命を狙った皇帝のお飾り妃になりました―この謎、私が解決いたします―

その夜、ヴァルディアは自室にて取り押さえられた刺客に尋問しようと口を開いた。

だが、突然左手の甲にチリリと痛みが走り、動きを止めた。

見れば、自らの手に施してあった刻印が消えている。

(呪いが解けた?)

突然動きを止めたヴァルディアに、配下の人間が恐る恐る尋ねた。

「いかがなさいましたか?」
「いや、なんでもない」

そう言ったヴァルディアは、後ろ手に縛られた男に視線を移し、見下ろした。

薄汚れた茶色の髪に無精髭の男は、厳つい風貌に似合わず青ざめた顔をして、カタカタと震えている。

当たり前だろう。
後ろ手に縛られた上、首には両脇に立つ兵士の刃が突きつけられているのだ。

加えて男の前に立つヴァルディアは、薄く笑いながらも感情の読み取れない顔をして、底知れぬ威圧感を纏っており、どんなに屈強な兵士でも恐怖を感じてしまうのは当然の反応だ。

「さて、誰の差し金だ?」

ヴァルディアが凍てつく声で尋問するが、男は体を震わせながらも、口を引き結んで何も言わずにいる。

ヴァルディアは、口の端だけを小さく持ち上げる笑みを浮かべると、男の頭を鷲掴みした。

「刺客としての腕はイマイチだが、飼い主への忠誠心だけは一人前か」

ヴァルディアは男の頭を掴んだまま、上向かせるとその目をまっすぐに見つめた。

鋭い目の奥にある金の瞳が怪しく光った。
男はヒュッと息を呑んだかと思うと、硬直している。

そうしてヴァルディアは男の淀んだ茶色の瞳を覗き込むと同時に、ヴァルディアの頭に映像が浮かんだ。

それは豪奢な衣服と宝飾品を身につけた女が、この男に金貨を投げ捨て、ヴァルディアを殺すように命じている様子だった。

「全く姉上にも困ったものだな」

ヴァルディアはそう嘲るそうに言うと乱暴に男を投げ捨てた。

女――それはヴァルディアの実姉だ。
どうやらこの刺客は姉の差金のようだった。

ヴァルディアはテフェビア国の第二王子ではあるが、他に兄と姉、そして弟がいる。

ただ王位継承順位は定まっておらず、現国王の子供達は全員継承権一位の可能性があるのだ。

そのため、血縁者であっても互いの命を奪い合い、そして失脚の機会を虎視眈々と狙っている。

ヴァルディアは先日、南方の反乱勢力を潰した功績があり、今一番王位に近い。
そのため姉も継承権を奪うのに必死なのだろう。

「こんな刺客程度じゃあ暇つぶしにもならんのに、ご苦労なことだ」

姉に対して嘲笑を浮かべたヴァルディアは、目の前に倒れている男を一瞥した。
男は白目を剥き、泡を吐きながら転がり、ビクビクと2度ほど体が跳ねたかと思うとそのまま絶命した。

どうやらヴァルディアの精神干渉に耐えかねて死んだようだ。

「連れていけ」

ヴァルディアがそう命じると、男の亡骸を兵士がずるずると引き摺って運び出していった。

「ふっ、つまらんな」

ヴァルディアはそう呟くと、緩慢とした動きで窓辺にゆっくりと腰掛けた。

そして外を眺めながら、翡翠の目を持つ少女のことを思い出していた。

ヴァルディアは黒龍の加護を持つ。
神獣と言われる龍だが、黒龍の力は負の力だ。
人を殺し、狂わせ、呪うことができる力。

テフェビア王家には時より黒龍の加護を持つ人間が生まれるが、ヴァルディアはまさにその加護を受けた人間だった。

ヴァルディアの場合には精神干渉により人を呪い、狂わせ、殺すことができる。

それに先ほどの男のように力を使うことで記憶を読み取ることもできる。

そして大抵の人間はその干渉に耐えられず死んでしまうのだが。

先日も汚れ仕事を担う「黒の狼」と呼ばれる組織の人間を捕らえることに成功したヴァルディアは、黒龍の力を使い、その人間の精神に干渉した。

(裏社会で名を馳せた黒の狼の人間ならもっと抵抗して、簡単には壊れないと思ったが、案外すぐ死んでしまった。
あれは興醒めだったな)

