命を狙った皇帝のお飾り妃になりました―この謎、私が解決いたします―

その言葉の意味を理解するのに優に10秒ほどかかっただろう。

(なるほど、妃ね。うん。妃……? えっ妃!?)

由羅の脳が一瞬何を言われたのか理解できず混乱した。
そして口を開いて出たのは絶叫だった。

「は? はぁぁぁぁ?」

それ以上は言葉が出せず、餌を求める鯉のように口をパクパクさせていると、部屋の外から侍女の声が聞こえた。

「皇帝陛下、お二人をお連れいたしました」

そういえば紫釉は先ほど誰かを呼ぶように指示していた。
その人物たちが来たのだろうか。

「入っていいよ」

紫釉が入室を許可すると2人の男性が現れた。

一人は栗毛色の髪の青年だ。
癖毛なのか長い髪が波打っていて、それを緩くまとめて肩に流している。

紫釉が彼らを呼ぶように命じてからの時間を考える準備の時間は少なかっただろうが、白い衣に赤い上衣をきっかりと身に着けていた。
少し垂れた目に形の良い眉という容貌は、甘さを含んだもので彼の纏う雰囲気もまた柔らかいものの様に感じた。

だが由羅には分かった。

(この人……なんかただ者じゃない)

唇の端が引き上がり、一見すると笑っているようにも見える柔和な雰囲気を纏っているように見えるが、よく見ると目は全く笑ってはおらず、この状況に対して探るような鋭利な刃物を隠し持ったような空気が混じっている。

由羅の勘違いでなければ、不機嫌な空気が伝わってくる。

もう一人の男性は腰に太刀を佩いていることから武官だろう。
無造作に切られた髪を後ろに雑に束ねている。
引き締まった体型で、服の上からも筋肉が付いているのが分かった。

こちらの男性は準備の時間が足りなかったのか、はたまたそういう性格なのか、随分と服を着崩していた。
濃紺の衣は襟ぐりが無造作に開いており、同じ色の上衣をざっくりと肩にかけていた。

眼はギラついていて血に飢えた獣のようだと由羅は思った。

「由羅、2人を紹介するよ。絶対零度の笑みが得意な腹黒宰相の(やん)凌空(りくう)、そして猪突猛進で武勇に優れているのに女にもてない大将軍の(ちょう)泰然(たいぜん)だよ」

「誰が腹黒ですか?」

「うるせーよ。男は顔じゃねー。つーかなんていう紹介すんだよ!」

(なかなか酷い紹介だわ……)

凌空と泰然が憮然とした態度を見せるが、由羅も紫釉の言いぐさに思わず同情してしまう。

「それでこっちの緑の瞳が凄く素敵なお姫様が由羅だよ」
「えっ? お姫……様?」

最初誰を紹介されているか分からず由羅はぽかんと口を開けた。
残りの2人も呆気に取られているようだ。
だが、さすがは宰相の凌空、すぐに気を取り直した。

「それで? わざわざ夜中に呼び出して女性をご紹介いただく真意はなんです?」

口調こそ丁寧だが、凌空の声には不機嫌さが滲んでいた。
それはそうだ。
こんな夜更けに訳も分からず呼び出されたら不機嫌にもなるだろう。

だがそんな凌空の様子など気にも留めず、紫釉は微笑みを浮かべて予想外の言葉を口にした。

「実はさ、由羅に俺の妃になってもらおうと思って」

紫釉の言葉に、凌空は眉間に皺を寄せて怪訝な顔で言った。

「意味が分からないのですが」

(ですよねー!)

由羅も思わず心の中で激しく同意の言葉を叫んでしまった。
本当に何を言っているのか意味が分からない。

だがやはり凌空は冷静に尋ねた。

「それで、なぜそのような考えに至ったのですか?」

その問いに対し、紫釉はすっと2本の指を立てて答えを述べ始めた。

「理由は2つあるんだ。まず、第一に早急に妃が必要だからだよ」
「そんな、紫釉様ならより取り見取り、妃なんて選び放題なのではないですか?」

紫釉は10人が10人とも美丈夫だと言うであろう容姿をしている。

加えて彼は皇帝だ。
紫釉が望まなくとも、妃になりたい女性は多いだろう。

だが由羅の言葉に紫釉は緩く頭を振った。

「俺には長らく妃がいない。それには理由があるんだよ。実は、妃候補者が悉く怪死してるんだ。それで、俺に妃を差し出す貴族もいなければ、妃になりたいという女性もいなくなってしまったんだよ」

「怪死?」

「そう。突然苦しみ出して呼吸困難になり、最後は痙攣して死んでしまうらしい」

「原因は分かっているんですか?」

「いや、分かっていないんだ」

 紫釉は首を振ってそう言った後に、凌空が冷たく言い放った。

「犯人は明らかなのですがね」

どういうことかと尋ねる前に、凌空はそのまま言葉を続けた。

「主上の義母である紅蘆(こうろ)様でしょうね」

「え? 義母?」

「そう、俺の義母である紅蘆(こうろ)は自分の息子、つまり俺の義弟を皇帝にしたがっている。だから俺に子ができるのを何としてでも阻止したいんだよ」

紫釉の説明で納得がいった。

なるほど。
権力争いというものなのだろう。

「でも犯人が分かっているのであれば捕らえればいいんじゃないですか?」

由羅の問いに凌空がため息混じりに答えた。

「はぁ……簡単に言わないでください。一応先王妃ですよ。証拠もなしに捕らえることなどできないでしょう」
「まぁ、俺はそんなこんなでこの年まで妃を娶れず、巷では男色家だという噂まで流れてしまってるんだ」
「うわぁ……」

