命を狙った皇帝のお飾り妃になりました―この謎、私が解決いたします―

まだ3日、もう3日。

紫釉が初めて由羅の部屋を訪れてから、すでに3日が経とうとしていた。

約束通り紫釉は毎日由羅の部屋に来てくれたが、肝心の怪死事件の話になると「由羅を危険な目に遭わせたくない」と言われてしまい話を聞けないのだ。

食い下がろうとしても、なんやかんや泰然と凌空の失敗談を面白おかしく語られたり、珍味が手に入ったと酒を勧められついつい杯を重ねてしまう…など、気づいたら上手くはぐらかされてしまっている。

(このままじゃダメだわ)

このまま正攻法で捜査に加えてもらおうとしても無駄な気がする。
今の由羅はまるで紫釉に飼い殺しにされているような気分だった。
一刻も早く怪死事件を解決して、この後宮から出て行きたい。
何とかしてこの状況を打開しなくては。

(そうだわ……なにも紫釉様から話を聞く必要はないじゃない)

黙って紫釉の言葉に従って部屋にいるほど、由羅は大人しい性格ではない。
紫釉が当てにならないのであれば、自分で動けばいいのだ。
そう思った由羅は、さっそく行動することにした。

さて、どう動くか。

まず由羅はこの怪死事件について全くと言っていいほど知らない。
ということは、まずは情報を収集することが現状第一にすべきことだろう。

事件はそのようにして起きたのか。
どんな状況でどう死亡したのか。
そういった情報を集めると共に、容疑者が絞れれば上々の結果と言えるだろう。

(どうやって情報を集めるかよね)

情報は人の多い所に集まる。
つまり聞き込みをするのが捜査の定石だろう。
ならばこの碧華宮から出ることが第一関門だ。

幸いにして蘭香は侍女仕事に追われてこの部屋に来ることは滅多にない。
こっそり抜け出して、さくっと情報収集して、さっと戻ればバレることはないだろう。

次の問題は外の衛兵だ。
門の外には常に衛兵たちがいて、以前外に出ようとして止められたことがある。
正面切って出て行くことは不可能だろう。

ならば、正面切らず奥の手を使えばいい。

由羅はそう考えると、この一週間で碧華宮を見回ったときのことを思い出した。
確か、一か所だけ塀が欠けている部分があり、そこからならば塀を登って越えることができるだろう。
黒の狼である由羅にとっては朝飯前である。

由羅はそう算段を付けると、洗濯物の中にあった侍女の服を拝借して着ると、滑るように部屋から出ると塀へと向かった。




碧華宮から上手く抜け出した由羅がまず向かったのは、女官の休憩所となっている庭園だった。
そこは後宮と外庁の中間にある庭園で、人工の小川がさらさら流れていて中央には東屋がある。

季節の花々が植えられていて、疲れた体にひと時の癒しを与えてくれる。
所々に長椅子(ベンチ)が置かれており、庭園の花にも負けない程の色とりどりの衣を纏った女官たちが楽しげに話している。

その一角に由羅は座り、周辺から聞こえてくる姦しい女官たちの会話に耳を傾けていた。
女官たちは噂話に花を咲かせ、ものの数分で様々な情報が入ってきた。
まずこの乾泰国には筆頭五家と呼ばれる5つの家が権力を持っているらしい。

劉家、魯家、藍家、楊家、趙家の5家である。

(確か凌空様は楊凌空だから楊家よね。泰然様も趙を名乗ってるから趙家ってことね)

つまり筆頭五家のうち、楊家と趙家は紫釉派であることが察せられた。

残りの3家については、劉家が軍事を司る兵部に多く人を輩出しているらしいことと、魯家が外交に強い礼部を仕切っているところまでは分かった。

だいたいの勢力図が分かったところで、怪死事件についての情報が得られないものかと由羅が耳を澄ませていると「翡翠妃」という単語が耳に入った。

翡翠妃というのは、由羅の別名である。
由羅の名前は公にされていないので翡翠妃と呼ばれているのだ。

(私がなんなんだろう?)

彼女らは東屋に座り、胡麻団子を頬張りながら話をしている。
由羅の位置からは少し距離があるので、由羅はさりげなく東屋に近い長椅子へと移動した。

「皇帝陛下もようやく妃を迎えたわね。翡翠妃を妃に迎えたってことは男色家っていうのはやっぱりデマだったのね」
「よかったぁ。皇帝が男色家っていうのは……私はちょっとねぇ」
「お世継ぎの問題もあるしねぇ」

そう言えば由羅がお飾り妃となる目的の一つに、紫釉に妃が決まらないため広がった男色家だという噂を払拭する目的もあった。
なるほど、女官たちまでこのような話をしているということは、割と深刻な問題だったのかもしれない。
3人の女官がそう話していると、別の女官が声を潜めて口を開いた。

