葉一の眉間に皺が刻まれるのを見て、いたたまれなくなり、視線を落とした。
「この前はつい、咄嗟にOKしちゃったけど、いろいろ考えて、やっぱり気持ちが追いつかないっていうか……」
舌を縺れさせながら、なんとか言葉を紡いだ。
「葉一くんの気持ちはうれしいけど、おれは……葉一くんとは、友達でいたい。だから……ごめん」
葉一の顔を正面から見ることはできなかった。膝の上で拳を固め、俯いていると、掌で頭を撫でられた。
「わかった」
顔を上げると、葉一のやさしい微笑がそこにあった。怒鳴られるか詰られるかのどちらかだと想像していた。どちらでもなかった。葉一はおれの頭に掌を置いて、ゆっくり頷いた。
「ていうか、わかってた」
深く息をつき、運転席のシートに背中を埋める。おれから視線をはずし、フロントガラスを見据え、いった。
「流されてOKしちゃってんだろうなって薄々わかってて、無理矢理押しちゃった。考える暇なくして、後に退けなくなるように、とにかく勢いでどうにかしようって」
独白のようにいって、自嘲気味に笑う。
「ずるいよな」
「そんなことない」
ずるいのはおれのほうだ。葉一の気持ちが真実だと知っていて、真剣に向き合おうとしなかった。おためごかしの返事でその場を凌ごうとした。
自分の気持ちを圧し込めるかのように深く息を吐く葉一の横顔を見ていると、胸がくるしくなった。ほかのだれでもない、おれがこんな顔をさせているのだと思うと、胸が切り刻まれそうだった。
「じゃあ、その……明日からはまた友達?」
「うん」
「よかった……」
ふだんどおりの笑顔に、おれは心の底から安堵した。一度は受け容れたのにもかかわらず反故にするなど都合がよすぎる。気を悪くしてもしかたないのに、非難めいたことを一言も口にせず、おれの罪悪感を解してくれようとする葉一の気遣いがありがたかった。
「そんな心配だった?」
「うん。もう会わないっていわれるんじゃないかと……」
「そんなわけない」
葉一が小さく笑う。目を細めておれを見た。
「初芽に会えなくなったら生きてけないよ」
なんと答えてよいかわからず、おれは俯いた。
「告白のあと、おれのこと考えた?」
無言で頷く。事実だった。告白された日から今日までずっと葉一のことばかり考えていた。どう断るかということが中心だったが、それでも葉一のことを考えていたといえるだろう。
「そっか」
短い沈黙。視線は感じていたが、顔を上げられなかった。
「適当に断ってもいいのに、真剣に考えてくれてうれしい」
葉一の手がおれの頭に乗せられた。やさしい手つきで髪を撫でられる。
「そういうところも好きだ」
「葉一くん……」
おれの言葉を遮るように、葉一の手が素早く離れた。
「悪い。友達にはこういうこといわないよな」
その一言を聞いたとたん、これまでとはちがった痛みが胸を突いた。その正体について考えまいとするように、助手席のシートの上で身を引いた。
「あの、おれ帰るよ」
「ちょっと待って」
ドアを開けようとした手をつかまれた。思わずどきっとして振り返ると、目の前に葉一の顔があった。
「レストランの予約しちゃったから、晩メシだけいっしょ食わない?」
「え……」
「ほら、キャンセルするのももったいないし」
葉一の表情に邪気はなかった。
「そっか……えっと、凪砂……は、本番中か」
「凪砂は関係ないだろ」
やわらかな口調で葉一がいう。
「あ、じゃあほかに……」
「おまえ以外と行かない」
振られたからといって、べつの相手を探すようなデリカシーのない男とは思えない。楽しいディナーのためにレストランを予約してくれた葉一の気持ちを想像できないわけもないのに、また馬鹿なことを口ばしってしまった。
「……当日キャンセルってことになったらお店に悪いよね。食材も無駄になっちゃうし」
コース料理を予約したのにもかかわらず時間になってもこない客はたまにいる。ひどいときは連絡がつかないことさえある。用意した料理を廃棄するのは料理人としてやるせない思いだった。
「ごめん。これこそ無理矢理だよな」
おれの逡巡に気づいた葉一が取り繕うようにいう。
「そんなことない」
反射的に顔を上げた。どう考えても悪いのはおれだ。行くつもりがないのなら早いうちにそう意思表示すべきだった。おれにはだれかと付き合った経験もデートをした経験もないが、事前に店を予約するのは当然のマナーだろう。葉一はおれを喜ばせようと店を抑えてくれただけだ。おれの我が儘のためにレストランにも迷惑をかけてしまう。
「あの……」
「今日だけ」
おれの言葉に被せるように、葉一がいった。
「今日までいっしょにいない? このあと出かけて、夜、メシ食って、終わり」
笑顔ではあったが、眼の奥には緊張があった。
「……どう?」