暇つぶしにもならないほど呆気なく死んだが、彼らの住む里の存在を知ることができたのは僥倖だった。

黒の狼を手中に納めれば、王位継承権は確実にヴァルディアのものになる。

そこでヴァルディアは兵と共に黒の狼の里に向かい、襲撃したのだ。
だが、そこは黒の狼の里だ。

大半の人間を逃してしまった。
というよりも、二人の人間しか捕らえることができなかった。

里の人間を逃すために、その二人が残って足止めをしたからだ。

捕らえた人間の一人は青年。
もう一人は少女だった。

男の方には興味なかった。
ヴァルディアの目を引いたのは女の方だった。

屈強な兵士達に向かう勇ましさ、そして舞を踊るような軽やかな足取りと、的確に急所をつく剣捌き、そして獲物を逃さぬような鋭い眼差し。

あまりにも華麗に兵士達を倒していく様は、さながら異国の神話に出てくる戦乙女だった。

そして何よりも翡翠の瞳がヴァルディアを捉えて離さない。
知らず、その少女の戦いぶりに魅入ってしまった。

そして、同時に強い興味を惹かれた。

(あの女を屈服させたらさぞ楽しいだろう)

黒い髪に緑の瞳という色合いの女を側に置くのも面白いし、あれだけの凄腕ならば、性懲りも無く送り込まれる刺客にも対峙できるだろう。

ヴァルディアは女を捕らえるべく、ゆっくりと戦いの渦中に進み出ると、女と目があった。

その瞬間、ヴァルディアは剣を抜き、女との間合い詰めて剣を振り下ろした。

だが女はそれをいとも簡単に弾いた。

そして何度目かの撃ち合いをしていると、もう一人の男が加勢に現れ、ヴァルディアは二人の攻撃を凌ぐ。

男が振りかぶって斬りつける瞬間を見計らったように女がヴァルディアの間合いに入ってきた。

素早く身を翻して躱わすと同時に女の手を掴み、その顔を覗き見た。

刹那、女への精神干渉を行う。
ヴァルディアの金の瞳が怪しく光る。
これで女の意思を奪い、手元に置ける。

そう思ったヴァルディアに予想外のことが起きた。

女は動きを止めることなく反撃してきたのだ。

普通の人間ならば、黒龍の力で精神に干渉すれば、動きが止まるというのに。

だが、全く力が効いていないわけではなかったようで、女の動きは精彩を欠いており、ヴァルディアは辛くも彼女を捕らえることができた。

結果、殿(しんがり)を務めたこの二人を捕らえ、王宮へと戻る道すがら、先ほどのことを思い出し、ヴァルディアは小さく愉悦の笑みを浮かべた。

(あの女、面白い)

今まで黒龍の力に抵抗する者などいなかった。

俄然興味が湧き、王宮に戻るとすぐに兵士に命じ、女を自室に連れてこさせた。

女は由羅と言った。

由羅はヴァルディアを射殺さんとばかりの視線で睨みつける。
普通ならば冷たい笑みを浮かべるヴァルディアを見ただけでも震えるものだと言うのに。

「由羅、俺の女になれ」
「……はぁ?」

開口一番そう言ったヴァルディアの言葉に、由羅は何とも間の抜けた声を上げ、怪訝な顔をした。

「お前が気に入った。悪いようにはしない。俺の女になれ」
「お断りします」
「何故だ?」

「何故だって……私は黒の狼です。貴方は黒の狼が暗殺者の一族だと嘲笑うかもしれませんが、私にも一族の矜持があります。敵の慰み者に成り下がるつもりはありません。殺すならどうぞ」