紫釉は見たところ23、4歳といったところだろう。

しかもこんなに美丈夫であるのに独り身であると口さがない者はそんな勘繰りをするだろう。

事情が事情だけに、不名誉な噂を流されてしまうのはなんとも不憫である。

「そして2つ目の理由。由羅を妃に立てて紅蘆派をあぶり出したい」
「?」

凌空と泰然はその言葉の意味を理解しているようだが、由羅は分からず首を傾げた。

「俺が突然妃を迎え入れれば、おのずと紅蘆派が動くだろう。不審な動きを見せる者や、異を唱える者。裏で紅蘆派として動いている者を一網打尽にして紅蘆派の力を削ぐ。上手くいけば紅蘆を潰せるかもしれない」

なかなか壮大な話になってしまい由羅の理解を超えている。

なんとなくは理解できるものの、いまいちピンと来てはいない。
だが、凌空も泰然もその言葉に思う所があるようで、難しい顔のまま考え込んでいる。

「さて、これで納得してくれたかな?」

紫釉は由羅たち一人一人の顔を見ながら尋ねた。
それに対し、最初に口を開いたのは凌空だった。

諦めの境地なのか、ため息と共に頷きながら言った。

「分かりました。確かに現状を打破するためには、こちらも一手を打つ必要がありますし」
(えっ!? そこ、納得しちゃうの!?」

「まぁ、俺もやってみるのは悪くねぇと思うぜ」
(ええっ!? 泰然様もいいの!?)

絶対反対してくれると思っていた2人が賛成してしまったことに衝撃を受け、由羅は思わず固まってしまった。

普通どこの馬の骨かも分からない女が妃になることに反対するのが家臣というものなのではないか?

「で、由羅は引き受けてくれる?」
「む、無理ですよ! 私に妃なんて務まりません!」

そう言ったあと、ふと由羅の目に、自分の右手にある赤い紋様が入った。

「それに、私は呪いでヴァルディアの元に強制送還されて、隷属させられてしまうので……」

そうなのだ。
いくら由羅が妃を引き受けると言っても、紫釉を殺せなかった由羅はヴァルディアに隷属することになる。

「ああ、それなら……」

紫釉はそう言って由羅に一歩近づき、腰をかがめた。
そして由羅の頤を持ち上げると、顔を近づけたので、由羅の視界は紫釉の顔でいっぱいになった。

不意に紫釉が目を閉じる。

(わぁ、睫毛長い……というか近い!)

そう思った次の瞬間には由羅の唇に柔らかいものが押し当てられていた。

「!?」

それが紫釉の唇だと気づいたのは、触れ合った唇の柔らかさとその熱を感じてすぐの事だった。

それは一瞬だったのか。
はたまた数分にも及ぶ長いものだったのか。
由羅には判別がつかなかった。

ただ、息を呑み、心臓がドクンと鳴った時には、すでに紫釉の唇は離れていた。

「な、なに? え?」

突然の口づけに動揺する由羅を、紫釉は口元を綻ばせながら笑った後で、由羅の右手の甲を指さした。
その指の先を見た由羅は目を瞠った。

「……紋様が消えてる」
「うん、俺の気を由羅に分けたからね」
「えっ? どういう意味ですか?」
「俺は皇帝だからね。応龍の加護で呪いの類ならば解くことができるよ」
「それって本当の事だったんですね。てっきり伝説とばかり思っていました」

乾泰国皇帝には応龍の加護があり、不思議な力を持つと聞いたことがある。

それは、応龍の加護を受けた人間がこの地を平定し、乾泰国(かんたいこく)初代皇帝となったという伝説に由来している。

その昔、血で血を洗う戦乱の世が続いた。

混迷を極める人の世を憐れんだ応龍がこの世を平定するように一人の人間に加護を与えた。
それが初代皇帝だ。

それ故、皇帝となる人間は代々応龍から特別な加護を授かっているという伝承があるのだ。

「さて、これで呪いは解けた。由羅はもう自由だよ」
「あ、ありがとうございます」

方法はアレだがともかく由羅の呪いは解け、自由の身となったので、戸惑いながらも由羅は礼を言った。

「それで、妃になってくれる?」
「いや……、それは別問題というか。私に妃なんて絶対に務まりませんよ?」
「じゃあさ、『お飾り』ならいい?」

紫釉の提案の意味が理解できず、思わず首を傾げてしまう。

「由羅は何もしなくていいよ。ただ妃として後宮にいてくれるだけでいい」
「えっと……」
「まさか情に厚い黒の狼が礼もしないなんてないよね」
「うっ……」

言い淀む由羅に、紫釉が更に畳みかけた。

「由羅の呪いを解いてあげたのになぁ……」

満面の笑みを浮かべる紫釉だったが有無を言わさぬような圧を感じる。

それに屈するわけではないが、確かに礼儀を重んじる黒の狼として礼はせねばならない。
由羅はとうとう折れた。

「お飾りでいいんですよね? 本当に後宮にいるだけでいいんですね?」
「あぁ。もちろん本当の妃でもいいけど、それだと引き受けてくれないでしょ?」
「まぁ、そうですね。あともうひとついいでしょうか?」
「なんだい?」
「期限はいつまでですか?」

たとえお飾り妃をすることになっても一生は無理だ。
そんなのはヴァルディアに隷属するのとなんら変わらない。

「そうだね……じゃあ怪死事件が解決するまでっていうのでどうだろう? 事件が解決すれば、俺は正式な妃を娶ることができるし、怪死事件の犯人を逮捕できれば裏にいる紅蘆の罪も明らかにできるからね」

ここまできたら紫釉を信じてもう腹を決めよう。
そう思った由羅は半分捨て鉢になりながら答えた。

「分かりました!お飾り妃、精一杯務めさせていただきます!」
「じゃあ、よろしくね」

こうして由羅は突然紫釉の()()()の妃となることになった。