今日、
然がうちに来る。
落ち着かない。
約束の時間は、もうすぐだ。
「不備はないか……?」
視線だけで
部屋をなぞる。
窓、よし。
本棚、よし。
デスク――勉強してる風。よし。
床、よし。
ベッド脇、余計なものなし。
ベッド下、……まあ関係ない。
ベッド――問題なし。
……よし。
朝から、
これを何度も
繰り返している。
そろっと
シーツをつまむ。
「整いすぎてやらしいな。
ちょっとくらい乱しておくか。」
枕をベッドに放り投げる。
そのくせ、
枕の角度を僅かに直す。
ポーン……!
スマホが鳴る。
『駅に着いた。』
ドクンッ!
心臓が跳ねる。
『すぐ行く。』
ポケットにねじ込み、
階段を駆け下りる。
――バンッ!
玄関のドアを開ける。
同時に、
猛ダッシュしていた。
すぐそこに然が来てる。
俺のホームタウンに――然が。
緊張してるのに
ワクワクが暴走してる。
駅の入口。
然が立ってる。
駆け寄って、
声をかけようとした。
でも――
スピードを緩め、
歩いて近づく。
「……然?」
然が顔を上げる。
「やほー、朔。」
手を挙げ、
軽く握る仕草をする。

一歩、
更に一歩、
ゆっくりと近づく。
「お前、その格好……」
然が肩をすくめる。
「悪い。
今日、揺らいでる日だ。
――でも、
敢えて、隠さないで来た。」
然は、
スカートこそ履いていないが、
ナチュラルメイク。
髪を耳にかけ、
キャスケット。
首元には、
小さなクローバー。
ライトグリーンのシャツに、
深い紺のワイドパンツ。
足元は、
コロンとしたスニーカー。
――いつかの日に、履いてたやつだ。
丸いフォルムが、
“揺らぎ”を引き受けている。
まるで――
そんな日を、
何度も越えてきたみたいに。
然が
自分のシャツの裾をつまみあげ、
少しだけ
低いトーンで言う。
「――まずかった?」
緊張が感じ取れる。
「――いや、違うんだ。
いつもの然もイイけど、
この然も、俺、好きだなって。
その……然らしさがイイって、
――そう思って見てた。」
「えっ?
――あっそう。」
ツンとした然の横顔。
「可愛いが過ぎる……」
「は?」
「え?いや、なんでもない。」
「お前、
ムッツリが成長してるな。」
「ムッツリ言うな!」
俺が生まれ育った街。
この景色に然がいる。
俺と並んで、歩いてる。
―――――
えっと。
こういう時、
俺は、
どうすれば?
今、
俺の目の前で、
テーブルの上のお菓子を挟んで、
然と母さんが向き合ってる。
……笛を吹いたら、
スパーンッ!
「はいーっ!取ったぁ!」喜ぶ母。
「えーん、負けたぁ……」悲しそうな然。
――なんて、
楽しいゲームが
始まるわけではない。
「朔。あんた、お使い行ってきて。」
はい!?
母さん、何を言っている?
「いや、俺は……」
母の
目の圧が凄すぎる。
チラッと然を見る。
「――!?」
然の
目の圧の方が勝ってた。
メモを預かり、
俺はすごすごと外に出た。
―――――
朔のお母さんと対峙してる。
俺、どう見えてるんだろう。
俺なんかが、
ここに居ていいのか?
お母さんの目に、
俺が映っていいのか?
こんな俺が。
俺なんかが――。
朔の母の指が
テーブルをトントン……
と叩く。
ハッ!我に返る。
「すみません!はい!」
なんてザマだ。
ガッチガチじゃないか。
「然くん。
――朔に話してくれて、ありがとう。」
「え……。」
ふっと、何かがよぎる。
――あれ。
この感じ。
朔の隣で、よく感じるやつだ。
……朔。
胸がきゅうっとなる。
喉の奥が、
目の奥が、
――ほんのり熱い。
「然くん?」
「えっと、あの、すみませんっ……!
こんな格好で……来てしまって。
普通の人、の擬態……はできるけど、
後々が……その……あの……。」
「きっと勇気いったよね。
朔から話を聞いて、
どうしても、
然くんと話したくて。
無理を言って
来てもらったの。」
――なんて落ち着く声なんだろう。
目の周りが
じわっと熱くなる。
「いえ、そんな……
俺、いや、僕、
――無理に来たわけじゃ、
ないです。」
朔の母が柔らかく微笑む。
「そっか。ありがとう。
然くんの話してくれたことは、
すごく大切なこと。
朔は、知っておかなきゃいけない。
これから、
――共に歩むために。」
「……え?……それって――。」
「そのまんまの意味よ。
あの子が、
然くんと出会えたこと、
心から嬉しく思ってるの。
朔のこと、
――よろしく頼みます。」
お母さんは、
俺なんかに深く頭を下げた。
込み上げる。
溢れ出る。
何が?
分からない。
溢れ出て止まらないんだ。
柔らかいタオルが、
そっと頬に当てられた。
「然くん、貴方は素晴らしい人だよ。
きっと、計り知れない思い、
たくさんしてきたよね。
意味の無いことはない。
――胸、張りなさい。」
目線を上げた先には、
……朔――?
違う、
お母さんだ。
『ホントに、そっくりな生き証人だな。』
タオルに身を預けて、
微笑んだ。
ガタッ!
「……どうした?」
振り返ると、
そこに、
朔が立ち尽くしていた。
お母さんが
ため息をついて立ち上がる。
「めんどくさいのが帰ってきた。
夜ご飯の準備するから、
2人とも部屋にどうぞ。
然くん、
食べていくよね?」
「はい。頂きます。」
笑顔で答える。
「ふふっ……頑張ろっと。」
お母さんが俺に微笑む。
朔が首を傾げながら
2人を
交互に見る。
「はやく、
ゆっくりさせてあげなさい!」
「あ!はいっ!」
母、強し。
―――――
部屋への階段を
上がっていく。
なんで泣いてんだ?
母さん、何言ったんだ?
然は大丈夫なのか?
あーもう、
お使い行った俺はバカだ。
カチャ……
パタン。
「好きなところ座って。」
「ん。」
然がぐるっと、
部屋を見渡している。

