「あ、わかった」
箸を持った手を不自然に空中で止めて、凪砂がなんの前置きもなくいった。
「なんかずっと違和感あったんだよな」
「なにが?」
思わずぎくりとしながらいう。おれの隣で、葉一も息を詰めているのがわかる。
「座り位置だよ、座り位置」
おれたちの関係を感づかれたのかと一瞬たじろいだが、そうではないらしい。凪砂は箸の先でおれたちを交互に指し示して、いった。
「いつもは初芽がおれの隣で、向かいが葉一だろ」
指摘されてようやく気づいた。3人で店に入り、ごく自然な流れで葉一の隣の席に腰掛けていた。
ふだんならおれと凪砂が隣り合って座り、向かい側に葉一が座る。示し合わせたわけではないが、高校時代の放課後のファストフード店からずっと変わらない位置関係だった。
「そういえばそうかもな。意識してなかったわ」
どぎまぎしているおれの横で、葉一が滑らかな口調でいう。焦った様子も見せずに平然と食事を再開する。
「なんか最近おまえら仲よくね?」
「そんなことないよ」
今度はおれのほうが先に答えたが、葉一ほど自然ではなかった。慌てて口を噤む。左半身に葉一の視線を感じた。
「まあべつにどうでもいいけど」
凪砂が新しいビールを注文する。ジョッキの底に残った黄金色の液体を一気に喉に流し込む。長期の舞台公演を終え、次の公演まで間がある。凪砂は酒好きではあったが、稽古期間にはアルコールは控えていた。今が心置きなく飲める時期というわけだ。
仕事を終えて直接店にきた葉一はスーツ姿でネクタイははずしていた。凪砂とおなじサイズのジョッキでハイボールを飲んでいる。
凪砂のリクエストで入った串焼きの店は狭かったが、老舗らしく、平日でも常連客で賑わっていた。
ササミの身から抜いた串の行き場に迷っていると、葉一がさりげなく円筒形の串入れを差し出してくれた。
「ありがとう」
向かいの席の凪砂の視線が気になり、身を引く。
「だいじょうぶ、こっちにもあるから」
店に入ってから、葉一と視線を合わせることはほとんどなかった。こめかみのあたりに葉一の視線だけを感じていた。
3人で会うのは久しぶりだった。凪砂の舞台が終わった後に下北沢の劇場近くの台湾料理店で食事して以来だ。その日の別れ際に、葉一に「ホモは嫌いか」と聞かれた。半年ほどしかたっていないのにもかかわらず、遠い昔のことのように思えた。
「おい、初芽」
箸の先でウーロン茶のグラスの縁を叩かれ、我に返った。
「なにぼーっとしてんだよ」
テーブルに頬杖をついた凪砂がおれを見ていた。
「あ、ごめん」
「またちがうこと考えてただろ」
いつものことではあったが、凪砂は呆れたように腕を組んだ。
「ごめん。えっと、なんの話?」
「凪砂が焼肉行こうってさ」
葉一が助け船を出してくれる。これもいつものことだった。
「あ、うん。行きたい」
考えることもなく頷く。
「今から?」
「なわけねえだろ、馬鹿。今度だよ、今度」
こっそり胸を撫で下ろす。凪砂は酔うといつも以上に強気で無鉄砲になる。稽古がないせいか、この日はいつもよりピッチが早い。顔に出ないタイプではあるが、目の縁が赤く、酔いが回りはじめていることがわかった。
「吉祥寺にうまい店あるってさ。テレビでやってたんだよ、今日。来週あたり行こうぜ」
スマホを操作する手が覚束ない。ようやく目的のグルメサイトにたどり着き、おれたちのほうへディスプレイを向ける。
「生タンが最高なんだってよ。一回も冷凍してないって。やばくね?」
「いいね、うまそう」
葉一もわかっているのか、うまく調子を合わせている。
「いつ行く?」
身を乗り出して尋ねる。凪砂はスマホのスケジュールに目をはしらせて、いった。
「来週は? 5日とか」
「いいよ」
「おい……」
即答したおれに被せるようにして、葉一が声を上げる。はじめて目が合い、同時に、その日が誕生日だということを思い出した。葉一と会う約束をしていたことも。
「なんだよ。なんかあんの?」
「あ、いや……」
「初芽、おまえその日誕生日だったよな。ついでに誕生日会しようぜ。おれ、あれ食いたい。肉ケーキ」
葉一が視線を送ってくる。アルコールのせいか、凪砂は気づいていない。無邪気に声を弾ませる。
「おしゃ、決まりな。ネットで予約しとくわ」
「あ……」
喉の奥で声が詰まって外に出ない。
「なんだよ。予定ないんだろ?」
「いや、えっと……」
