命を狙った皇帝のお飾り妃になりました―この謎、私が解決いたします―

楊家を出てからしばらく歩き、貴族や高官の屋敷が立て並ぶ区域から喧騒と雑踏が入り乱れる城下町へと戻って来た。
由羅たちは王城の近くにある市場に足を踏み入れると、一軒の宿屋の前で立ち止まった。

「泰然は……まだ来ていないようですね」
「そうみたいですね」

泰然とはこの宿屋の前で待ち合わせをしていた。
というのも楊家を後にした由羅は、第三の被害者である(きょう) 瑤琴(ようきん)の屋敷に行くことになっており、泰然がその付き添いをしてくれる予定だったからだ。

姜家にも行くとなると、一日中宰相である凌空を拘束することになってしまう。
さすがに丸一日公務を休ませるわけにはいかないだろう。

ということで、泰然と待ち合わせているのだが、まだ姿が見えない。
しばらく待ってみたものの、時間が過ぎても泰然が現れる様子はなく、凌空の眉間の皺が徐々に深くなっている気がする。
そこで由羅は一つ提案してみることにした。

「あの、よければ私一人で待ってます。凌空様はお忙しいでしょうし」

街歩きなど由羅にとっては当たり前の事だ。

これが高貴な女性ならば身の危険もあるだろうが、由羅は平民だし、街は慣れ親しんだ場所だ。
一人で泰然を待つことなど、何の問題もない。
だがそんな由羅の申し出に、凌空は言い淀んだ。

「しかし……」
「それに時間的に泰然様もすぐにいらっしゃるかと思いますし、私なら大丈夫ですよ?」
「申し訳ありません。そうしていただけると助かります。では、お言葉に甘えて先に皇城に帰らせていただきますね」
「はい、お気をつけて」

由羅は凌空の後ろ姿を見送り、その姿が見えなくなると、はぁと息をついた。
侍女として貴族の屋敷に行くのは、潜入捜査で度々やっていた事とはいえ、やはり気を張ってしまう。
それに細かな点まで漏らすことなく情報を得なくてはと思っていただけに、知らず疲労してしまったのだろう。
だが、まだ気は抜けない。
次の姜家での情報も重要だ。
先ほどの翠蓮の情報と比較すれば共通点が見えてきて、犯人への手がかりになるからだ。

(頑張ろう!)

由羅は一度緩んだ体に再び力を入れ、シャキンと背筋を伸ばした。
そんな由羅の元に、香ばしい香りが漂ってきた。

(こ、これは……葱油餅(ネギ入りおやき)!)

香りの元を辿ると、ちょうど向かい側の屋台で売られているのが往来する人々の隙間から見えた。
熱々の鉄板に流し込まれるタネ。
ジュウジュウという音。
そして小麦粉の焼けるいい香り。
全てが由羅の食欲を刺激する。
それを意識すると、途端に空腹を覚え、由羅は思わず自分の腹に手を当てた。

(食べたい……でも、これから姜家に行くし……)

だが腹が減っては何とやら。
このまま空腹を抱えたまま聞き込みをしても集中できるかどうか。
そう葛藤していると、突然肩をポンと叩かれ、由羅は反射的に体を震わせた。

「ひゃ!」

驚いて振り返ると、長身の男が笑いながら立っていた。
キメの細かい美しい肌に、金糸のように輝くサラサラの髪を緩く括って肩に流し、透き通った水色の宝石のような瞳で由羅を見つめていた。

「し、紫釉様!? な、なんでこんなところにいらっしゃるんですか!?」

官服に身を包んでいるが、まぎれもなく紫釉であった。

「由羅と一緒にいたかったから来ちゃった」
「来ちゃった、じゃないですよ! 凌空様はご存じなんですか?」

凌空は紫釉が来るとは言っていなかった。
もしかして凌空には内緒で皇城を抜け出してきたのではないか。
そう考えた瞬間、由羅の中に猛吹雪のような凍てついた空気を纏い、冷笑を浮かべた凌空の姿が頭をよぎった。

(恐ろしすぎる!!)

だが紫釉は由羅の問いに答えず、ただ悪戯っぽい笑みを浮かべるだけだった。

「ほら、早く行かないと姜殿が待っているよ」

そう言って紫釉は由羅が止める間もなく先に歩き始めてしまったので、由羅は慌ててその後を追った。

「あ、待ってください!」

紫釉は顔を隠すこともなく、堂々と市場の通りを歩いていく一方で、由羅は内心で大慌てだった。
何と言っても一国の主が供も付けずにこんな人混みを歩いて平気なのだろうか?

「あの、皇帝がふらふら歩いて大丈夫なのですか?」

由羅は声を潜めながら隣を歩く紫釉に声を掛けた。
もし刺客や暴漢に襲われたら一大事だ。
そんな風に思っている由羅に対し、紫釉は由羅に笑顔を向けながら答える。

「平気だよ」
「でも皇帝だってバレたらどうするんですか」
「大丈夫大丈夫。街歩きなんてよくしていることだし、これまでバレたこともないよ」

(街をよく歩く?)

紫釉の言葉に由羅は彼と出会った時の事を思い出した。
そう言えばあの時、紫釉は良家の若旦那という感じの軽装で街を歩いていた。
だが確かにスリから助けた男性がまさか皇帝だとは由羅は夢にも思わなかった。
紫釉の言う通り堂々と歩いていれば身バレすることもないのかもしれない。

(まさか皇帝が歩いているとは思わないだろうし、いざとなれば私が紫釉様をお守りすればいいのよね)

由羅は自分を納得させるように頷きながら姜家への道を歩いた。



長い長い白壁に沿って伸びる道を歩くと、先に見えた門に人影がぽつりと立っているのが見えた。
姜家の門で由羅達を待っていたその人影は、年嵩の女性だった。
年の頃は50歳を少し過ぎたくらいだろうか。
黒髪に白髪が混じったその女性は、由羅達を認めるとゆっくりとした足取りでこちらに向かってやって来た。

「お手紙をくださった刑部の方ですね。わたくしは瑤琴様の乳母をしておりました。今日は旦那様から貴方様をご案内するようにと申し付かりました」

楊家に行った時、樹璃が由羅を侍女だと思ったように、この乳母もまた由羅を紫釉の侍女だと思っているようで、由羅にはあまり気にも留めず、紫釉に対して頭を下げた。

「ありがとう。では、早速だが瑤琴の部屋に案内してもらえるだろうか」
「はい。畏まりました。どうