葉一の告白を受けた直後、ふたりとも連絡が取れないことにしびれを切らした凪砂のほうからやってきた。彼女も同伴しており、紹介も兼ねて全員で食事に出かけたため、この日はそれ以上葉一とふたりで話すことはなかった。
食事会での葉一はふだんより饒舌だった。何度か視線が合い、そのたびにやさしい眼差しで笑いかけられ、どきりとした。
とくに示し合わせたわけではないが、おれたちが付き合うことになったとは話さなかった。凪砂も彼女も、しどろもどろのおれを訝しげな目で見ながらも、違和感には気づいていなかったはずだ。
うろたえているのはおれだけで、食事中も別れるときも、葉一の態度は、すくなくとも表面上はいつもと変わらなかった。帰宅するときには、やはり告白は冗談で、からかわれただけなのかもしれないと思いはじめていた。
「初芽、ケータイ鳴ってる」
シャワーを浴びてバスルームを出ると、リビングで凪砂がテレビを見ていた。食事会で飲み足りなかったのか、缶ビールを開けている。
「えっと、どこ置いたっけ……」
「そこ。テーブルの上」
缶ビールを持った手でダイニングテーブルを示す。
「葉一からLINEだった」
「えっ」
つい過剰に反応してしまった。慌ててテーブルの上のスマホを手に取る。
「見たの?」
「たまたま鳴ったとき近くにいて名前だけ見えたんだよ」
ソファに寝そべったまま、首を捻って、狼狽するおれを見る。
「なに慌ててんだよ」
「べつに……」
LINEをひらいてみる。シャワーを浴びている間に葉一から届いたメッセージは『今日はお疲れ』、『もう寝た?』の2通でいずれも他愛のない内容だった。慌てる必要はなかったようだ。とりあえず胸を撫で下ろす。
「おまえ、葉一となんかあったの?」
「え、ないよ、なにもない、なんで?」
「……いんだけどさ、べつに」
ソファの上で脚を組み、凪砂も自分のスマホを弄っている。
「凪砂は彼女とLINE?」
「んーまあ……」
「かわいい子だったね」
おなじ舞台で共演している俳優の卵で、ふだんは地下アイドルのメンバーとして活動しているとのことだった。小柄で長い黒髪が印象的な和風美人だった。凪砂のタイプといえるだろう。ふたりが並ぶとまるで少女漫画の登場人物のようだった。
葉一の向かい側に座ったものの、それ以上会話の糸口を見つけることができなかった。もしおれと葉一が付き合うことになったとしたらどう思うか聞いてみたかったが、怖くて聞けなかった。『もしおれが男と付き合うとしたらどう思う?』もおなじだ。葉一との間になにかあったのか疑っている状態では、勘ぐられてしまう可能性もある。
実際に被害を被ったわけではないおれとちがって、凪砂は学生時代から男に求愛され、ときには強引に迫られたこともあった。身近な存在だからといって、嫌悪感をおぼえないとは限らない。むしろ、すぐそばにいるからこそ不快に感じるかもしれない。男同士で恋愛をしているという理由で遠ざけられるのは怖かった。
「……なんだよ」
おれの視線に気づいたのか、こちらには目を向けずに凪砂がいう。おれより先にシャワーを済ませていたがまだ髪を乾かしていなかった。湿った髪がクッションの上でいくつかの束をつくっている。
「なんかいいたいことあんの」
「いや……」
テレビはバラエティ番組を放送していて、若手芸人が体を張ったパフォーマンスを披露して拍手を浴びている。ゲストとして若手俳優やアイドルが出演していたが、そのなかのだれも凪砂ほど美しい容姿を持っていなかった。
凪砂に対して、恋愛感情を抱いていないといったのは嘘ではない。凪砂の強さと美しさに心酔しているのは事実だが、恋愛とはべつのものだ。もっとべつのなにか……執着や依存と形容したほうがちかいかもしれない。
食事会で凪砂の隣ではにかむ彼女の姿を思い出していた。凪砂を見つめる瞳には恋心が滲んでいた。凪砂がいうように、今後数週間、数ヶ月後に破局したとしても、今この瞬間、凪砂に恋い焦がれている感情は間違いではないだろう。
同時に、葉一の表情も鮮明に甦った。葉一がおれを好き。考えたこともなかった。男が好きというのはかろうじて理解できたとしても、その相手がおれというのは、即座には飲み込めない。