凪砂が眉を上げて首を傾げる。横目に隣の葉一を見ると、すさまじい形相としかいえない顔でおれをじっと見ていた。対照的なふたりの顔を見較べながら、おれは再びパニックを起こしかけていた。
「あの、凪砂……」
「あ、おれトイレ行ってくるわ」
おれの声量は低すぎて、周囲の喧噪と凪砂の声にかき消されてしまった。トイレに立つ凪砂を黙って見送るしかなかった。
「わかってる」
葉一が顔を近づけてくる。なにかいわれる前に自分から弁解した。
「ちゃんとおぼえてるから」
「じゃ断れよ」
声を顰めたが、周囲の客たちはそれぞれの会話に夢中で、おれたちの話の内容には関心を持っていなかった。
「今すぐ断れ」
さすがの葉一も表情を固くして、苛立っているようだった。おれの耳元に唇を寄せ、抑えた声でいった。
「凪砂がもどったらすぐいえよ」
「わかってるけど……」
「けど?」
葉一の声が低くなる。怒っているのだ。怒っている葉一を見るのははじめてだった。おれは思わず喉仏を上下させて唾液を飲み干した。
「3人で誕生日会っていうのは……」
「だめに決まってんだろ」
当然の答えだった。縮こまっているおれの膝に手を置いて、葉一が迫ってくる。
「誕生日はふたりきりで過ごす約束だろ」
「そうだけど凪砂がせっかく……」
「せっかく?」
膝の上の手に力が入る。距離が近すぎる。凪砂が帰ってくる頃だ。トイレのほうに視線を向けると、葉一の表情がさらに強ばった。
「なにがせっかくだよ。肉食いたいだけだろ、あれは」
「でも……」
「初芽」
いつもなら、仕方ないと苦笑いして許してくれる。しかしこの日はちがった。決して引き下がらないと宣言するかのように、おれの膝をつかみ、顔を寄せ、囁いた。
「誕生日はふたりだけだからな」
有無をいわせぬ口調。トイレのドアが開き、凪砂の姿が見えた。
「おまえがいえないっていうならおれがいう」
「ちょっと待って。わかった。いうから」
咄嗟にいった。葉一がどう話すかわからない。自分で話すほうがまだましに思えた。
「絶対断れ」
短くいって、葉一が素早く離れる。ほろ酔いの凪砂がもどってくる。おれたちを見下ろし、天使の微笑みをたたえ、いった。
「ん? なんかあったんか?」
串焼き店の蛍光灯の下、その笑顔は宝石のように輝き、一瞬にしておれの思考を奪った。
箸を持った手を不自然に空中で止めて、凪砂がなんの前置きもなくいった。
「なんかずっと違和感あったんだよな」
「なにが?」
思わずぎくりとしながらいう。おれの隣で、葉一も息を詰めているのがわかる。
「座り位置だよ、座り位置」
おれたちの関係を感づかれたのかと一瞬たじろいだが、そうではないらしい。凪砂は箸の先でおれたちを交互に指し示して、いった。
「いつもは初芽がおれの隣で、向かいが葉一だろ」
指摘されてようやく気づいた。3人で店に入り、ごく自然な流れで葉一の隣の席に腰掛けていた。
ふだんならおれと凪砂が隣り合って座り、向かい側に葉一が座る。示し合わせたわけではないが、高校時代の放課後のファストフード店からずっと変わらない位置関係だった。
「そういえばそうかもな。意識してなかったわ」
どぎまぎしているおれの横で、葉一が滑らかな口調でいう。焦った様子も見せずに平然と食事を再開する。
「なんか最近おまえら仲よくね?」
「そんなことないよ」
今度はおれのほうが先に答えたが、葉一ほど自然ではなかった。慌てて口を噤む。左半身に葉一の視線を感じた。
「まあべつにどうでもいいけど」
凪砂が新しいビールを注文する。ジョッキの底に残った黄金色の液体を一気に喉に流し込む。長期の舞台公演を終え、次の公演まで間がある。凪砂は酒好きではあったが、稽古期間にはアルコールは控えていた。今が心置きなく飲める時期というわけだ。
仕事を終えて直接店にきた葉一はスーツ姿でネクタイははずしていた。凪砂とおなじサイズのジョッキでハイボールを飲んでいる。
凪砂のリクエストで入った串焼きの店は狭かったが、老舗らしく、平日でも常連客で賑わっていた。
ササミの身から抜いた串の行き場に迷っていると、葉一がさりげなく円筒形の串入れを差し出してくれた。
「ありがとう」
向かいの席の凪砂の視線が気になり、身を引く。
「だいじょうぶ、こっちにもあるから」
店に入ってから、葉一と視線を合わせることはほとんどなかった。こめかみのあたりに葉一の視線だけを感じていた。
3人で会うのは久しぶりだった。凪砂の舞台が終わった後に下北沢の劇場近くの台湾料理店で食事して以来だ。その日の別れ際に、葉一に「ホモは嫌いか」と聞かれた。半年ほどしかたっていないのにもかかわらず、遠い昔のことのように思えた。
