命を狙った皇帝のお飾り妃になりました―この謎、私が解決いたします―

すると紫釉が思い出したように口を開いた。

「そう言えば、由羅は伯瑜先生とお茶を飲む仲なんだって? 泰然に聞いたよ」
「茶飲み友達という程の仲ではありませんけど、一度ご馳走になりました。紫釉様の教育係だったとか」
「ああ、いつもすごく怒られてばかりだったよ」
「ええ! あの伯瑜様が怒るんですか?」

温厚そうに見えていたのでとても怒るとは思えない。
物腰が柔らかく、異国の物を楽しそうに語る姿は好々爺という印象だ。

「すごく厳しくてビシバシ鍛えられたよ。まぁ、俺も授業が嫌で抜け出したりもしてたからね。先生にとってはあまりいい教え子じゃなかったかもしれない」
「でも、伯瑜先生は紫釉様のことを褒めていらっしゃいましたよ」
「そうなのかい? 俺は面と向かって一度も褒められたことはないよ」
「人身売買禁止の法令を通すのはすごく大変だったのに、それを成し遂げるなんて凄いと仰ってました」

そう言ってから由羅はずっと気になっていたことを、この機会に尋ねてみることにした。

「そうだ。紫釉様に聞きたいことがあったんです。色々考えなくてはならない法令があったはずなのに、何故一番最初に人身売買禁止の法令を制定したんですか?」

由羅の言葉に紫釉は一瞬目を見開いた。
その紫釉の反応を見た由羅は、何かまずいことでも聞いてしまったのだろうかと不安になった。
だが紫釉はすぐに目線を下げて、悲し気に、そして苦しそうにぽつりと呟いた。

「助けたい子がいたから、かな」

紫釉は一旦言葉を区切ると、少し悩むような表情を見せた。
そして由羅を見つめる。
紫釉の纏う空気が変わった気がした。

「少し長い話になるけど、聞いて欲しいんだ。いいかい?」
「もちろんです」

由羅が答えると紫釉は一旦目を閉じ、そしてゆっくりと開くと静かに話し始めた。

「俺は、子供の頃、紅蘆の企みによって、皇城から連れ出されて奴隷商に売られたことがあったんだ」
「っ!」

その言葉に衝撃を受けた由羅は、思わず息を呑んだ。

「突然連れ去られて、牢に入れられ、売られると知った瞬間、俺は絶望した。そして恐怖で震えるしかできなかった」

その気持ちは由羅にも覚えがある。
由羅も父親に手を引かれて行くと、見知らぬ大人に突然牢に入れられた。
訳も分からず、これからどうなるのか。
ただただ不安で怖かった。
それゆえ紫釉の気持ちが痛いほど分かり、由羅は思わず眉を顰めた。
だが、紫釉は次の瞬間一転して、懐かしそうな柔らかな表情となった。

「でも一人の少女が俺を励ましてくれたんだ。俺を助けに来る人が絶対にいるからと言って、震える俺を抱きしめてくれた。俺より年下で、彼女の方がずっと不安だっただろうに。彼女は俺に寄り添ってくれて、励ましてくれて、俺の心の拠り所になった。そして、牢に入れられて三週間後、俺は無事に助け出された。でも、彼女は商人に連れられてしまって……助けることができなかったんだ。だから、俺は即位した時には人身売買が行われない国を作ろうと決めたんだ」

「それで最初に作った法令が人身売買の禁止だったんですね」

紫釉は小さく頷くと、目を固く閉じながら言った。

「罪滅ぼしなんだ。俺だけが助かって、あの子を助けられなかったから。ねぇ、由羅。俺だけが救出されて、彼女は俺を恨んでると思うかい? 由羅はどう思う?」
「私、ですか?」

突然意見を求められ、由羅は戸惑った。
だが紫釉はじっと由羅を見つめ、答えを待っている。
由羅は考えを巡らせると、的確な表現は分からないものの、思ったままを口にすることにした。

「私はその子じゃないので、正直分かりません。でももし、私なら恨まないです。むしろ安心したと思います」
「安心?」
「はい。私は帰る場所はなかったですけど、紫釉様にはありましたよね。だから、紫釉様を迎えに来てくれる人がいて、ちゃんと帰れたことに安心したと思います」
「本当に? 恨まないの?」
「はい。むしろ、お礼を言いたいくらいです」

由羅は笑って答えたが、その答えに紫釉は納得できない様子で更に尋ねてきた。

「何故?」

「だって、紫釉様のお陰でもう子供が売られることはないですから。……実は私も親に売られたんです。牢に入れられて、売られるのを待っている間、他の子どもたちはどんどん売られていきました。私は崔袁(さいえん)に助けられ、大切に育ててもらえましたが、先に売られていった子供たちは辛い思いをしているじゃないかって思うと胸が苦しくなってました。だけど、紫釉様のお陰で、そういう不幸な子供たちはいなくなるし、売られた子たちもこれから自由を手に入れられる。だから、私は紫釉様にお礼が言いたいです。ありがとうございます!」

「そうか……そう思ってくれるんだね」
「あ、私だったらの話ですよ」

自分はその少女ではない。
だけど不思議とその少女も同じように考えたのではないかと思えた。
由羅の言葉を聞いた紫釉は、安堵した様子で肩の力を抜くと、目を閉じて噛みしめるように呟いた。

「……ありがとう」

その感謝が何に対するものなのかは分からない。
だけど、紫釉が穏やかな表情になったことが由羅はなんとなく嬉しくなり、思わず笑みがこぼれたのだった。




由羅は自室で麻花(かりんとう)をつまみながら、もう片手で紅玉薬のガラス瓶を弄んで見つめていた。
掌に収まるほどの赤い硝子の小瓶は、光に透かすと紅宝石(ルビー)のように鮮やかな赤で、輝くばかりに美しい。
容器の形も凝っていて、瓶は八角形をしており尻すぼみの形になっている。
瓶の蓋も硝子でできていて、上部の丸い栓には、唐草模様のような意匠が施されていた。

(紅玉薬……紅宝石みたいな瓶から名前が来ているのかしら?)

由羅が片手で小瓶を揺らすと、中の液もちゃぽんと揺れた。
瓶の大きさは一寸(5センチ)程度なので、この小瓶の中の紅玉薬もまた少量しか入っていない。
だがこの少量の薬が事件に関与していることは間違いない。

(でも紅玉薬と死亡原因の関連性を調査するっていってもねぇ……どこから手をつければいいかしら……)

由羅は悩みながら再び片手で麻花をつまんで口に運んだ。
油の香ばしい香りと絶妙な甘さが癖になる。
蘭香が作るものは何でも美味しいが、麻花も絶品だ。
もう一度麻花に手を伸ばしたところで、由羅はふと思った。

「そもそもこの紅玉薬の味ってどんな味なのかしら?」

瑤琴(ようきん)は「大変苦い」と言っていたようだが、苦いと一口に言っても種類がある。
例えば、濃い緑茶の苦さと苦瓜(ゴーヤ)では苦味の種類が異なる。
蘭陵は漢方薬ではないと言っていた。
そして乾泰国では使用しない素材で作られていると言っていたこともあり、味の想像が全くつかない。
だが、この薬自体が何なのかが分かれば、死亡原因との関連性が分かるかもしれない。

(そうよ! まずはこの薬を調べる必要があるわね! ……まずは、香りを確認してみましょう)

被害者の死亡状況からすると毒を吸って死亡したわけではないので、香りを嗅ぐ分には問題ないだろう。
由羅はそう判断し、紅玉薬の小瓶の蓋を開けると、そっと鼻を近づけ、手で仰いで香りを嗅いでみる。
薬草の香りがするのか、刺激臭なのか、花の香りなのか……
だが由羅の予想に反して、まったく臭いがしなかった。

(無臭? なのに薬の効果がある?)

普通、漢方薬だと薬草独特の香りがするのが通常だ。

だから無臭であることに由羅は驚いてしまった。

(やっぱり味を確かめてみないと分からない……か)

由羅は紅玉薬をじっと見つめた。
正体不明の液体を口にするのはやはり躊躇いがある。
こんな怪しいものを、美しくなるのであれば飲もうという女性たちには美に対する執念を感じる。
ある意味尊敬してしまう。
それはおいておいて、死亡原因が分からない今、これを飲めば由羅も死んでしまうかもしれない。

(でも、この薬を飲んで死んだのは妃候補の4人だけで、他の摂取者に死亡者はいないし)

虎穴に入らずんば虎子を得ず。
少しでも手がかりが欲しい状況だ。
それに多少の毒ならば、由羅には耐性がある。
黒の狼として様々な毒を扱う機会もあるし、任務中に毒矢で傷を負うこともあるため、毒で体を慣らし、耐性を付けているのだ。
もし紅玉薬に毒性があるとしても、飲まなければ大した問題はないだろう。
たぶん……。

「よし、舐めるだけなら……うん!」

由羅は気合を入れると、小瓶から少しだけ掌に薬を垂らした。
見た目は透明で、匂いもないことから水と言われても信じてしまいそうだ。
そして、掌に取った紅玉薬をひとなめした由羅の口の中に、妙な甘だるさが広がったと思った次の瞬間、強烈な苦味に襲われた。
思わず口をへの字にして、慌てて麻花を5本ばかり立て続けに口に放りこんで口直しをした。