どうして葉一は凪砂に惚れないのだろう。こんなにも美しいのに。だれもが目を奪われ、虜になるはずの男がすぐそばにいて、おれを求めるのは間違っている。
「電話、鳴ってんぞ」
「あ……」
風呂上がりの凪砂に見とれて、手のなかでスマホが震えているのに気づかなかった。LINEではなく着信だった。
「葉一くんだ。ちょっと電話してくるね」
「いちいちいわなくていいって」
呆れたように凪砂がいう。スマホを手に自室に入ると、念のためドアに鍵をかけてから電話に出た。
「もしもし……」
「初芽?」
回線の向こう側の声は弾んでいた。
「今平気? あ、電話、まずかった?」
「ううん、だいじょうぶ」
「既読ついたから、まだ起きてんのかと思って」
既読のマークがつくまでずっと画面を睨んで待っていたのだろうか。大きな体を丸めてスマホを握っている姿を想像して、思わず笑ってしまった。
「ちょっとお風呂入ってた」
「お風呂……」
不自然に会話が途切れた。
「なに?」
「いや、ごめん。ちょっと風呂入ってるとこ想像してた」
顔が熱くなる。今まで考えもしなかったが、恋愛感情を抱いているということはつまり肉体的にも魅力を感じているということになるのか。そして同時に、昼間の告白が冗談でも勘違いでも夢でもなかったと思い知った。
「葉一くん、あの……」
「悪い、変なこといって。おれまだ浮かれてんのかも……」
葉一のうれしそうな声を聞いて、胸が痛んだ。葉一がおれを好きだということは疑いようのない事実だ。いっぽうで、おれは葉一とおなじように葉一を見ているかといえば、頷けない。生まれてはじめて告白されて、反射的に受け容れてしまったが、中途半端な気持ちで付き合うには、葉一の思いが真剣すぎると感じていた。
やはり、間違いだった。葉一の気持ちが本物だからこそ、安易に受け容れてはいけなかった。おなじ熱量の感情を持てないのなら、はじめから断るべきだ。今ならまだもとどおりの友情関係にもどれる。
「あのね、葉一くん」
リビングにいる凪砂を気にして声をひそめ、いった。
「今日のことなんだけど……」
「ああ、いきなりだったからびっくりしただろ。ごめんな」
どう話せばいいか躊躇っているうちに、葉一のほうから話しはじめた。
「まさかOKしてもらえると思ってなかった。絶対気持ち悪がられると思ってたしこれでもう友達ですらいられなくなると思ったから」
「そんなわけ……」
「初芽と付き合えるとかマジで夢みたい。すっげーうれしくて、声聞きたくて電話しちゃった」
これまでひた隠しにしてきた気持ちをストレートにぶつけてくる葉一の純粋さは、おれの胸をさらに絞った。告白の返事を取り消したいといえば、傷つくのはあきらかだった。どう伝えればいいかわからず、途方に暮れているおれに、葉一はいった。
「あのさ、初芽」
考えに耽ってぼんやりとしていたためにすぐには返事ができなかった。
「初芽?」
「あ、なに?」
「おれ、なんかひとりでテンション上がっててやばいな。引いた?」
「引いてないよ、全然……」
「そっか。よかった」
電話の向こうで布が擦れる音がした。葉一も自分の部屋でベッドかソファにいるのかもしれない。
「来週、休みいつ?」
「来週?」
テーブルの上の手帳を確認する。おれは年齢のわりにアナログ人間で、LINEに届く仕事のシフトをわざわざ手帳に書き写していた。
「来週は水曜日が休みだよ」
「じゃ、その日映画観に行こう」
「え、でも……葉一くんは平日仕事じゃないの?」
「休み取るから」
「えっ、わざわざ?」
「土日は初芽もう今月休めないだろ。いいよ、どうせどっかで有休消化しないと無駄になるだけだし」
「でも……」
「朝10時頃は? 早すぎ? 駅まで迎えに行くけど」
「いや、悪いから……」
「いいって。迎えに行きたいんだよ。じゃ、水曜の10時で」
いつものように迅速かつ効率的に予定を決めていく。優柔不断で行動の遅いおれにとっては、ありがたいはずだった。いつもなら安堵する。葉一に任せておけば安心だと心から思える。しかし今日はちがった。あっという間になにもいえなくなってしまう。こうなってはもはや先約があると嘘をつくこともできない。
