翌日、由羅は凌空と共に楊樹璃に会いに屋敷へと向かっていた。
前回凌空と屋敷に行った時には、桜の花びらが舞っていたが、今は風が吹いても花びらは見えない。
代わりに桜の木には若葉が顔を覗かせていた。
それをなんとなく見上げていると、隣を歩く凌空が静かな声で話しかけてきた。
「由羅さん、先にお伝えしておきます。先日主上に命じられて魯家の動きを探っていましたが、魯家に劉 董夜の弟である劉 董夕と李 白鄭という男が出入りしていました」
「確か劉 董夜というのは劉家の当主ですよね」
劉家は紅蘆派であることは周知の事実である。
その弟が魯家に出入りしているとなると、魯家は紅蘆派と接触していることになる。
「李 白鄭という人も紅蘆派なのですか?」
「ええ。李家当主の弟にあたります。実は、彼も紅蘆派であることがこの間判明したのです。由羅さんのお陰ですね」
「私、ですか?」
「はい。当初の目論見通り、由羅さんが妃の役を引き受けて下さったことで焦った李 白鄭が紅蘆派だと尻尾を出しました。魯家が紅蘆派に傾いているのは間違いないと思われます」
「そうなると、梓琳が魯家の誰かに命じられて妃候補に葡萄柚と紅玉薬を渡していたということは十分に考えられますね」
「はい。ですから可能性は低いですが梓琳が単独で行った殺人なのか、それともやはり誰かに命じられていたのかを明らかにするのが今日の目的です」
梓琳にはこちらの意図を隠したまま情報を引き出さなくてはならない。
つまり、全ては由羅の話術にかかっている。
潜入捜査や情報を引き出すことは黒の狼への依頼としてよくあることで、由羅も何度か行ったことがあるが、どうも由羅は思っていることが顔に出やすいらしい。
気を引き締めて臨まなくては。
(責任重大ね。絶対に失敗できないわ)
そう気合を入れているうちに、二人は樹璃の屋敷に到着した。
赤い重厚な門を潜るとすぐに樹璃が待っており、由羅たちを迎えてくれた。
「お待ちしておりました」
「樹璃、今日はありがとう」
「いえ、お兄様の役に立てるのであれば。お姉様も喜ぶと思います」
樹璃は前回同様、大きな目の目尻に朱を引いて、切れ長に見える化粧をしており、淡い黄色の衣装の姿は天女のように美しい。
だが、今回の目的を知っているためか、少し緊張しているように見えた。
そんな樹璃が凌空の隣に並んでいる由羅に目を向けた。
「まぁ、由羅さんはそういう格好も似合うのね。素敵だわ」
「あ、ありがとうございます」
「今日はよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
今日、由羅は樹璃の遠い親戚という設定で梓琳と会う。
そのため、前回着ていた侍女服ではなく、貴族の姫君らしい上等な衣装を身に付けている。
「では、行きましょう。もう梓琳様が来ていますわ」
樹璃に案内されて梓琳の待つ部屋へと向かう。
その間、3人とも無言だった。
それぞれがそれぞれの思いを抱えているのだろう。
「あの部屋よ。凌空お兄様はこの隣の部屋にいてくださいませ。声が聞こえるように私たちの部屋の扉は開けておきますから」
「分かった」
そしていざ梓琳の待つ隣の部屋へと行こうとしたのだが、樹璃は足を止めたまま動かない。
どうしたのかと思っていると、樹璃はか細く呟くように言った。
「やっぱり梓琳様がお姉様を殺したと思う?」
「え?」
「紅玉薬を持ってきたのは梓琳様よ。その紅玉薬を飲んでお姉様は亡くなった。でも、梓琳様とお姉様はとても仲が良かったし……とても良い方だから梓琳様がお姉様を殺しただなんて思いたくないの……」
梓琳に対する複雑な思いが見え隠れしていた。
「それを確かめるために今日この場を設けていただいたのです。梓琳様がどう事件に関わっているのか聞き出しましょう」
そうして由羅と樹璃は互いに頷き合うと、気を引き締め直して梓琳の待つ部屋へ入った。
※
部屋に入ると、円卓に一人の女性が座っていた。
赤みを帯びた金の髪に瑠璃色の瞳は、朝と夜の空の色合いだ。