「実は、主上に妃が決まらなかったのは、妃候補が呪いによって次々に死んだからなんだって」
「呪い!?」
「しー!」

驚いた声を上げた女官をすぐさま制止したのは黄緑の衣を纏った女官だ。

その女官は再びひそひそと話を続ける。

「なんでも、亡くなった方々は全員青い顔をして倒れて、呼吸できずに死んでしまうらしいのよ。原因も分からなくて、これはもう呪いだって刑部の中では有名な話みたい」

刑部は事件を捜査する機関だ。
彼らが捜査しているということは、紫釉も怪死事件の捜査は指示しているということで、最新の捜査情報は紫釉の耳にも入っているはずだ。
だがその刑部の官吏たちですら原因が分からないでいるということは、捜査は暗礁に乗り上げている状態なのかもしれない。

「やっぱり劉家のどなたかが呪いをかけたのかしら?」
「確かに怪しいわね」
「当主の菫夜(とうや)様じゃないの?」
「私もそう思う。だって劉家の人って陛下に何かと反発するじゃない?」

今の話からすると劉家は紅蘆派であるようだ。
その背景だけを考えるなら殺害を指示したのは劉家当主の菫夜である可能性は高い。

そこから女官の話は武官がいかに脳筋が多いのかの話題に移り、それでも某氏は美男子(イケメン)であるなどの話となってしまった。
これ以上は彼女たちの話を聞いても有力な情報は得られないだろう。

由羅はそう判断すると、そっと席を立った。

(怪死事件について、もう少し知りたいわね……刑部に潜り込めばもう少し情報が入るかもしれないわ)

被害者は全員同じ死に方をしているらしいが、もっと死亡状況や人間関係、亡くなる前の行動など具体的な情報が知りたい。

「刑部に潜り込めるかちょっと様子を見てみようかしら」

そう思った由羅は、そのまま刑部がある左官府へと足を向けた。


※ 

歩きながら由羅は脳内に皇城の見取り図を展開した。
刑部のある左官府は皇城の西側にある。
正門である鸞凰門(らんおうもん)の近くにあるため、今由羅のいる庭園からは少し距離がある。
往復の時間を考えると結構な時間がかかってしまう。

由羅は小走りに左官府へと向かっていると、前方を一人の老人がふらふらと歩いている後姿が目に入った。
足元がおぼつかない様子で、右足を庇っているように見えることから、もしかして足が不自由なのかもしれない。
なんとなく心配になって見守っていると突然老人が躓き、体が傾いたのを認めた瞬間、由羅は駆け出していた。

「危ない!」

老人が倒れる前に何とかその体を支える。
由羅が足を踏ん張って体だけは倒れないようにしたが、ばさばさと音がして地面に本が散らばった。

「大丈夫ですか!?」
「あぁ、すまんね。助かったよ」

そう言った老人はもともと深い皴を更に深くして小さく微笑みながら由羅を見た。
身長は由羅と同じくらいだが、少しだけ腰が曲がっているので由羅よりも小柄に見える。
肩くらいまでの白髪を結い上げており、こざっぱりした印象を受けた。
目じりに皴を寄せながら微笑む表情と、年を感じさせる深みのある声、そして纏う雰囲気から彼の柔和さが伝わって来た。

「足が思うように動かなくてね」

老人は苦笑しつつ自分の右足を軽くさすった。

「それは大変ですね」

そう言いつつ、由羅は地面に散らばった本を素早く拾った。
……のだが、その本の数がかなり多く、全部拾い終えると両手で抱えなければならないほどだった。

足が悪いのにこれだけの本を持って歩くのは難儀だろう。
本当は早く左官府へ向かいたい気持ちもあるが、困っている老人を見捨てるのは良心が痛む。
ここは老人の助けをすることにしよう。

「あの、これどちらに持って行かれるんですか? 良ければ運びましょうか?」
「でも……忙しいのでは? 手間を取らせるわけには……」
「大丈夫です!」

由羅はそう思って手伝いを申し出ると、老人は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが次の瞬間には深々と頭を下げた。

「すまんの。ではお願いしよう」
「はい! もちろんです。どちらにお運びしますか?」
「書庫までお願いできるだろうか?」
「書庫……」

言われてはたと気づく。
皇城内の大まかな建物の位置は把握しているが、三省六部以外の細かな建物までは覚えていない。

「えっと……」
「こっちじゃよ」

由羅が戸惑っていると、老人は薄紫の長袍(上着)を翻して道を促してくれたので、それについて行くことにした。

「儂は(しゅう)伯瑜(はくゆ)と申すもの。お前さんの名は?」
「私は由羅です」
「そうか、由羅と言うのか。由羅は最近皇城に来たのかい?」
「はい、そうですが……」

由羅は何故そんなことを聞かれたのか分からず一瞬考えたが、すぐにその理由に思い至った。
書庫の場所を知らなかったからだ。

「伯瑜様はお勤めされて長いんですか?」
「そうさねぇ。先々代の皇帝にお仕えしておるのでここには長いこと勤めておるの。主上がお小さい頃には少し学の手ほどきをさせてもらったもんじゃ」
「えっ、じゃあ伯瑜様は紫釉様の先生ということですか!?」