静かに頷くと、葉一はこちらが驚くほどの勢いで拳を振った。両手でガッツポーズをつくり、運転席のシートが跳ねた。大袈裟な反応に、おれは思わず笑ってしまった。これまでに何度もふたりで食事することはあったし、出かけることもあった。そんなことがこれほどうれしいとは、思ってもいなかった。
「よし、じゃ行こう」
葉一が再びイグニッションを回す。声が弾んで、横顔の頬が紅潮している。無邪気な表情が眩しく見えた。
カーステレオからロックが流れてきた。イギリスのバンドで、日本ではあまり知られていないが、アンダーグラウンドのシーンでは根強い人気を誇っている。
「おれ、この曲好き」
「知ってる」
意外な気がした。葉一がロックに詳しいとは知らなかった。口を開きかけ、思い出した。高校の頃、まだ葉一と知り合って間もないとき、葉一が凪砂と話しているのを横で黙って聞いていると、葉一がふいにおれを見て尋ねた。
「初芽は?」
学生服の肘を机の上に立てて、おれの顔を覗き込んでくる。
「初芽はどんな音楽が好きなの?」
思い出した。葉一はいつもそうしてさりげなくおれの好みや考えを聞いてきた。凪砂のついでだと思っていた。会話のなかに入り込むきっかけをつくってくれているのだと、葉一の気遣いだろうと思っていた。おれに関心があるわけではないと……
「昼はなに食おうか? せっかく車あるし、ちょっと足伸ばして、横浜の中華街まで行く?初芽、行きたいっていってただろ」
自分でもおぼえていないほど細かい会話の内容を、葉一は驚くほど詳細に記憶していた。
「葉一くんが食べたいのでいいよ」
「なんでだよ。初芽の……」
「どうせ夜のお店はおれが好きそうなとこ予約してるんでしょ」
「おい、びっくりさせようとしてんのに予想すんなよ」
ウインカーを出しながら、葉一が笑う。なめらかに車を発進させる。ペーパードライバーだといっていたが、動作は手慣れているように見えた。1週間かけてかなりトレーニングしたのかもしれない。
「初芽が食べたいのがいいんだよ。なにがいい?」
「ううん……」
助手席のシートベルトを握りしめた。葉一はおれのことをなんでも知っている。趣味や嗜好、思考も手に取るように把握し、理解したうえで、尊重してくれる。それなのに、おれは葉一がなにを考えているのか、気にもしていなかった。食べものや音楽、葉一が好きなものをなにひとつ知らない。
「おれ、葉一くんの……葉一くんがなに好きか知りたい」
本心だった。葉一がおれに抱く気持ちとはちがうかもしれない。ただ、葉一を知りたかった。おれが知らない、知っているはずなのに、気にしていなかった葉一のことを。
「この前はつい、咄嗟にOKしちゃったけど、いろいろ考えて、やっぱり気持ちが追いつかないっていうか……」
舌を縺れさせながら、なんとか言葉を紡いだ。
「葉一くんの気持ちはうれしいけど、おれは……葉一くんとは、友達でいたい。だから……ごめん」
葉一の顔を正面から見ることはできなかった。膝の上で拳を固め、俯いていると、掌で頭を撫でられた。
「わかった」
顔を上げると、葉一のやさしい微笑がそこにあった。怒鳴られるか詰られるかのどちらかだと想像していた。どちらでもなかった。葉一はおれの頭に掌を置いて、ゆっくり頷いた。
「ていうか、わかってた」
深く息をつき、運転席のシートに背中を埋める。おれから視線をはずし、フロントガラスを見据え、いった。
「流されてOKしちゃってんだろうなって薄々わかってて、無理矢理押しちゃった。考える暇なくして、後に退けなくなるように、とにかく勢いでどうにかしようって」
独白のようにいって、自嘲気味に笑う。
「ずるいよな」
「そんなことない」
ずるいのはおれのほうだ。葉一の気持ちが真実だと知っていて、真剣に向き合おうとしなかった。おためごかしの返事でその場を凌ごうとした。
自分の気持ちを圧し込めるかのように深く息を吐く葉一の横顔を見ていると、胸がくるしくなった。ほかのだれでもない、おれがこんな顔をさせているのだと思うと、胸が切り刻まれそうだった。
「じゃあ、その……明日からはまた友達?」
「うん」
「よかった……」
ふだんどおりの笑顔に、おれは心の底から安堵した。一度は受け容れたのにもかかわらず反故にするなど都合がよすぎる。気を悪くしてもしかたないのに、非難めいたことを一言も口にせず、おれの罪悪感を解してくれようとする葉一の気遣いがありがたかった。
「そんな心配だった?」
「うん。もう会わないっていわれるんじゃないかと……」
「そんなわけない」
葉一が小さく笑う。目を細めておれを見た。
「初芽に会えなくなったら生きてけないよ」
なんと答えてよいかわからず、おれは俯いた。
「告白のあと、おれのこと考えた?」
無言で頷く。事実だった。告白された日から今日までずっと葉一のことばかり考えていた。どう断るかということが中心だったが、それでも葉一のことを考えていたといえるだろう。
「そっか」
短い沈黙。視線は感じていたが、顔を上げられなかった。
「適当に断ってもいいのに、真剣に考えてくれてうれしい」