結い上げた髪を簪で留めてまとめ、一部を肩に流している。
甘い印象を受けるたれ目に、泣きぼくろがあって、さっぱりとした綺麗系の美人を想像していたが、優しい天女という言葉がしっくりくる女性だった。
その女性は由羅たちを見ると立ち上がり、花がほころぶような柔和な笑みを浮かべた。
「お待たせしました。鄭 梓琳様、ご紹介しますわ。こちら由羅です。私の遠縁にあたりますの」
「楊 由羅と申します」
「初めまして、鄭 梓琳よ。樹璃様には仲良くしてもらってるの。よろしく」
挨拶を終えると、侍女が持ってきた茶を前にして雑談に興じた。
話題は最近流行の着物の話や、旅一座の話、友人の恋愛話や結婚話などだ。
そして、ひとしきり話をしたところで、樹璃が由羅をちらりと見た。
由羅が小さく頷くと、樹璃はそれとなく話題を変えた。
「そう言えば、この間ご紹介いただいたおしろい、とても肌をきれいに見せてくれますの。ありがとうございます」
「それは良かったわ。確かに今日の樹璃様はいつもよりお肌が明るく見えるわね」
その話題に由羅は乗る。
「でも樹璃様はおしろいだけじゃなくて、お肌自体もキメが細かくて綺麗ですね。何か特別なお手入れをされているんですか?」
由羅はそう言いつつ梓琳との距離をほどよく詰めて、あたかも梓琳の肌に関心があるようにじっと見つめた。
それを隣に座る樹璃が由羅を窘めるように言った。
「由羅ってば、いくら梓琳様がお綺麗だからってそんなにじっと見つめるものじゃないわ」
「でも梓琳様、とってもお美しいんですもの! ……私、日に焼けやすくてなかなか白くならないし、それにかさついてしまって。はぁ……何か良い美容法があればいいんですけど」
「わたくしは紅玉薬という美容薬を飲んでいるの」
(罠にかかったわ!)
由羅の狙い通りに梓琳の口から紅玉薬が出た。
梓琳が紅玉薬の中身を知っているのか。
それを聞くために由羅はそう質問した。
「紅玉薬……ですか? どういった薬なんですか?」
「肌の赤みを取って、キメを細やかにしてくれる美白の薬よ。中身は教えてもらえないのだけど、テフェビア王国の貴族の間で使われている美容薬だそうよ」
美しくなるとは言え、中身も分からないものを、よく飲もうと思うものだ。
たとえ効果があったとしても、あんなに苦くて不味い物を自分なら飲みたいとは思わない。
だが、やはり紅玉薬はテフェビア王国から入って来たものだと判明した。
「私も梓琳様に勧められて飲んでいるのよ。とっても良く効くの」
「樹璃様も飲まれてるんですね! いいなぁ。私も飲みたいです。どこで売っているんでしょうか?」
樹璃は梓琳に「教えてあげて欲しい」という視線を投げると、梓琳も分かったというように小さく頷くと、由羅に向き直って話し始めた。
「普通には売っていなくて、魯家が懇意にしているテフェビアの商人から譲ってもらっているのよ」
「まぁ、そうなんですか! なんていう商人ですか? 私にもテフェビア商人の伝手がいくつかあるんです」
もし梓琳の答えがジャタイなら、由羅たちの推理は当たっていることになる。
「えっとなんて言ったかしら。確か……ジャタイ、って言ってたはずよ」
その言葉を聞いて、由羅は確信を得た。
(やっぱりジャタイだったのね)
次に確認すべきは梓琳がこの事件の犯人なのか、それとも誰かに命じられたのかだ。
由羅たちの予想ではジャタイから紅玉薬を買っている人物が犯人だと踏んでいる。
「残念。私の知り合いではなさそうです。じゃあ、ジャタイを紹介してもらえないでしょうか?」
「それは……ちょっとできないの。ジャタイと取引をするのは楽雲様だけなのよ。だから紅玉薬が欲しいなら、楽雲様にお願いして融通してもらうけど、それでいい?」
楽雲--魯家当主のことだ。
魯家にはきな臭い動きがあったが、ここで魯 楽雲の名前が挙がるとは。
紅蘆派の劉家や李家と繋がっていることを考えると、楽雲がこの事件の首謀者である可能性は十分にある。
(じゃあ、やっぱりこの事件の黒幕は楽雲ってこと?)
そう考えながら、由羅は頷いて梓琳に答えた。
「分かりました。では是非お願いできますでしょうか?」
「もちろんよ。手に入ったら連絡するわね」
「あ、もう一つ、欲しいものがあるんです。葡萄柚を食べてみたいんですけど、手に入るでしょうか?」
由羅がそう言った瞬間だった。
梓琳の顔色がさっと青くなった。
「え……どうして葡萄柚を知っているの?」
「樹璃様に、梓琳様が以前、柚子に似た果物を持ってきてくださったと聞いたんです。それで調べたら葡萄柚っていう果実らしくて。梓琳様、良かったらまたいただけませんか?」
「私からも是非お願いしたいわ。お姉様はお食べになったけど、私は食べ損ねてしまったから」
由羅の言葉に重ねるように樹璃も無邪気に言ったが、樹璃の目は冷静に物事を見極めようとする鋭いものであった。
もっともその変化は事件の真相を知っている由羅でなければ気づかないほど些細なものであったが。
そんな樹璃の変化には気づかないほど、梓琳は内心取り乱しているようだった。
青ざめ、視線を彷徨わせ、何かを隠そうとしているのは一目瞭然だった。
「……あの果物も、楽雲様じゃないと注文できないし、あの時は特別手に入ったから持っていくようにと楽雲様に言われたのよ。だから、そんなに簡単に手に入らないの。諦めて」
「それは残念です」
梓琳は震える声を押さえるように低く言ったのを聞いて、由羅はにこやかに返答した。
だがどう考えても梓琳の様子は何かを知っている者の態度にしか見えない。
(梓琳は合食禁の事を知っていた? 知っていて翠蓮様たちに渡していた?)
知っていたのか、知らないのか。
それによって梓琳が共犯なのかどうかが分かる。
由羅は梓琳を揺さぶることにした。
「梓琳様は葡萄柚を食べたことあります? この間調べたら、葡萄柚は美肌の成分が入っているらしいんです。紅玉薬も美肌の薬ですし、両方食べたらもっと美肌になりますよね」
無邪気な笑顔を装ってそう言った由羅を援護するように、樹璃も言葉を続けた。
「由羅の言う通りね。きっと2つ食べれば美肌の効果が倍増するかもしれないわ」
「あぁ、そうだ! よく考えれば私が懇意にしている商人に野菜と果物を専門に取り扱う商人がいたんだった! 声をかければ手に入るかもしれないです! ……ねぇ、その時は梓琳様も一緒に食べましょうよ」
由羅の言葉に梓琳は息を呑んだ。
茶器を握る手も小刻みに震えている。
それに気づかないふりをして由羅は話を進めた。
「じゃあ明後日、3人で食べるのはどうですか?」
「私はいいわよ」
「梓琳様はご都合どうですか?」
「……明後日は都合が悪いの」
視線をそらして梓琳が答えた。
「じゃあ、来週はどうですか?」
「来週も、用事が入っているわ」
「では、いつがいいですか? 梓琳様に合わせます」
「……えっと」
俯いて言い淀む梓琳に対し、由羅は真っすぐに梓琳を見据えて口だけで薄く笑った。
だが、目は嘘を見逃さないとばかりに鋭く梓琳を射抜く。
「梓琳様は、葡萄柚と紅玉薬を合わせて摂ることがお嫌なようですが、何かご存じなのですか?」
「それ……は……」
「この二つを飲むと、死んでしまうから?」
由羅が言い逃れのできないように低い声で問いただすと、梓琳は驚愕の表情で由羅を見返した。
「なんで、それを……」
その時だった。
ガタンと椅子が倒れる音がしたかと思うと、気づけば樹璃が梓琳の胸倉を掴んでいた。
そしてつんざくような叫び声をあげた。
「あなたが……お姉様を殺したのね!!」
目は吊り上がり、瞳には強い恨みと憎しみの炎が燃え滾っている。
今までの淑女らしく天女のような優しい雰囲気とはかけ離れた樹璃の姿に、梓琳も由羅も思わず息を呑んだ。
「よくも! あんなにあなたを慕っていたお姉様を殺したわね!! お姉様を返して!! 返してよっ!」
あまりにも苛烈な怒りをぶつけられ、梓琳は恐怖から動かずにいる。
「人殺し! 返せ! お姉様を返して!」