「どした、初芽?」
おれの反応を気にしてか、葉一が心配そうな声で尋ねてくる。
「行きたくない?」
「あ、ううん。行きたい」
咄嗟に答えてしまってから、天井を仰ぐ。行きたくないわけではなかった。葉一と出かけるのは楽しいし、ちょうど観たい作品もある。ふだんなら迷いもしない。だからつい口から出てしまった。
「よかった。じゃあ水曜な」
「あ、葉一くん……」
「なに?」
葉一の声は無邪気に弾んでいて、なにもいえなくなってしまう。
「……ううん、やっぱ来週会ったときでいい」
「そっか……」
いずれにしても、告白の返事を取り下げるなら、直接会って話したほうがいい。電話やLINEで伝えるのは不誠実だろう。
「来週楽しみだな」
「うん……」
問題を先送りにしているだけかもしれない。おれの悪癖でもあった。しかし、どうしてもいえなかった。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみ……」
ため息のような声になってしまった。回線を切る前に、葉一がいった。
「初芽」
「え?」
「告白、OKしてくれてありがとう。大好きだよ」
一気に全身の熱が上昇するのがわかった。不意をつかれたことに加え、あまりに直接的な言葉だったために、準備のできていない脳が沸騰した。
「じゃあ、水曜な」
答える間もなく、電話は切れていた。無機質な電子音を遠くに聞きながら、おれは呆然としていた。やがて我に返ると、全身の熱が急激に冷えていくのを感じた。
おれはとんでもないことをしてしまったのかもしれない。このままでは葉一の純粋な気持ちを踏みにじるだけでなく、深く傷つけてしまう。
葉一とは付き合えない。告白にOKしたのは間違いだった。それだけの言葉がどうしてもいえなかった。水曜に直接会っていえるかどうか、自信はなかった。それでも伝えなくてはならない。そうしなければこのままずるずるとつづいていってしまう。時間がたてばたつほど傷は深くなり、もとにもどれなくなってしまう。
来週、絶対にいう。心に決めて、おれは頭から布団を被った。
食事会での葉一はふだんより饒舌だった。何度か視線が合い、そのたびにやさしい眼差しで笑いかけられ、どきりとした。
とくに示し合わせたわけではないが、おれたちが付き合うことになったとは話さなかった。凪砂も彼女も、しどろもどろのおれを訝しげな目で見ながらも、違和感には気づいていなかったはずだ。
うろたえているのはおれだけで、食事中も別れるときも、葉一の態度は、すくなくとも表面上はいつもと変わらなかった。帰宅するときには、やはり告白は冗談で、からかわれただけなのかもしれないと思いはじめていた。
「初芽、ケータイ鳴ってる」
シャワーを浴びてバスルームを出ると、リビングで凪砂がテレビを見ていた。食事会で飲み足りなかったのか、缶ビールを開けている。
「えっと、どこ置いたっけ……」
「そこ。テーブルの上」
缶ビールを持った手でダイニングテーブルを示す。
「葉一からLINEだった」
「えっ」
つい過剰に反応してしまった。慌ててテーブルの上のスマホを手に取る。
「見たの?」
「たまたま鳴ったとき近くにいて名前だけ見えたんだよ」
ソファに寝そべったまま、首を捻って、狼狽するおれを見る。
「なに慌ててんだよ」
「べつに……」
LINEをひらいてみる。シャワーを浴びている間に葉一から届いたメッセージは『今日はお疲れ』、『もう寝た?』の2通でいずれも他愛のない内容だった。慌てる必要はなかったようだ。とりあえず胸を撫で下ろす。
「おまえ、葉一となんかあったの?」
「え、ないよ、なにもない、なんで?」
「……いんだけどさ、べつに」
ソファの上で脚を組み、凪砂も自分のスマホを弄っている。
「凪砂は彼女とLINE?」
「んーまあ……」
「かわいい子だったね」
おなじ舞台で共演している俳優の卵で、ふだんは地下アイドルのメンバーとして活動しているとのことだった。小柄で長い黒髪が印象的な和風美人だった。凪砂のタイプといえるだろう。ふたりが並ぶとまるで少女漫画の登場人物のようだった。
