約1週間、まんじりともせず過ごした。告白した日から、葉一は毎日まめに連絡を寄越した。朝昼晩のLINE、寝る前には電話がかかってきた。たいした用事があるわけではない。その日会ったことを聞かれ、好きだと伝えられ、おやすみをいわれた。
それまでも電話やLINEで連絡を取ることはあったが、毎日ではなかったし、話す内容もまるでちがっていた。おれは完全に困惑していた。
そして水曜がやってきた。映画を観に行く約束の日。経験が浅くとも、いわゆる初デートを意味するのだということくらいはわかる。
最寄り駅の近くで葉一を待ちながら、おれは緊張で右往左往していた。デートの高揚ではない。葉一に拒絶の意思を伝えるのが怖くて緊張しているのだった。
やっぱり気が変わったのだといえば、葉一は落胆するだろう。気を悪くするかもしれない。しかし、無意味に長引かせるよりははるかにましだ。関係を解消するのは早ければ早いほどいい。
約束した時間まで10分ほど。葉一があらわれたら、その場で真意を伝え、映画館には向かわず別れるつもりだった。前夜に自室で何度もシミュレーションを繰り返した。その場の空気に流されやすい優柔不断な性質を自覚していたからこそ、不測の事態にも狼狽えないよう、何度も練習した。絶対に伝えられるはずだ。そうでなくては、今日ここにきた意味がない。
何度目かの深呼吸。平日とはいえ、駅前はひとが多かった。葉一の姿を見つけようと視線を巡らせた。葉一は滅多に遅れない。スマホのディスプレイで時間を確認していると、クラクションが鳴った。
「初芽!」
声がした方向とクラクションの音が聞こえた方向はおなじだった。振り返ると、白いセダンが舗道の脇に停まっていた。運転席のドアを開けて、葉一が出てくる。濃紺のジャケットにベージュのシャツ、きれいに磨かれたブーツを履いている。どれもはじめて目にするアイテムだった。シンプルながらすっきりと引き締まったスタイルが、長身の葉一をさらに魅力的に見せていた。
「ごめん。早めにきたつもりだったけど待たせたか」
車で迎えにくるとは想像していなかった。呆気にとられているおれに、葉一が一輪の花を差し出した。
「はい、これ」
ピンク色のコスモスだった。反射的に受け取って、顔が熱くなるのを感じた。デートのはじめに花など、まるで漫画か映画の世界だ。予想していなかった展開が次々に襲ってきて、あれほど入念に練習した内容がすべて頭から消え去っていた。
「車、持ってたの?」
薄いピンクの花びらを見つめながら、かろうじて尋ねた。
「いや、レンタカー借りた」
いわれてみれば、『わ』のナンバーだった。車種には詳しくないが、横を歩いていく通行人の視線で、高そうな車だということがわかる。
「免許持ってたんだ」
「大学のとき地元でいちおう取ったけど、ほとんど運転はしてなかった。都内ではいらないしな」
照れたような笑顔を見せ、葉一はいった。
「あ、心配すんなよ。ペーパードライバーだけど、ここ一週間で死ぬほど練習したから」
今日のためにそこまでしたとは。思わず胸が詰まった。
「乗って」
おれのために助手席のドアを開けてくれる。人目が気になったが、だれもおれたちのことを気にしてはいないようだった。断り切れず、そっと助手席に身を滑り込ませる。
膝の上に花を置き、茎の部分を指先で弄る。落ち着かない気分。こんなふうにだれかと外出するのもはじめてだ。まして花をもらうなど。
緊張で全身固まっているおれとは対照的に、葉一は手慣れていた。運転席に回り、長い脚を運転スペースに滑り込ませる。
「映画、なに見る? 初芽の好きなやつでいいよ」
運転席の葉一が話しながらイグニッションを回す。エンジンがかかる音で我に返った。
「ディナー予約してあるから、終わったあとどこかでちょっとぶらぶらして……」
「あの、葉一くん」
葉一の言葉と動作を遮るように、サイドブレーキにかかった手をつかんだ。
「ちょっと話したいことあるんだけど」
「なに?」
葉一はエンジンを切り、体をこちらに向けてきた。話を聞くとき、いつもこうして動きを止め、相手の目を見るのは葉一の数多い美点のひとつだった。
「えっと……」
葉一のまっすぐな眼差しを受け止めるのは困難だった。手のなかのコスモスを見つめ、ふと記憶が甦った。
高校1年のとき。花壇の前でうずくまって雑草を集めていると、突然知らない生徒から声を掛けられた。
「花、好きなの?」
顔を上げると、背の高い生徒が立っていた。ちょうど太陽を背にしているせいで顔はよく見えなかった。曖昧に頷くと、彼はうれしそうにいった。
「おれも好き。それ、コスモスだよな?」
どんな返事をしたかはおぼえていなかった。おそらく、まともに答えず、その場から逃げ去ってしまったのではないだろうか。それ以上の記憶はなかった。コスモスの香りと親しげな声だけが、朧に残っていた。
「初芽?」
顔を上げると、運転席から身を乗り出して、葉一がおれの顔を覗き込んでいた。花壇の前でおれに声をかけてきたときとおなじ穏やかな眼差しだった。
「どうした?」
高校の頃からずっと好きだったと葉一はいった。俄には信じがたい。それでも、嘘とはいいきれなかった。胸の奥で渦巻く感情を抑え込み、おれはいった。
「ごめん!」