「し、知らなかったのよ! 私だって……まさか死ぬなんて思わなくて……」
「嘘よ!! あなたが持ってきたものでしょ? 知らなかったなんて信じられないわ!」
「本当よ! わ、私は楽雲様の命に従っただけで……」
樹璃は梓琳の胸元を掴んで、狂ったように揺すりながら慟哭する。
梓琳は蒼白な顔色で、力なく揺さぶられていた。
そんな樹璃を由羅は押しとどめた。
「待ってください。樹璃様、落ち着いてください」
「由羅さん、この女を逮捕して! ねぇ人殺しは極刑よね。早く、この女を逮捕して死罪にして!」
樹璃は泣きながら由羅に縋ると、必死に訴えた。
その姿があまりにも痛々しくて、由羅は思わず樹璃を抱きしめると、樹璃はそのまま由羅の肩口に顔を埋めて号泣した。
それを見ていた梓琳もまた混乱した様子で、首を振りながら由羅に訴えた。
「あれは偶然よ……私のせいではないわ!」
「でも、あの二つを渡した人たちが全員亡くなったことには、気づいてたんですよね」
「それは……」
「気づいてて、あの2つを翠蓮様たちに渡していたんですか?」
由羅が鋭い声で尋ねると、梓琳はとうとうその場に崩れ落ちると、力なく項垂れた。
そして弱々しく話し始めた。
「最初は偶然だと思っていたの。でも次々に人が死んで……もしかしてって思った。でも、私怖くて……私のせいで皆さんが亡くなったって思いたくなかったの。だって……私が殺したことになるでしょう? そうしたら、私は極刑だわ。……怖くて……言えなかったの」
「では貴女が4人を殺害しようとしたわけではないのですね?」
「もちろんよ! 皆様とは仲良くしてもらって……お友達だったのよ。殺そうだなんて思わないわ! 信じて」
その時、凛とした声が部屋に響き、一瞬にして場の空気を変えた。
「話は聞かせてもらいました。もう十分です」
「……凌空お兄様! あの女がお姉様を殺したのよ! 聞いていたでしょ? 早く、逮捕して……」
樹璃の言葉に、梓琳は突然部屋に入って来たこの男が誰なのかを理解したようだ。
目を見開き、身を固くした。
「凌空……宰相?」
「鄭 梓琳、もう一度確認します。葡萄柚を持っていくように指示したのは魯楽雲ですか?」
「は、はい……『葡萄柚という珍しい果物が入ったから、持っていきなさいと』指示されました」
梓琳は緊張しながら、なんとか声を絞り出すように証言した。
それを聞いた由羅と凌空は頷きあった。
葡萄柚と紅玉薬を持っていくように命じたのは魯 楽雲で間違いない。
そして、魯家が紅蘆派の人間と接触していることからも、妃候補殺害の動機がある。
この2つの事実は、この怪死事件の犯人が楽雲であることを示している。
「死にたくない……死罪にしないでください……。私は知らなかったんです」
梓琳は俯いて泣きながら繰り返しそう呟いていた。
凌空はその傍らにしゃがんで言った。
「貴女の罪は死罪にはならないでしょう。ただ、相応の刑罰は覚悟してください」
そう。
梓琳は自分が持っていった葡萄柚と紅玉薬で人が死んでいることに気づきつつも、楽雲の命のまま、彼女たちに持って行った。
魯家当主の命に背くことはできないのは分かるが、それでもしかるべきところに訴えることはできたかもしれない。
やがて、凌空に呼ばれた泰然と刑部の武官がやってきて、梓琳を捕縛した。
ここにきてようやく樹璃は落ち着きを取り戻したが、今度は気が抜けた幽鬼のようになって、まともに話せる状態ではなかった。
由羅は樹璃に何か声を掛けたいと思ったが、どのような慰めの言葉をかければいいのか分からなかった。
『犯人が分かってよかったですね』
『これで翠蓮様も浮かばれますね』
そんな言葉が浮かんだが、そんな陳腐な言葉では樹璃の慰めにもならないだろう。
凌空は樹璃にしばらく付き添うことになり、由羅は樹璃の様子が気になりつつも、泰然と共に皇城に戻ることとなった。
前回凌空と屋敷に行った時には、桜の花びらが舞っていたが、今は風が吹いても花びらは見えない。