葉一の向かい側に座ったものの、それ以上会話の糸口を見つけることができなかった。もしおれと葉一が付き合うことになったとしたらどう思うか聞いてみたかったが、怖くて聞けなかった。『もしおれが男と付き合うとしたらどう思う?』もおなじだ。葉一との間になにかあったのか疑っている状態では、勘ぐられてしまう可能性もある。
実際に被害を被ったわけではないおれとちがって、凪砂は学生時代から男に求愛され、ときには強引に迫られたこともあった。身近な存在だからといって、嫌悪感をおぼえないとは限らない。むしろ、すぐそばにいるからこそ不快に感じるかもしれない。男同士で恋愛をしているという理由で遠ざけられるのは怖かった。
「……なんだよ」
おれの視線に気づいたのか、こちらには目を向けずに凪砂がいう。おれより先にシャワーを済ませていたがまだ髪を乾かしていなかった。湿った髪がクッションの上でいくつかの束をつくっている。
「なんかいいたいことあんの」
「いや……」
テレビはバラエティ番組を放送していて、若手芸人が体を張ったパフォーマンスを披露して拍手を浴びている。ゲストとして若手俳優やアイドルが出演していたが、そのなかのだれも凪砂ほど美しい容姿を持っていなかった。
凪砂に対して、恋愛感情を抱いていないといったのは嘘ではない。凪砂の強さと美しさに心酔しているのは事実だが、恋愛とはべつのものだ。もっとべつのなにか……執着や依存と形容したほうがちかいかもしれない。
食事会で凪砂の隣ではにかむ彼女の姿を思い出していた。凪砂を見つめる瞳には恋心が滲んでいた。凪砂がいうように、今後数週間、数ヶ月後に破局したとしても、今この瞬間、凪砂に恋い焦がれている感情は間違いではないだろう。
同時に、葉一の表情も鮮明に甦った。葉一がおれを好き。考えたこともなかった。男が好きというのはかろうじて理解できたとしても、その相手がおれというのは、即座には飲み込めない。
どうして葉一は凪砂に惚れないのだろう。こんなにも美しいのに。だれもが目を奪われ、虜になるはずの男がすぐそばにいて、おれを求めるのは間違っている。
「電話、鳴ってんぞ」
「あ……」
風呂上がりの凪砂に見とれて、手のなかでスマホが震えているのに気づかなかった。LINEではなく着信だった。
「葉一くんだ。ちょっと電話してくるね」
「いちいちいわなくていいって」
呆れたように凪砂がいう。スマホを手に自室に入ると、念のためドアに鍵をかけてから電話に出た。
「もしもし……」
「初芽?」
回線の向こう側の声は弾んでいた。
「今平気? あ、電話、まずかった?」
「ううん、だいじょうぶ」
「既読ついたから、まだ起きてんのかと思って」
既読のマークがつくまでずっと画面を睨んで待っていたのだろうか。大きな体を丸めてスマホを握っている姿を想像して、思わず笑ってしまった。
「ちょっとお風呂入ってた」
「お風呂……」
不自然に会話が途切れた。
「なに?」
「いや、ごめん。ちょっと風呂入ってるとこ想像してた」
顔が熱くなる。今まで考えもしなかったが、恋愛感情を抱いているということはつまり肉体的にも魅力を感じているということになるのか。そして同時に、昼間の告白が冗談でも勘違いでも夢でもなかったと思い知った。
「葉一くん、あの……」
「悪い、変なこといって。おれまだ浮かれてんのかも……」
葉一のうれしそうな声を聞いて、胸が痛んだ。葉一がおれを好きだということは疑いようのない事実だ。いっぽうで、おれは葉一とおなじように葉一を見ているかといえば、頷けない。生まれてはじめて告白されて、反射的に受け容れてしまったが、中途半端な気持ちで付き合うには、葉一の思いが真剣すぎると感じていた。
やはり、間違いだった。葉一の気持ちが本物だからこそ、安易に受け容れてはいけなかった。おなじ熱量の感情を持てないのなら、はじめから断るべきだ。今ならまだもとどおりの友情関係にもどれる。
「あのね、葉一くん」
リビングにいる凪砂を気にして声をひそめ、いった。
「今日のことなんだけど……」
「ああ、いきなりだったからびっくりしただろ。ごめんな」