葉一の手がおれの頭に乗せられた。やさしい手つきで髪を撫でられる。
「そういうところも好きだ」
「葉一くん……」
おれの言葉を遮るように、葉一の手が素早く離れた。
「悪い。友達にはこういうこといわないよな」
その一言を聞いたとたん、これまでとはちがった痛みが胸を突いた。その正体について考えまいとするように、助手席のシートの上で身を引いた。
「あの、おれ帰るよ」
「ちょっと待って」
ドアを開けようとした手をつかまれた。思わずどきっとして振り返ると、目の前に葉一の顔があった。
「レストランの予約しちゃったから、晩メシだけいっしょ食わない?」
「え……」
「ほら、キャンセルするのももったいないし」
葉一の表情に邪気はなかった。
「そっか……えっと、凪砂……は、本番中か」
「凪砂は関係ないだろ」
やわらかな口調で葉一がいう。
「あ、じゃあほかに……」
「おまえ以外と行かない」
振られたからといって、べつの相手を探すようなデリカシーのない男とは思えない。楽しいディナーのためにレストランを予約してくれた葉一の気持ちを想像できないわけもないのに、また馬鹿なことを口ばしってしまった。
「……当日キャンセルってことになったらお店に悪いよね。食材も無駄になっちゃうし」
コース料理を予約したのにもかかわらず時間になってもこない客はたまにいる。ひどいときは連絡がつかないことさえある。用意した料理を廃棄するのは料理人としてやるせない思いだった。
「ごめん。これこそ無理矢理だよな」
おれの逡巡に気づいた葉一が取り繕うようにいう。
「そんなことない」
反射的に顔を上げた。どう考えても悪いのはおれだ。行くつもりがないのなら早いうちにそう意思表示すべきだった。おれにはだれかと付き合った経験もデートをした経験もないが、事前に店を予約するのは当然のマナーだろう。葉一はおれを喜ばせようと店を抑えてくれただけだ。おれの我が儘のためにレストランにも迷惑をかけてしまう。
「あの……」
「今日だけ」
おれの言葉に被せるように、葉一がいった。
「今日までいっしょにいない? このあと出かけて、夜、メシ食って、終わり」
笑顔ではあったが、眼の奥には緊張があった。
「……どう?」
静かに頷くと、葉一はこちらが驚くほどの勢いで拳を振った。両手でガッツポーズをつくり、運転席のシートが跳ねた。大袈裟な反応に、おれは思わず笑ってしまった。これまでに何度もふたりで食事することはあったし、出かけることもあった。そんなことがこれほどうれしいとは、思ってもいなかった。
「よし、じゃ行こう」
葉一が再びイグニッションを回す。声が弾んで、横顔の頬が紅潮している。無邪気な表情が眩しく見えた。
カーステレオからロックが流れてきた。イギリスのバンドで、日本ではあまり知られていないが、アンダーグラウンドのシーンでは根強い人気を誇っている。
「おれ、この曲好き」
「知ってる」
意外な気がした。葉一がロックに詳しいとは知らなかった。口を開きかけ、思い出した。高校の頃、まだ葉一と知り合って間もないとき、葉一が凪砂と話しているのを横で黙って聞いていると、葉一がふいにおれを見て尋ねた。
「初芽は?」
学生服の肘を机の上に立てて、おれの顔を覗き込んでくる。
「初芽はどんな音楽が好きなの?」
思い出した。葉一はいつもそうしてさりげなくおれの好みや考えを聞いてきた。凪砂のついでだと思っていた。会話のなかに入り込むきっかけをつくってくれているのだと、葉一の気遣いだろうと思っていた。おれに関心があるわけではないと……
「昼はなに食おうか? せっかく車あるし、ちょっと足伸ばして、横浜の中華街まで行く?初芽、行きたいっていってただろ」
自分でもおぼえていないほど細かい会話の内容を、葉一は驚くほど詳細に記憶していた。
「葉一くんが食べたいのでいいよ」
「なんでだよ。初芽の……」
「どうせ夜のお店はおれが好きそうなとこ予約してるんでしょ」
「おい、びっくりさせようとしてんのに予想すんなよ」
ウインカーを出しながら、葉一が笑う。なめらかに車を発進させる。ペーパードライバーだといっていたが、動作は手慣れているように見えた。1週間かけてかなりトレーニングしたのかもしれない。
「初芽が食べたいのがいいんだよ。なにがいい?」
「ううん……」
助手席のシートベルトを握りしめた。葉一はおれのことをなんでも知っている。趣味や嗜好、思考も手に取るように把握し、理解したうえで、尊重してくれる。それなのに、おれは葉一がなにを考えているのか、気にもしていなかった。食べものや音楽、葉一が好きなものをなにひとつ知らない。
「おれ、葉一くんの……葉一くんがなに好きか知りたい」
本心だった。葉一がおれに抱く気持ちとはちがうかもしれない。ただ、葉一を知りたかった。おれが知らない、知っているはずなのに、気にしていなかった葉一のことを。