代わりに桜の木には若葉が顔を覗かせていた。
それをなんとなく見上げていると、隣を歩く凌空が静かな声で話しかけてきた。
「由羅さん、先にお伝えしておきます。先日主上に命じられて魯家の動きを探っていましたが、魯家に劉 董夜の弟である劉 董夕と李 白鄭という男が出入りしていました」
「確か劉 董夜というのは劉家の当主ですよね」
劉家は紅蘆派であることは周知の事実である。
その弟が魯家に出入りしているとなると、魯家は紅蘆派と接触していることになる。
「李 白鄭という人も紅蘆派なのですか?」
「ええ。李家当主の弟にあたります。実は、彼も紅蘆派であることがこの間判明したのです。由羅さんのお陰ですね」
「私、ですか?」
「はい。当初の目論見通り、由羅さんが妃の役を引き受けて下さったことで焦った李 白鄭が紅蘆派だと尻尾を出しました。魯家が紅蘆派に傾いているのは間違いないと思われます」
「そうなると、梓琳が魯家の誰かに命じられて妃候補に葡萄柚と紅玉薬を渡していたということは十分に考えられますね」
「はい。ですから可能性は低いですが梓琳が単独で行った殺人なのか、それともやはり誰かに命じられていたのかを明らかにするのが今日の目的です」
梓琳にはこちらの意図を隠したまま情報を引き出さなくてはならない。
つまり、全ては由羅の話術にかかっている。
潜入捜査や情報を引き出すことは黒の狼への依頼としてよくあることで、由羅も何度か行ったことがあるが、どうも由羅は思っていることが顔に出やすいらしい。
気を引き締めて臨まなくては。
(責任重大ね。絶対に失敗できないわ)
そう気合を入れているうちに、二人は樹璃の屋敷に到着した。
赤い重厚な門を潜るとすぐに樹璃が待っており、由羅たちを迎えてくれた。
「お待ちしておりました」
「樹璃、今日はありがとう」
「いえ、お兄様の役に立てるのであれば。お姉様も喜ぶと思います」
樹璃は前回同様、大きな目の目尻に朱を引いて、切れ長に見える化粧をしており、淡い黄色の衣装の姿は天女のように美しい。
だが、今回の目的を知っているためか、少し緊張しているように見えた。
そんな樹璃が凌空の隣に並んでいる由羅に目を向けた。
「まぁ、由羅さんはそういう格好も似合うのね。素敵だわ」
「あ、ありがとうございます」
「今日はよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
今日、由羅は樹璃の遠い親戚という設定で梓琳と会う。
そのため、前回着ていた侍女服ではなく、貴族の姫君らしい上等な衣装を身に付けている。
「では、行きましょう。もう梓琳様が来ていますわ」
樹璃に案内されて梓琳の待つ部屋へと向かう。
その間、3人とも無言だった。
それぞれがそれぞれの思いを抱えているのだろう。
「あの部屋よ。凌空お兄様はこの隣の部屋にいてくださいませ。声が聞こえるように私たちの部屋の扉は開けておきますから」
「分かった」
そしていざ梓琳の待つ隣の部屋へと行こうとしたのだが、樹璃は足を止めたまま動かない。
どうしたのかと思っていると、樹璃はか細く呟くように言った。
「やっぱり梓琳様がお姉様を殺したと思う?」
「え?」
「紅玉薬を持ってきたのは梓琳様よ。その紅玉薬を飲んでお姉様は亡くなった。でも、梓琳様とお姉様はとても仲が良かったし……とても良い方だから梓琳様がお姉様を殺しただなんて思いたくないの……」
梓琳に対する複雑な思いが見え隠れしていた。
「それを確かめるために今日この場を設けていただいたのです。梓琳様がどう事件に関わっているのか聞き出しましょう」
そうして由羅と樹璃は互いに頷き合うと、気を引き締め直して梓琳の待つ部屋へ入った。
※
部屋に入ると、円卓に一人の女性が座っていた。
赤みを帯びた金の髪に瑠璃色の瞳は、朝と夜の空の色合いだ。
結い上げた髪を簪で留めてまとめ、一部を肩に流している。