由羅は驚きながら伯瑜の姿を見ると、薄紫の長袍(上着)は上質の綿(めん)でできており、結い上げている白髪の留め具も小さいながらも銀でできていた。

実はかなりいい家柄の人間なのだろう。

「あ、申し訳ございません。礼儀を欠いた態度を取ってしまいました」

由羅が慌てて言うが、伯瑜は全く気にしていない様子で、緩く首を振りながら言った。

「いやいや、そうかしこまらずに。ずいぶんと昔の話じゃて。今は書庫でのんびりさせてもらっとる一官吏じゃ。……それにしてもあの小さな皇子が今や妃を娶るほど成長したかと思うと、歳月の流れは早いものじゃね」

伯瑜は懐かしい思い出に浸るように、優しい顔で空を見上げた。

「そう言えば紫釉様はなかなかお妃が決まらなかったらしいですね。妃候補が次々と呪い殺されたからだという噂を耳にしました」
「ああ、儂も劉家が呪ったのだとかいろいろ噂は聞いたがの、さてはてどこまでが本当なのやら」
「伯瑜様は噂を信じてらっしゃらないのですか?」

確かに妃候補の殺人については呪いなわけがない。
だが、噂を信じていない様子の伯瑜には、信じない根拠があるのだろうか。
由羅の問いに、伯瑜は難しい顔をしながらゆっくりと返答を述べた。

「そうさねぇ。確かに劉家は主上に反発している一族じゃて、そう言われるのも不思議ではない」
「では魯家と藍家は現朝廷に対して中立ということですか?」

「さぁて、中立に見せているが分からん。魯家や藍家も腹のうちは分からんからなぁ。あとは筆頭五家ならば楊家と趙家だが、あそこは主上を支持しているのは明らかじゃ」

確かに楊家の凌空と趙家の泰然の2人が紫釉に対する態度を見れば、紫釉に忠誠を誓っているのは疑いようもない。
そんな話をしていると、いつの間にか図書寮へと足を踏み入れていて、奥にある書庫殿に到着した。

「ここじゃよ」

伯瑜に促されて中に入ると、古い書物特有の古紙の匂いが鼻孔を抜けた。
少し埃っぽい室内には書棚が整然と並び、そこにはぎっしりと本や巻物が並べられている。
由羅は伯瑜に案内され薄暗い部屋の奥まで進むと、その一角に書卓があり、山積みにされた本が目に入った。

「ここに置いておくれ」

「はい」

伯瑜の指示に従い、どんと書卓に本を置いた。
一仕事終えて、由羅がふうと息をついていると、伯瑜は飾り棚の扉を開けながら由羅に声をかけた。

「よければ礼に茶の一杯でもご馳走したいのじゃが」

魅力的な誘いではあるが、さすがにそろそろ戻らないと宮を抜け出したことがバレてしまうだろう。
由羅は申し訳なく思いながら誘いを断ることにした。

「大変嬉しいのですが、仕事が残っているので戻らなくてはならないんです」
「そうか。それは残念じゃが仕方ないの。まぁ、儂はここにおるから、いつでも茶を飲みにくるとよい。茶菓子を用意して待っとるよ」
「ありがとうございます! では」

由羅は一礼して書庫を出ると、足早に廊下を歩き、図書寮を抜けて後宮への道を急いだ。

この角を曲がれば、抜け出した時に乗り越えた塀に辿り着く。
そう思いながら曲がり角を曲がろうとしたところで、見知った顔がいることに気づいて慌てて足を止めた。

(な、なんでここに泰然様がいらっしゃるの!?)

このまま見つかるわけにはいかない。

由羅は急いで回れ右をしようとした時には時既に遅しだった。
泰然とばっちりと目が合ってしまい、由羅は動くに動けなくなってしまった。

「あ……」
「由羅!? お前、なんでここにいるんだ!?」
「えっと、その……」

なんとか誤魔化せないかと脳を高速回転させて言い訳を考えようとしたのだが、更に最悪なことが起こった。
泰然の名を呼びながら一人の兵士が駆け寄って来たのだ。

「泰然様! 一大事でございます!」
「なんだ?」
「翡翠妃様が宮からいなくなられたとの報告が!」
「いなくなっただと?」

泰然はそう言うと、由羅の事をちらりと見やり、頭をガシガシと掻きながら大きなため息をついた。

「あー、その件は問題ない。翡翠妃様の捜索は不要だ」
「しかし……」
「問題ない。すぐに見つかるさ。お前は持ち場に戻れ」
「はっ!」

兵が一礼して去って行くのを見送った泰然はくるりと由羅へと渋い顔をして向き直った。

「はぁ……とりあえず、戻ろうぜ。言い訳は帰ってから聞くからよ」
「はい……」

由羅は自分の運の悪さを呪いつつ、がっくりと肩を落としながら、泰然に連行されるように碧華宮へと戻った。

そこで待っていたのは死にそうなほど青ざめた紫釉と冷笑を浮かべる凌空の姿だった。