hugme 蛍光ピンクの蝶

  その日の学校の授業は、ほとんど頭に入らなかった。
 友達の笑い声も、黒板のチョークの音も、どこか遠くで響いているようだった。

  灰吹カレン、お母さんのメッセージを思い出す。あの人は、他の「両親」のようにわたしを投資商品として見ているわけではない。あの人は……。

  一年ほど前に、カレンお母さんから送られてきたメッセージを思い出す。



「ミユリさん、こんばんは。今日の日記読みました。『インナーカラーの女神』、読んでくれてありがとう。実はあの小説は、私が書いた作品です。私がまだ若かった頃に出版されました。文学賞の候補にもなったものですが、受賞は逃してしまいました。あの時、賞を受賞したのが、あなたの産みの母のシホさんです。とても悔しかった。賞は逃してしまったけれど、私の中であの作品はとても大切な作品です。そんな小説を読み、評価してくれてありがとう。あなたには、シホさんの血が流れていますが、あなたの作品を読むたび、文学という世界では私の色を引き継いでくれるのではないかと、少しだけ期待していました。それが今日の日記で確信しました。ミユリさん、あなたは――」


「ミユリ」

  顔を上げると、立っていたのはエマだった。

「どうよ、あの朗読動画への大人たちの反応」

「うーん、意外と怒られなかった」

「そらそうっしょ。文学なんて金にならないものに出資してるの、道楽者ばっかりだもん」

  エマはいつものジャージ姿ではなく、どこかよそ行きの制服のようなワンピースとジャケット姿だった。

「私さあ、絵の勉強することになったんだよね」

「え……?」

  スカートの裾を整えながら、エマが私の隣にしゃがむ。

「ミユリは一般区がどんなところか知らないでしょ。なんもないの。生活も心も文化も貧しくて。下じゃ誰も絵にも小説にも本気にならないんだよ。
  なのに、私に絵に興味を持った大人がいるらしくて。美術の授業で書いたやつが、なんかネットに載ったらしくて、それを見たなんか有名な画家の先生からhugme経由でスカウトが来てたんだ」

「すごいじゃん」

「断るつもりだったんだよ。金のために絵を描くつもりはないし。好きなものが描けなくなって、誰かが欲しがる絵を描くなんてまっぴらじゃん?」

「……もったいないよ」

  エマは遠く、夜空を見上げるように首を伸ばした。

「ミユリが朗読動画を撮ったじゃん。それ見て、私も本心を言ってみたくなったんだ。で、そのスカウトくれた先生に、『私は自分のための絵しか描くつもりはありません』って言ったんだ。そしたら『そういう子じゃなきゃ、わざわざスカウトしない』って返ってきたんだよね」

  上を見上げているエマの目は、遠く、どこか遠くを見ているみたいだった。

「よかったじゃん」

「どうかな。でも、ありがと。都会の方に住んでる人らしくて、その人の家の近くに住むことになるから、ここに来られなくなるんだよね」

「……そっか」

  エマはわたしの手をそっと握り、ぎゅう、と強く力を込める。

「じゃあ、またね。上の子」

  エマが遠くへ行ってしまう、そんな気がした。エマはずっと自分の絵をわかっている。私は、私は自分の文学が分からない。
  壁に目をやると、初めて出会ったときにエマが描いてくれた私の絵と目が合う。目が合うのに、どこか他人行儀で、ついこの間の自分のはずなのに、なんだか遠く感じた。

「エマ」

「ん?」

「いつか私が詩集とか、小説とか本を出すことになったら、表紙描いてよ」

  彼女はにやりと笑う。

「出せたらな」