ファーストリーフ

 会計を済ませ、3人で店を出た。
 凪砂は煙草をくわえ、ポケットに手を入れて、ライターを探していた。無事に見つけ出したものの、今度はバッグのなかをまさぐりながら、舌を打つ。
「葉一、おまえ、おれのモバイルバッテリ持ってる?」
「ああ、持ってきたよ。悪い、おれも忘れてたわ」
 葉一が自分のバッグに手を突っ込んで白い電子機器を取り出した。コードをクリップで留めたモバイルバッテリを凪砂に渡す。
「ほら」
「サンキュー」
「おまえ忘れもの多すぎ。気つけろよ」
「わかってるよ。じゃあな」
 後半はおれに向かっていった。笑顔で手を挙げて見せる。
「行ってらっしゃい。頑張って」
「おう」
「次は火曜日のマチネに行くから」
「んー」
 凪砂はすでに背中を向けていた。稽古場に向かう凪砂を見送るおれの肩に、葉一が手を置いた。
「相変わらずだな、凪砂」
「うん……」
 笑おうとしたが、うまくいかなかった。端役とはいえ、約1年ぶりの凪砂の出演ドラマだ。ふたりで観るのを楽しみにしていた。落胆を隠すのは難しかった。
「今日くらい練習休んでもいいのにな」
「でもそういうストイックなところも凪砂のよさだから」
 つい庇うような口調になってしまったが、事実ではあった。
「たぶん遅くなると思うから、夜食でもつくってのんびり待つよ」
 凪砂より2年遅れて、おれも地元を出て上京した。芸能事務所を退所して寮を出るところだった凪砂に誘われ、いっしょに部屋を借りることにした。いわゆるルームシェアだ。
 頭脳明晰で運動神経も抜群、要領もよくなんでも器用にこなす凪砂だったが、こと家事については人並み以下だった。とくに掃除の技術は絶望的で、寮の部屋を出るときには多額の清掃料金を課されるほどだった。料理もしないため、食事はコンビニの弁当やスーパーの総菜ばかりだった。
 おれは地元の専門学校で調理を学んでいて、調理師免許も取得していたから、料理だけはできた。おれは家賃を支払う代わりに食費と光熱費を負担し、家事全般を一手に引き受けることにした。完全に平等といえる条件ではないかもしれないが、おれにとっては願ったり叶ったりというところだった。だれよりもちかくで凪砂の美貌を愛でることができ、なによりも凪砂の役に立てるということに喜びを得ていた。財力があれば家賃も全額支払いたいほどだが、残念ながら、そういうわけにもいかなかった。凪砂の実家は裕福だったが、おれの家はごくふつうの中流家庭で、さらに、田舎の父と弟ふたりとは血の繋がりもなかった。父はやさしいひとで、弟たちもかわいかったが、高校2年の頃に母親が病死してから、なんとなく家に居づらくなった。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
 駅に向かって歩きながらいうと、隣で葉一が曖昧に頷いた。
 おれが上京してさらに2年後の去年、大学を卒業した葉一が上京した。都内の企業に就職が決まったためだった。それまで凪砂の舞台を観に行くのはいつもひとりだったが、葉一が付き合ってくれるようになり、感想を話す相手ができた。あのとおり、凪砂は積極的に感想を聞きたがるほうではない。むしろ影響されるのを避けているようだった。
「あのさ」
 改札に近づいたところで、葉一が足を止めた。
「よかったら、おれんちで見る?」
「え?」
 スマホを操作して舞台のエゴサーチをはじめていたため、反応が一拍遅れた。顔を上げると、葉一がおれを見下ろしていた。
「ほら、ドラマ、いっしょに見るかと思って」
 一瞬、戸惑った。葉一のマンションは下北沢からも笹塚のおれたちの住まいからもそう遠くなかったが、それでも深夜ドラマをリアルタイムで見るとなると、終電に間に合わない可能性がある。
「やめとく。遅くなるとあれだし」
「……そっか」
 葉一は残念そうに見えた。凪砂に置き去りにされたおれを不憫に思ったのかもしれない。そう考えたとき、ふと違和感に気づいた。
「なんで葉一くんが凪砂のモバイルバッテリ持ってたの?」
「え? ああ……」
 唐突な問いに、葉一も戸惑いの表情を見せた。
「いや、この前いっしょに飲んだとき、あいつが忘れてって」
「お店に?」
「うん、そう、店に忘れて」
 辻褄があわないわけではないが、どうもしっくりこない。凪砂はほとんどスマホをさわらない。長時間を過ごす稽古場や劇場ならまだしも、居酒屋やバーでモバイルバッテリを表に出し、しかもその場に置き忘れて帰るなどということがあるだろうか。
「葉一くんちじゃなくて?」
 たいした理由があって聞いたわけではない。詮索するつもりもなかったが、葉一は目に見えて狼狽した。
「ちがうって。なんであいつがうちにくるんだよ。ありえないだろ、そんなの」
 友人同士なのだから、ありえないということもない。実際、たった今おれも誘われた。にもかかわらず、葉一は必死に隠そうとしている。なにか理由があるはずだったが、問い質すよりも先に、葉一のほうが話を変えた。
「初芽もホモ嫌い?」
「え……」
 脈絡がなさすぎて、冗談かと思った。笑おうとしたが、葉一の表情を見て、口を噤んだ。
「いや、凪砂がホモとかキモいっていってただろ」
 いつもどおりの笑顔に見えたが、なにかが気にかかり、迎合の笑みを浮かべることができなかった。
「初芽もそう思う? 男が男好きとか、やっぱキモいよな?」
 どう答えていいのかわからない。なぜ突然そんなことを聞くのかわからなかった。おれはなにもいえず、ただ葉一をじっと見つめることしかできなかった。
「ごめん。嘘。今のは冗談」
「冗談って……」
 すくなくとも、おれの知る葉一は無意味な冗談を口にする男ではない。軽薄な口調の裏にある真意を読み取れず、おれは狼狽しきっていた。
「葉一くん……」
「なんでもないから気にすんな。じゃ、また来週」
 そそくさと形容するのが相応しいような素早さで、改札を抜け、走って行ってしまう。長身が雑踏に紛れて見えなくなると、おれはなんとなく不安な気持ちでスマホを握りしめた。なにか、いいようのない予兆のようなものを感じ、その場に立ち尽くしたまま、しばらくの間、動けずにいた。