どう話せばいいか躊躇っているうちに、葉一のほうから話しはじめた。
「まさかOKしてもらえると思ってなかった。絶対気持ち悪がられると思ってたしこれでもう友達ですらいられなくなると思ったから」
「そんなわけ……」
「初芽と付き合えるとかマジで夢みたい。すっげーうれしくて、声聞きたくて電話しちゃった」
これまでひた隠しにしてきた気持ちをストレートにぶつけてくる葉一の純粋さは、おれの胸をさらに絞った。告白の返事を取り消したいといえば、傷つくのはあきらかだった。どう伝えればいいかわからず、途方に暮れているおれに、葉一はいった。
「あのさ、初芽」
考えに耽ってぼんやりとしていたためにすぐには返事ができなかった。
「初芽?」
「あ、なに?」
「おれ、なんかひとりでテンション上がっててやばいな。引いた?」
「引いてないよ、全然……」
「そっか。よかった」
電話の向こうで布が擦れる音がした。葉一も自分の部屋でベッドかソファにいるのかもしれない。
「来週、休みいつ?」
「来週?」
テーブルの上の手帳を確認する。おれは年齢のわりにアナログ人間で、LINEに届く仕事のシフトをわざわざ手帳に書き写していた。
「来週は水曜日が休みだよ」
「じゃ、その日映画観に行こう」
「え、でも……葉一くんは平日仕事じゃないの?」
「休み取るから」
「えっ、わざわざ?」
「土日は初芽もう今月休めないだろ。いいよ、どうせどっかで有休消化しないと無駄になるだけだし」
「でも……」
「朝10時頃は? 早すぎ? 駅まで迎えに行くけど」
「いや、悪いから……」
「いいって。迎えに行きたいんだよ。じゃ、水曜の10時で」
いつものように迅速かつ効率的に予定を決めていく。優柔不断で行動の遅いおれにとっては、ありがたいはずだった。いつもなら安堵する。葉一に任せておけば安心だと心から思える。しかし今日はちがった。あっという間になにもいえなくなってしまう。こうなってはもはや先約があると嘘をつくこともできない。
「どした、初芽?」
おれの反応を気にしてか、葉一が心配そうな声で尋ねてくる。
「行きたくない?」
「あ、ううん。行きたい」
咄嗟に答えてしまってから、天井を仰ぐ。行きたくないわけではなかった。葉一と出かけるのは楽しいし、ちょうど観たい作品もある。ふだんなら迷いもしない。だからつい口から出てしまった。
「よかった。じゃあ水曜な」
「あ、葉一くん……」
「なに?」
葉一の声は無邪気に弾んでいて、なにもいえなくなってしまう。
「……ううん、やっぱ来週会ったときでいい」
「そっか……」
いずれにしても、告白の返事を取り下げるなら、直接会って話したほうがいい。電話やLINEで伝えるのは不誠実だろう。
「来週楽しみだな」
「うん……」
問題を先送りにしているだけかもしれない。おれの悪癖でもあった。しかし、どうしてもいえなかった。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみ……」
ため息のような声になってしまった。回線を切る前に、葉一がいった。
「初芽」
「え?」
「告白、OKしてくれてありがとう。大好きだよ」
一気に全身の熱が上昇するのがわかった。不意をつかれたことに加え、あまりに直接的な言葉だったために、準備のできていない脳が沸騰した。
「じゃあ、水曜な」
答える間もなく、電話は切れていた。無機質な電子音を遠くに聞きながら、おれは呆然としていた。やがて我に返ると、全身の熱が急激に冷えていくのを感じた。
おれはとんでもないことをしてしまったのかもしれない。このままでは葉一の純粋な気持ちを踏みにじるだけでなく、深く傷つけてしまう。
葉一とは付き合えない。告白にOKしたのは間違いだった。それだけの言葉がどうしてもいえなかった。水曜に直接会っていえるかどうか、自信はなかった。それでも伝えなくてはならない。そうしなければこのままずるずるとつづいていってしまう。時間がたてばたつほど傷は深くなり、もとにもどれなくなってしまう。
来週、絶対にいう。心に決めて、おれは頭から布団を被った。