そう言いながらも、その目には力が籠っており、諦めて死を受け入れようとしているものでは到底無かった。

むしろ隙を見てこちらを殺そうと、様子を窺っているようにも見えた。

「なるほど。じゃあ、一つ教えろ。何故俺の力が効かなかった?」
「どういう意味でしょうか? 私はこうして捕えられてますが」

質問の意図が分からなかったようで、由羅は眉間の皺を深くして聞き返す。

「俺には黒龍の加護がある。その力を使えば大抵の人間を殺すことができる。だがお前はそうならなかった。何故だ?」
「何故って言われても……」

由羅は今度は困惑の表情を浮かべた。

この様子から察するに由羅は先ほど精神干渉を受けた自覚もなく、黒龍の力を退けた理由に心当たりがないようだ。

だからこそヴァルディアは益々興味を持った。

「じゃあこういう条件はどうだ? お前と共に捕らえられた男を、解放してやる。その代わりにお前の体を差し出せ」
「なっ……!」

黒の狼は凄腕の暗殺集団と噂されると同時に、情に篤いとも言われる。

由羅は自分が黒の狼であることに矜持を持っていると言っていた。
ならば仲間を見捨てるような真似はしないだろう。

そう算段しての事だった。

即答できず、悔しさから唇を噛んでいる由羅を見て、ヴァルディアはまた薄く笑った。

「あの男は今も地下牢にいる。すぐにでも殺すように命じられる。さあどうする?」

その言葉に由羅はぎゅっと目を瞑った後に、怒りに満ちた眼差しでヴァルディアを睨むと低い声で答えた。

「貴方の言葉は信じられない。私が頷いたとしても宇航(ゆはん)が確実に解放してもらえる保証も、その命の保証もない。解放してくれたとしても、すぐに殺す可能性だってある。そんな不確定な約束で、この身を差し出すことはできない」

「別にお前が助かるんだ。あの男がどうなっても構わないだろ?」

「宇航は私の幼馴染だもの。宇航が死ぬのなら私も死んでも構わない」

「なるほど」

本来、ヴァルディアはそこまで一人の人間に固執する性格ではない。

そもそも物に対する執着すらないのだ。
逆らうものは容赦なく殺し、つまらないものは捨てる。
そんな人間だ。

だが、そんなヴァルディアは初めて一人の人間に執着を覚えた。

そして、ふと面白い考えが浮かんだ。
この女を手元に置くのならば、鎖を着ければいいのだ。
その鎖を自分が握る。

(女に鎖を着けるのならば、男を見逃すなど些末なものだな)