甘い印象を受けるたれ目に、泣きぼくろがあって、さっぱりとした綺麗系の美人を想像していたが、優しい天女という言葉がしっくりくる女性だった。
その女性は由羅たちを見ると立ち上がり、花がほころぶような柔和な笑みを浮かべた。
「お待たせしました。鄭 梓琳様、ご紹介しますわ。こちら由羅です。私の遠縁にあたりますの」
「楊 由羅と申します」
「初めまして、鄭 梓琳よ。樹璃様には仲良くしてもらってるの。よろしく」
挨拶を終えると、侍女が持ってきた茶を前にして雑談に興じた。
話題は最近流行の着物の話や、旅一座の話、友人の恋愛話や結婚話などだ。
そして、ひとしきり話をしたところで、樹璃が由羅をちらりと見た。
由羅が小さく頷くと、樹璃はそれとなく話題を変えた。
「そう言えば、この間ご紹介いただいたおしろい、とても肌をきれいに見せてくれますの。ありがとうございます」
「それは良かったわ。確かに今日の樹璃様はいつもよりお肌が明るく見えるわね」
その話題に由羅は乗る。
「でも樹璃様はおしろいだけじゃなくて、お肌自体もキメが細かくて綺麗ですね。何か特別なお手入れをされているんですか?」
由羅はそう言いつつ梓琳との距離をほどよく詰めて、あたかも梓琳の肌に関心があるようにじっと見つめた。
それを隣に座る樹璃が由羅を窘めるように言った。
「由羅ってば、いくら梓琳様がお綺麗だからってそんなにじっと見つめるものじゃないわ」
「でも梓琳様、とってもお美しいんですもの! ……私、日に焼けやすくてなかなか白くならないし、それにかさついてしまって。はぁ……何か良い美容法があればいいんですけど」
「わたくしは紅玉薬という美容薬を飲んでいるの」
(罠にかかったわ!)
由羅の狙い通りに梓琳の口から紅玉薬が出た。
梓琳が紅玉薬の中身を知っているのか。
それを聞くために由羅はそう質問した。
「紅玉薬……ですか? どういった薬なんですか?」
「肌の赤みを取って、キメを細やかにしてくれる美白の薬よ。中身は教えてもらえないのだけど、テフェビア王国の貴族の間で使われている美容薬だそうよ」
美しくなるとは言え、中身も分からないものを、よく飲もうと思うものだ。
たとえ効果があったとしても、あんなに苦くて不味い物を自分なら飲みたいとは思わない。
だが、やはり紅玉薬はテフェビア王国から入って来たものだと判明した。
「私も梓琳様に勧められて飲んでいるのよ。とっても良く効くの」
「樹璃様も飲まれてるんですね! いいなぁ。私も飲みたいです。どこで売っているんでしょうか?」
樹璃は梓琳に「教えてあげて欲しい」という視線を投げると、梓琳も分かったというように小さく頷くと、由羅に向き直って話し始めた。
「普通には売っていなくて、魯家が懇意にしているテフェビアの商人から譲ってもらっているのよ」
「まぁ、そうなんですか! なんていう商人ですか? 私にもテフェビア商人の伝手がいくつかあるんです」
もし梓琳の答えがジャタイなら、由羅たちの推理は当たっていることになる。
「えっとなんて言ったかしら。確か……ジャタイ、って言ってたはずよ」
その言葉を聞いて、由羅は確信を得た。
(やっぱりジャタイだったのね)
次に確認すべきは梓琳がこの事件の犯人なのか、それとも誰かに命じられたのかだ。
由羅たちの予想ではジャタイから紅玉薬を買っている人物が犯人だと踏んでいる。
「残念。私の知り合いではなさそうです。じゃあ、ジャタイを紹介してもらえないでしょうか?」
「それは……ちょっとできないの。ジャタイと取引をするのは楽雲様だけなのよ。だから紅玉薬が欲しいなら、楽雲様にお願いして融通してもらうけど、それでいい?」
楽雲--魯家当主のことだ。
魯家にはきな臭い動きがあったが、ここで魯 楽雲の名前が挙がるとは。
紅蘆派の劉家や李家と繋がっていることを考えると、楽雲がこの事件の首謀者である可能性は十分にある。
(じゃあ、やっぱりこの事件の黒幕は楽雲ってこと?)