「うわぁ……何この独特な味……」

由羅は胡散臭いものを見るかのように、眉間に皴を寄せて光を反射する赤い小瓶を睨みつけた。
とてもじゃないが、これを飲もうという人間の気が知れない。
だがそう思うと同時に、この味には覚えがあった。

(この味、知ってる気がするわ。その時にも独特な味だって感じたはず。いつだったかしら……)

由羅はそう思うと記憶を辿った。
ただの風邪でこのような薬を飲んだことはない。
何か特別な病になった時に飲んだ?
考え込んでいると、廊下から蘭香の声がして、由羅は思考を中断した。

「由羅様、お茶のお代わりをお持ちしましたが、いかがいたしますか?」
「じゃあ、いただこうかな」
「失礼いたします」

蘭香は湯気の立つ茶器を持って部屋へと入って来ると、由羅の目の前に置かれた冷めきった茶器と持ってきた茶器を優雅な手つきで取り替えてくれた。

「ありがとう」

「いいえ。春になったとはいえ、今日は少し冷えますし。温かいお茶で体を温めてくださいませ。風邪をひいて熱を出したら陛下が死ぬほど心配されるでしょうから」
「ふふ、私はそんなに柔じゃないわ。熱なんて滅多に出たことがないのよ。前回熱を出して倒れたのは10歳くらいの時だったかしら。熱病になって倒れたのが最後よ」

熱病――正確には酷虐(マラリア)という。
南国に位置するテフェビア王国ではよく発症する病気で、蚊を媒介とした感染病の一つだ。
乾泰国では聞き馴染みのない病気だが、テフェビア王国に近い地域にあった黒の狼の村では、度々発症する者がいた。
由羅もまたその一人で、子供の頃に感染し、高熱を出したのだ。

「まぁ、熱病なんて一大事じゃないですか!」
「私が暮らしていた地域ではたまにある病気なの。だけど、よく効く薬があるからすぐに治ったわ。その薬がすっごくマズくて……」

その時の記憶を思い出した瞬間、当時の記憶が鮮やかに蘇った。
熱病に倒れて苦しく浅くなる呼吸。
火照った体。
ぼんやりとしてくる視界。
崔袁(さいえん)宇航(ゆはん)の心配そうな顔。
そして口にした甘くて苦い独特な風味の薬。
その薬の名は……

「キニーネ……」

そう、この紅玉薬は、あの時飲んだキニーネと同じ味がしたのだ。
間違いない。
熱病で倒れた時に口にした薬と同じ味だ。
あの独特な風味を間違えるはずはない。
キニーネはテフェビア王国の風土病である熱病に効く薬で、強力な解熱効果があるのだ。
そこそこ高価なのだが、確実に熱を下げることができるため、国民の多くが飲む薬なのだ。

(あれは透明で無臭だったし、もちろん毒性はない。テフェビア王国にしかないキナの樹皮を原料にしているから、乾泰国では作れない薬だわ)

全ての条件が一致している。
紅玉薬は、十中八九キニーネだと言える。
だが、そう思う一方で、やはり翠蓮(すいれん)たちだけが死亡した原因が分からない。

「大丈夫でいらっしゃいますか? やはりお風邪を召されたのでは……」

話の途中で考え込んでしまった由羅に蘭香は気遣うように声をかけた。
その声に由羅はハッと現実に引き戻された。

「ううん。大丈夫よ」

由羅はいたって普通に答えたつもりなのだが、先ほどの行動がよほど不審だったのか、蘭香は探るような表情を浮かべながら言った。

「誤魔化しても無駄です。薬を飲んでらっしゃるじゃないですか」

蘭香が指さした先には、紅玉薬の小瓶があった。
だが、この事件は極秘裏に調査を行っている。
だから無関係の蘭香には、これが何なのかを教えるわけにはいかなかった。
どう答えればいいのか口ごもったのがいけなかった。
蘭香の侍女魂に火をつけてしまった。

「えっと……」

「言い訳をしても無駄です!さぁ寝台でお休みになってください。今、お医者様を呼びますから。もし由羅様に万が一があったら、わたくし、凌空様にも陛下にも合わせる顔がございません!」

蘭香がそう言いながら、由羅の腕を引っ張り上げ、そのまま寝台まで連行しようとした。
このままでは、本当に典薬寮から医者の一群が押し寄せ、心配した紫釉が執務を中断してやって来て、誤解だとバレた時に執務を中断させたと凌空に怒られる……という未来しか見えない。
それは何としても避けなければ。

「本当に大丈夫だから。あ、そうだわ! 私、伯瑜様にお茶に誘われていたんだったわ!」
「え、由羅様!? お待ちくださいませ」
「じゃあ、ちょっと行ってくるわね!」

蘭香が止める声を聞こえないふりをして、由羅は逃げるように部屋を後にした。