そう考えたヴァルディアはもう一つ条件を加えることにした。

「なら男を解放し、もう命を狙わないと約束しよう」
「だから、その約束が守られる保証がないと言っているんです」
「保証ならしてやるさ。手を出せ」

由羅は顔に警戒の色を浮かべ、手を出すことを拒否した。
だが、ヴァルディアは由羅の腕を無理矢理掴み、引き寄せた。

白く美しい手の甲に自らの手を重ねると、ヴァルディアは黒龍の力を流した。

「っ!」

由羅が小さく叫ぶ。

「我が名はヴァルディア。黒龍の加護を以って宇航という男の解放、および命の保証を誓約する」

ヴァルディアが静かに言うと、由羅の手の甲に赤い紋様が浮かんだ。
同時に同じ紋様がヴァルディアの手にも浮かぶ。

「な、何? これって……え?」
「これは呪いだ」
「呪い?」

「誓約、と言った方が聞こえがいいか。この紋様はお前と俺との間で結ばれた誓約の証だ。もし誓約を破れば、俺は黒龍によって呪い殺される。破棄できるのはお前だけだ」

「黒龍の加護……まさか本当に……」

由羅は誰に言うでもなくそう呟いた。

どうやら黒龍の伝説——テフェビア王国の王族が持つと言う黒龍の加護についてを思い出しているのだろう。

暫く考えたあと、由羅は不承不承というように頷いた。

「分かりました。提案を受け入れます」
「ふっ、賢明な判断だ」

こうしてヴァルディアは誓約通り宇航を解放し、由羅を手元に置くことにした。

だが由羅も一筋縄ではいかない性格だった。

しおらしくヴァルディアに体を差し出すわけはなく、寝所に連れ込もうとすれば逆に殺そうと襲って来た。

隙を見て脱走を繰り返す。

だが由羅が脱走したとしても、ヴァルディアとは黒龍の呪いによって結ばれているためどこにいるのかはすぐにわかるから脱走自体は問題ない。

ただ、その度に差し出した兵が返り討ちにあって8割の死傷者が出ることの方が問題だった。

そんな毛を逆立てた野良猫を相手にするような時間を、ヴァルディアも初めは楽しんだものの、次第に面倒になっていった。

折角手に入れた玩具だ。
何かもっと面白い使い道はないか。

由羅が21回目の脱走をして取り押さえられた際、ヴァルディアはある賭けを持ちかけることにした。

「寝所に連れ込むたび毎度毎度殺されそうになっては敵わない。いちいち取り押さえるのも面倒だ。だから賭けをしないか」

「賭け?」

「そんなに俺のものになるのが嫌なのなら、こうしよう。乾泰国(かんたいこく)の皇帝を殺せ。そうしたらお前を自由にしてやろう。もし殺せなかったら今度こそお前には大人しく俺の玩具になってもらおうか」

由羅はまた苦渋の表情を浮かべながらも、ヴァルディアの提案を受け入れた。

そして今度は由羅が黒龍の呪いを受けることになる。

呪いを解呪するためには乾泰国皇帝を殺すか、ヴァルディアがその呪いを解くかのいずれかだ。

こうして由羅はヴァルディアの元を離れ、乾泰国に向かった。

互いの甲に刻まれた赤い紋様がある限り、ヴァルディアは由羅の所在を把握できる。

だからそれまではせいぜい自由を楽しめばいいと、気軽に外に放した。

(一度自由を得てからそれを失えば、もっと絶望するだろう。諦めない強い意志を持つ瞳が、どう変わるのか楽しみだ)

ヴァルディアは由羅(玩具)がこの手に再び戻るのを想像して、歪んだ笑みを浮かべていた。
だが、今日、突然ヴァルディアの手にあった紋様が消えたのだ。
つまりそれは、呪いが解呪されたことを意味する。

「俺の呪いを誰が解呪できたんだ?」

黒龍の力であるヴァルディアの呪いを解くなどと普通の人間は不可能だ。
自分と同等かそれ以上の力を持つ人間にしかできない。
となると、考えられる可能性は、応龍の加護を持つ皇帝紫釉が呪いを解いたか……

だが、なぜ命を狙った女の呪いを解くのか?
可能性を考えても分からないが、ヴァルディアは呪いが解かれたことが不快でたまらなかった。

(まぁ、なんにせよ俺の玩具(おもちゃ)を奪われるのは面白くないな)

いつもは表情を顔に表さないヴァルディアは、眉間に皺を寄せながら、由羅の気配を探った。

どうやら、由羅に刻んだ呪いは解かれたものの、痕跡はまだ残っているようだ。
これならば精神干渉をすることも可能だろう。

「さて、近々様子でも見に行くとしようか」

再会した由羅はどんな表情を浮かべるか。
諦めてヴァルディアの玩具になるのか、それとも抵抗するか、憎悪に満ちた目で見るのか。

そんなことを考え、ヴァルディアは窓辺から夜空を見上げながら、仄暗い笑みを浮かべたのだった。