hugme 蛍光ピンクの蝶

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  送信完了のアイコンが画面に浮かぶ。
  一秒だけそれを見つめ、すぐにメールソフトを閉じた。これ以上はもう考えたくない。頭は働かないのに、眠気もやってこない。
  机の上にはコンビニのワイン。安っぽい赤をグラスに注ぎ、一口。舌に残る渋みがひどく人工的で、余計に眠れそうもなかった。
  気がつけば、ブラウザのタブはhugmeに切り替わっていた。無意識のままにアーカイブへ飛ぶ。ミユリの過去作品の一覧。整然と並ぶ日付とタイトル。すべて読んでいる。読んでいるどころか、もう暗記している。
  でも、見返してしまう。
  一年と少し前の「読書記録」に差し掛かると、胸が少しだけ和らぐ。そこには、かつて私が書いて、世にほとんど忘れ去られた小説の感想がある。作品は筆名を使って発表していたので、ミユリは私の作品だと知らずに小説を評価し、共感してくれていた。
  あの日記を読むたびに、過去の敗北が洗い流されるような錯覚に陥る。

  もう一口ワインを流し込み、ため息をつく。

  長いこと、ミユリは新しい「作品」を更新していない。もう一年近くになる。学校の宿題や日記、レポートのようなテキストは更新されているが、詩や小説といった物語や言葉は、すっかりご無沙汰だ。

  ミユリの新しい言葉が読みたい。
 自分の代わりに、ミユリに新しい言葉を紡いでほしい。
 私にはもう書けないから。
 あの挫折した日々のことを思い出すと、胃がキリキリと痛む。自分の才能を諦めなければいけないとわかっているのに、諦められなかった日々。

 そんなときに出会ったのが、ミユリの出資募集だった。

  これしかない、私の生きる意味は。そう思った。
  ふと、未読の通知が目に入った。こんな時間になんだろう。通知には「『蛍光ピンク』 短い言葉をつくりました」とあった。ミユリの、新しい作品のアップロードだ。

「……やっと」

  急いでマウスを動かした。
  一年ぶりの更新。どんな文章だろう。どんな新しい言葉を、彼女は紡いでくれたのだろう。画面をクリックする。
  再生が始まる。
 ――そう、動画が再生された。そこに現れたのは文章ではなかった。

  屋外だ。夜、だろう。画面が暗い――と思うと、明るくなる。ライトがつけられたのだろう。薄暗い壁。スプレーの跡。
  そして、夜の空気をまとったミユリが現れる。
  彼女はカメラ目線で、おずおずと口を開く。ひとつひとつの言葉が、リズムを刻む。遊戯のようなフレーズ。彼女は視線をカメラから外し、走るように、踊るように、言葉を繋げながら体を動かしていく。
  背筋に冷たいものが走った。

「……なに、これ」

  呆然としているうちに、短い朗読動画は終わり、モニターの黒い画面には自分の顔が映り込んでいる。

 これが、彼女の新しい作品だというのか。私は、私の育てたかった才能は。
 あまりにも今までの作品と違う。いったいなんの、誰の影響でこんな動画を作ったんだろう。最近の彼女の日記も、毎朝の挨拶会での様子も、何も変わりなかったのに、作品だけがこんなに変わっている。
  なにより、生き生きとしていた。まるで、普通の女の子のようだった。
  グラスをテーブルに叩きつけると、赤い液体が跳ねてノートパソコンの端に散った。
  動画が再生されていたタブを閉じると、開いたままにしてあったミユリの日記が画面に現れた。暗い部屋の中、やけに白い画面だけがぼんやりと光っていた。



  今日の日記 苅真ミユリ

  帰り道に少し寄り道をして、図書館に入った。特に目的はなかったけれど、背表紙をながめていたら、『インナーカラーの女神』という小説が目についた。家に帰ってから少しだけ読むつもりが、結局最後まで読んでしまった。派手な出来事があるわけではないのに、女の人たちが髪の内側だけに色を持っているという設定が、とても印象的だった。人には簡単には見えないけれど、自分には確かにある色。それが「自分だけの秘密」みたいに思えて、読みながら何度も心をつかまれた。
  わたしにも、そういう色があるのだろうか。もしあるなら、大切にしたい。