意識していた以上に大きな声になっていた。葉一が驚いたような顔をして、その表情を見たとたん、さらに緊張が高まった。
「あの、おれ、やっぱり葉一くんとは付き合えない」
それまでも電話やLINEで連絡を取ることはあったが、毎日ではなかったし、話す内容もまるでちがっていた。おれは完全に困惑していた。
そして水曜がやってきた。映画を観に行く約束の日。経験が浅くとも、いわゆる初デートを意味するのだということくらいはわかる。
最寄り駅の近くで葉一を待ちながら、おれは緊張で右往左往していた。デートの高揚ではない。葉一に拒絶の意思を伝えるのが怖くて緊張しているのだった。
やっぱり気が変わったのだといえば、葉一は落胆するだろう。気を悪くするかもしれない。しかし、無意味に長引かせるよりははるかにましだ。関係を解消するのは早ければ早いほどいい。
約束した時間まで10分ほど。葉一があらわれたら、その場で真意を伝え、映画館には向かわず別れるつもりだった。前夜に自室で何度もシミュレーションを繰り返した。その場の空気に流されやすい優柔不断な性質を自覚していたからこそ、不測の事態にも狼狽えないよう、何度も練習した。絶対に伝えられるはずだ。そうでなくては、今日ここにきた意味がない。
何度目かの深呼吸。平日とはいえ、駅前はひとが多かった。葉一の姿を見つけようと視線を巡らせた。葉一は滅多に遅れない。スマホのディスプレイで時間を確認していると、クラクションが鳴った。
「初芽!」
声がした方向とクラクションの音が聞こえた方向はおなじだった。振り返ると、白いセダンが舗道の脇に停まっていた。運転席のドアを開けて、葉一が出てくる。濃紺のジャケットにベージュのシャツ、きれいに磨かれたブーツを履いている。どれもはじめて目にするアイテムだった。シンプルながらすっきりと引き締まったスタイルが、長身の葉一をさらに魅力的に見せていた。
「ごめん。早めにきたつもりだったけど待たせたか」
車で迎えにくるとは想像していなかった。呆気にとられているおれに、葉一が一輪の花を差し出した。
「はい、これ」
ピンク色のコスモスだった。反射的に受け取って、顔が熱くなるのを感じた。デートのはじめに花など、まるで漫画か映画の世界だ。予想していなかった展開が次々に襲ってきて、あれほど入念に練習した内容がすべて頭から消え去っていた。
「車、持ってたの?」
薄いピンクの花びらを見つめながら、かろうじて尋ねた。
「いや、レンタカー借りた」
いわれてみれば、『わ』のナンバーだった。車種には詳しくないが、横を歩いていく通行人の視線で、高そうな車だということがわかる。
「免許持ってたんだ」
「大学のとき地元でいちおう取ったけど、ほとんど運転はしてなかった。都内ではいらないしな」
照れたような笑顔を見せ、葉一はいった。
「あ、心配すんなよ。ペーパードライバーだけど、ここ一週間で死ぬほど練習したから」
今日のためにそこまでしたとは。思わず胸が詰まった。
「乗って」
おれのために助手席のドアを開けてくれる。人目が気になったが、だれもおれたちのことを気にしてはいないようだった。断り切れず、そっと助手席に身を滑り込ませる。
膝の上に花を置き、茎の部分を指先で弄る。落ち着かない気分。こんなふうにだれかと外出するのもはじめてだ。まして花をもらうなど。
緊張で全身固まっているおれとは対照的に、葉一は手慣れていた。運転席に回り、長い脚を運転スペースに滑り込ませる。
「映画、なに見る? 初芽の好きなやつでいいよ」
運転席の葉一が話しながらイグニッションを回す。エンジンがかかる音で我に返った。
「ディナー予約してあるから、終わったあとどこかでちょっとぶらぶらして……」
「あの、葉一くん」
葉一の言葉と動作を遮るように、サイドブレーキにかかった手をつかんだ。
「ちょっと話したいことあるんだけど」
「なに?」
葉一はエンジンを切り、体をこちらに向けてきた。話を聞くとき、いつもこうして動きを止め、相手の目を見るのは葉一の数多い美点のひとつだった。
「えっと……」
葉一のまっすぐな眼差しを受け止めるのは困難だった。手のなかのコスモスを見つめ、ふと記憶が甦った。
高校1年のとき。花壇の前でうずくまって雑草を集めていると、突然知らない生徒から声を掛けられた。
「花、好きなの?」
顔を上げると、背の高い生徒が立っていた。ちょうど太陽を背にしているせいで顔はよく見えなかった。曖昧に頷くと、彼はうれしそうにいった。
「おれも好き。それ、コスモスだよな?」
どんな返事をしたかはおぼえていなかった。おそらく、まともに答えず、その場から逃げ去ってしまったのではないだろうか。それ以上の記憶はなかった。コスモスの香りと親しげな声だけが、朧に残っていた。
「初芽?」
顔を上げると、運転席から身を乗り出して、葉一がおれの顔を覗き込んでいた。花壇の前でおれに声をかけてきたときとおなじ穏やかな眼差しだった。
「どうした?」
高校の頃からずっと好きだったと葉一はいった。俄には信じがたい。それでも、嘘とはいいきれなかった。胸の奥で渦巻く感情を抑え込み、おれはいった。
「ごめん!」
意識していた以上に大きな声になっていた。葉一が驚いたような顔をして、その表情を見たとたん、さらに緊張が高まった。
「あの、おれ、やっぱり葉一くんとは付き合えない」