「おい、初芽」
箸の先でウーロン茶のグラスの縁を叩かれ、我に返った。
「なにぼーっとしてんだよ」
テーブルに頬杖をついた凪砂がおれを見ていた。
「あ、ごめん」
「またちがうこと考えてただろ」
いつものことではあったが、凪砂は呆れたように腕を組んだ。
「ごめん。えっと、なんの話?」
「凪砂が焼肉行こうってさ」
葉一が助け船を出してくれる。これもいつものことだった。
「あ、うん。行きたい」
考えることもなく頷く。
「今から?」
「なわけねえだろ、馬鹿。今度だよ、今度」
こっそり胸を撫で下ろす。凪砂は酔うといつも以上に強気で無鉄砲になる。稽古がないせいか、この日はいつもよりピッチが早い。顔に出ないタイプではあるが、目の縁が赤く、酔いが回りはじめていることがわかった。
「吉祥寺にうまい店あるってさ。テレビでやってたんだよ、今日。来週あたり行こうぜ」
スマホを操作する手が覚束ない。ようやく目的のグルメサイトにたどり着き、おれたちのほうへディスプレイを向ける。
「生タンが最高なんだってよ。一回も冷凍してないって。やばくね?」
「いいね、うまそう」
葉一もわかっているのか、うまく調子を合わせている。
「いつ行く?」
身を乗り出して尋ねる。凪砂はスマホのスケジュールに目をはしらせて、いった。
「来週は? 5日とか」
「いいよ」
「おい……」
即答したおれに被せるようにして、葉一が声を上げる。はじめて目が合い、同時に、その日が誕生日だということを思い出した。葉一と会う約束をしていたことも。
「なんだよ。なんかあんの?」
「あ、いや……」
「初芽、おまえその日誕生日だったよな。ついでに誕生日会しようぜ。おれ、あれ食いたい。肉ケーキ」
葉一が視線を送ってくる。アルコールのせいか、凪砂は気づいていない。無邪気に声を弾ませる。
「おしゃ、決まりな。ネットで予約しとくわ」
「あ……」
喉の奥で声が詰まって外に出ない。
「なんだよ。予定ないんだろ?」
「いや、えっと……」
凪砂が眉を上げて首を傾げる。横目に隣の葉一を見ると、すさまじい形相としかいえない顔でおれをじっと見ていた。対照的なふたりの顔を見較べながら、おれは再びパニックを起こしかけていた。
「あの、凪砂……」
「あ、おれトイレ行ってくるわ」
おれの声量は低すぎて、周囲の喧噪と凪砂の声にかき消されてしまった。トイレに立つ凪砂を黙って見送るしかなかった。
「わかってる」
葉一が顔を近づけてくる。なにかいわれる前に自分から弁解した。
「ちゃんとおぼえてるから」
「じゃ断れよ」
声を顰めたが、周囲の客たちはそれぞれの会話に夢中で、おれたちの話の内容には関心を持っていなかった。
「今すぐ断れ」
さすがの葉一も表情を固くして、苛立っているようだった。おれの耳元に唇を寄せ、抑えた声でいった。
「凪砂がもどったらすぐいえよ」
「わかってるけど……」
「けど?」
葉一の声が低くなる。怒っているのだ。怒っている葉一を見るのははじめてだった。おれは思わず喉仏を上下させて唾液を飲み干した。
「3人で誕生日会っていうのは……」
「だめに決まってんだろ」
当然の答えだった。縮こまっているおれの膝に手を置いて、葉一が迫ってくる。
「誕生日はふたりきりで過ごす約束だろ」
「そうだけど凪砂がせっかく……」
「せっかく?」
膝の上の手に力が入る。距離が近すぎる。凪砂が帰ってくる頃だ。トイレのほうに視線を向けると、葉一の表情がさらに強ばった。
「なにがせっかくだよ。肉食いたいだけだろ、あれは」
「でも……」
「初芽」
いつもなら、仕方ないと苦笑いして許してくれる。しかしこの日はちがった。決して引き下がらないと宣言するかのように、おれの膝をつかみ、顔を寄せ、囁いた。
「誕生日はふたりだけだからな」
有無をいわせぬ口調。トイレのドアが開き、凪砂の姿が見えた。
「おまえがいえないっていうならおれがいう」
「ちょっと待って。わかった。いうから」
咄嗟にいった。葉一がどう話すかわからない。自分で話すほうがまだましに思えた。
「絶対断れ」
短くいって、葉一が素早く離れる。ほろ酔いの凪砂がもどってくる。おれたちを見下ろし、天使の微笑みをたたえ、いった。
「ん? なんかあったんか?」
串焼き店の蛍光灯の下、その笑顔は宝石のように輝き、一瞬にしておれの思考を奪った。