そう考えながら、由羅は頷いて梓琳に答えた。
「分かりました。では是非お願いできますでしょうか?」
「もちろんよ。手に入ったら連絡するわね」
「あ、もう一つ、欲しいものがあるんです。葡萄柚を食べてみたいんですけど、手に入るでしょうか?」
由羅がそう言った瞬間だった。
梓琳の顔色がさっと青くなった。
「え……どうして葡萄柚を知っているの?」
「樹璃様に、梓琳様が以前、柚子に似た果物を持ってきてくださったと聞いたんです。それで調べたら葡萄柚っていう果実らしくて。梓琳様、良かったらまたいただけませんか?」
「私からも是非お願いしたいわ。お姉様はお食べになったけど、私は食べ損ねてしまったから」
由羅の言葉に重ねるように樹璃も無邪気に言ったが、樹璃の目は冷静に物事を見極めようとする鋭いものであった。
もっともその変化は事件の真相を知っている由羅でなければ気づかないほど些細なものであったが。
そんな樹璃の変化には気づかないほど、梓琳は内心取り乱しているようだった。
青ざめ、視線を彷徨わせ、何かを隠そうとしているのは一目瞭然だった。
「……あの果物も、楽雲様じゃないと注文できないし、あの時は特別手に入ったから持っていくようにと楽雲様に言われたのよ。だから、そんなに簡単に手に入らないの。諦めて」
「それは残念です」
梓琳は震える声を押さえるように低く言ったのを聞いて、由羅はにこやかに返答した。
だがどう考えても梓琳の様子は何かを知っている者の態度にしか見えない。
(梓琳は合食禁の事を知っていた? 知っていて翠蓮様たちに渡していた?)
知っていたのか、知らないのか。
それによって梓琳が共犯なのかどうかが分かる。
由羅は梓琳を揺さぶることにした。
「梓琳様は葡萄柚を食べたことあります? この間調べたら、葡萄柚は美肌の成分が入っているらしいんです。紅玉薬も美肌の薬ですし、両方食べたらもっと美肌になりますよね」
無邪気な笑顔を装ってそう言った由羅を援護するように、樹璃も言葉を続けた。
「由羅の言う通りね。きっと2つ食べれば美肌の効果が倍増するかもしれないわ」
「あぁ、そうだ! よく考えれば私が懇意にしている商人に野菜と果物を専門に取り扱う商人がいたんだった! 声をかければ手に入るかもしれないです! ……ねぇ、その時は梓琳様も一緒に食べましょうよ」
由羅の言葉に梓琳は息を呑んだ。
茶器を握る手も小刻みに震えている。
それに気づかないふりをして由羅は話を進めた。
「じゃあ明後日、3人で食べるのはどうですか?」
「私はいいわよ」
「梓琳様はご都合どうですか?」
「……明後日は都合が悪いの」
視線をそらして梓琳が答えた。
「じゃあ、来週はどうですか?」
「来週も、用事が入っているわ」
「では、いつがいいですか? 梓琳様に合わせます」
「……えっと」
俯いて言い淀む梓琳に対し、由羅は真っすぐに梓琳を見据えて口だけで薄く笑った。
だが、目は嘘を見逃さないとばかりに鋭く梓琳を射抜く。
「梓琳様は、葡萄柚と紅玉薬を合わせて摂ることがお嫌なようですが、何かご存じなのですか?」
「それ……は……」
「この二つを飲むと、死んでしまうから?」
由羅が言い逃れのできないように低い声で問いただすと、梓琳は驚愕の表情で由羅を見返した。
「なんで、それを……」
その時だった。
ガタンと椅子が倒れる音がしたかと思うと、気づけば樹璃が梓琳の胸倉を掴んでいた。
そしてつんざくような叫び声をあげた。
「あなたが……お姉様を殺したのね!!」
目は吊り上がり、瞳には強い恨みと憎しみの炎が燃え滾っている。
今までの淑女らしく天女のような優しい雰囲気とはかけ離れた樹璃の姿に、梓琳も由羅も思わず息を呑んだ。
「よくも! あんなにあなたを慕っていたお姉様を殺したわね!! お姉様を返して!! 返してよっ!」
あまりにも苛烈な怒りをぶつけられ、梓琳は恐怖から動かずにいる。
