもおなじように返事をする。強がっているわけではない。昼間、公園で凪砂とはじめて衝突してから、ずっと考えていた。そして、今度こそ本当に決意を固めていた。
「葉一くん」
「なに?」
聞こえにくかったのか、声が遠ざかり、雑音が混じったものの、すこしして周囲の声が聞こえなくなった。どこかべつの場所に移動したのかもしれない。
「なに、初芽」
「ううん、なんでもない。ただ、ちょっと……」
うまく言葉が紡げずに、口籠もってしまう。まだ会社にいて、そう長く電話をしてはいられないはずだが、葉一はいつものように黙って待っていてくれた。
「おれ、凪砂とちゃんと向き合おうと思う」
躊躇いながらも、ようやくいえた。キッチンの流し台に溜まった水の自然な模様を見下ろし、おれはいった。
「もう凪砂に嘘つきたくないし」
「そうだな」
葉一は静かに答えた。ドアが開く音と、葉一を呼ぶ声がした。
「そろそろもどらないと」
「わかった」
今日も残業するのだろう。仕事に追われながらもおれを気遣ってくれる。葉一はずっと変わらなかった。
「なにかあったらすぐ連絡しろよ」
「うん」
「じゃあ……」
「葉一くん」
考えるより先に言葉が漏れた。
「なに?」
これ以上引き留められないと思ったが、止められなかった。スマホを握りしめ、いった。
「葉一くんの部屋で煙草の吸い殻見つけた」
葉一は答えなかった。無音の電子機器から表情をうかがい知ることはできなかった。
「凪砂がきた?」
「……うん」
葉一は誤魔化しもうろたえもせずにはっきり答えた。ずっと聞きたかったこと。口にするときは案外呆気なかった。肯定されても、自分でも驚くほど冷静でいられた。
「なにしに? いつ?」
「それは凪砂に聞いて」
「なんで凪砂に」
「内緒にするって約束した」
「おれにはいえないってこと?」
「やましいことはなにもないよ」
苛立つこともなく、はっきりと葉一はいった。
「初芽が心配するようなことはなにもない」
黙っていると、葉一がもう一度、繰り返した。
「今日、凪砂に聞いて。あいつが話さないなら、おれが話す。約束する」
「……わかった」
不満や不安は驚くほどなかった。葉一が曖昧に濁して逃げようとせずに正面から受け止めてくれたことで、むしろ安心できた。
「あとで連絡する」
「うん。おれも電話する」
葉一の声を聞いて、ずっと聞けずにいたことをぶつけることができたことで、心の奥に残っていた迷いやわだかまりが消えていた。互いに「好きだよ」と伝えてから、短い通話を終えた。
スマホを握ったまま、おれはこれまでにないほど穏やかで落ち着いた気持ちになっていた。
もう逃げない。凪砂からも葉一からも。
鍵が開けられる音がした。ドアの向こうに人の気配。凪砂が帰宅したのだ。
ロールキャベツを煮ていた火を止め、おれはキッチンを出て、親友を迎えるため玄関に向かった。