「あんま見ないで。
普通の部屋だろ?」
「うん、そうだね。」
クスッと笑うと、
然はベッドに腰を下ろした。
俺は、――どうしようか。
チラッと
チェアに視線を投げる。
足元に落とす。
目の端に、
ベッドに座る然の脚が入る。
ストン。
然の隣に落ち着く。
「心配させたな。」
然の口が開く。
静かだけど、
明るいトーンだ。
「――いや、まぁ、それなりに?」
頭の後ろをかく。
前髪をかきあげる。
Tシャツの襟を、
パタパタと仰ぐ。
然が吹き出す。
「落ち着けよ。
ここ、お前の部屋だろ。」
「うるせー。」
俺も笑う。
「お前が
挨拶に来たみたいに
なってるじゃんか。」
「だから、うるさいって。」
ひとしきり笑う。
「あー、しんど。」
然が静かだ。
膝の上で、
拳を握りしめている。
まつ毛が
小さく震えている。
指先で
然の目元を
無造作に拭いながら
その目を、覗き込む。
「――然?」
然の口が僅かに動く。
聞き取れない。
何て言ったんだ?
「ん?どうした?」
今度は
然の目を捉えて覗き込む。
然の、
まつ毛の影で
瞳が
微かに揺れた。
「然?」
頬に手を添え、
然の顔を俺に向ける。
――ピタッ。
まるで磁石のように、
俺と然の瞳が
噛み合う。
「俺っ……やっぱ最低だ。」
然がふいっと目を逸らす。
「何がだよ。こっち見ろ。」
グッと
頬の指に力を入れる。
まつ毛の隙間から
然の目が、
そろっと俺を見る。
熱を帯びた瞳に、
息を飲む。
然の唇が
小さく動く。
「……俺、朔とキスしたい。」
「――え?」
「俺っ……
今すぐ、朔とキスしたいっ……
こんなの……ごめんっ……
なんか分かんないけどっ……
今、すごくそうなんだっ……」
「然――、
……うん、しよ?」
俺の手が、
然の頬を
引き寄せる。

ふわっと
温度が上がる。
この日、
俺たちは初めて
――恋人のキスをした。