「人殺し! 返せ! お姉様を返して!」
「し、知らなかったのよ! 私だって……まさか死ぬなんて思わなくて……」
「嘘よ!! あなたが持ってきたものでしょ? 知らなかったなんて信じられないわ!」
「本当よ! わ、私は楽雲様の命に従っただけで……」
樹璃は梓琳の胸元を掴んで、狂ったように揺すりながら慟哭する。
梓琳は蒼白な顔色で、力なく揺さぶられていた。
そんな樹璃を由羅は押しとどめた。
「待ってください。樹璃様、落ち着いてください」
「由羅さん、この女を逮捕して! ねぇ人殺しは極刑よね。早く、この女を逮捕して死罪にして!」
樹璃は泣きながら由羅に縋ると、必死に訴えた。
その姿があまりにも痛々しくて、由羅は思わず樹璃を抱きしめると、樹璃はそのまま由羅の肩口に顔を埋めて号泣した。
それを見ていた梓琳もまた混乱した様子で、首を振りながら由羅に訴えた。
「あれは偶然よ……私のせいではないわ!」
「でも、あの二つを渡した人たちが全員亡くなったことには、気づいてたんですよね」
「それは……」
「気づいてて、あの2つを翠蓮様たちに渡していたんですか?」
由羅が鋭い声で尋ねると、梓琳はとうとうその場に崩れ落ちると、力なく項垂れた。
そして弱々しく話し始めた。
「最初は偶然だと思っていたの。でも次々に人が死んで……もしかしてって思った。でも、私怖くて……私のせいで皆さんが亡くなったって思いたくなかったの。だって……私が殺したことになるでしょう? そうしたら、私は極刑だわ。……怖くて……言えなかったの」
「では貴女が4人を殺害しようとしたわけではないのですね?」
「もちろんよ! 皆様とは仲良くしてもらって……お友達だったのよ。殺そうだなんて思わないわ! 信じて」
その時、凛とした声が部屋に響き、一瞬にして場の空気を変えた。
「話は聞かせてもらいました。もう十分です」
「……凌空お兄様! あの女がお姉様を殺したのよ! 聞いていたでしょ? 早く、逮捕して……」
樹璃の言葉に、梓琳は突然部屋に入って来たこの男が誰なのかを理解したようだ。
目を見開き、身を固くした。
「凌空……宰相?」
「鄭 梓琳、もう一度確認します。葡萄柚を持っていくように指示したのは魯楽雲ですか?」
「は、はい……『葡萄柚という珍しい果物が入ったから、持っていきなさいと』指示されました」
梓琳は緊張しながら、なんとか声を絞り出すように証言した。
それを聞いた由羅と凌空は頷きあった。
葡萄柚と紅玉薬を持っていくように命じたのは魯 楽雲で間違いない。
そして、魯家が紅蘆派の人間と接触していることからも、妃候補殺害の動機がある。
この2つの事実は、この怪死事件の犯人が楽雲であることを示している。
「死にたくない……死罪にしないでください……。私は知らなかったんです」
梓琳は俯いて泣きながら繰り返しそう呟いていた。
凌空はその傍らにしゃがんで言った。
「貴女の罪は死罪にはならないでしょう。ただ、相応の刑罰は覚悟してください」
そう。
梓琳は自分が持っていった葡萄柚と紅玉薬で人が死んでいることに気づきつつも、楽雲の命のまま、彼女たちに持って行った。
魯家当主の命に背くことはできないのは分かるが、それでもしかるべきところに訴えることはできたかもしれない。
やがて、凌空に呼ばれた泰然と刑部の武官がやってきて、梓琳を捕縛した。
ここにきてようやく樹璃は落ち着きを取り戻したが、今度は気が抜けた幽鬼のようになって、まともに話せる状態ではなかった。
由羅は樹璃に何か声を掛けたいと思ったが、どのような慰めの言葉をかければいいのか分からなかった。
『犯人が分かってよかったですね』
『これで翠蓮様も浮かばれますね』
そんな言葉が浮かんだが、そんな陳腐な言葉では樹璃の慰めにもならないだろう。
凌空は樹璃にしばらく付き添うことになり、由羅は樹璃の様子が気になりつつも、泰然と共に皇城に戻ることとなった。


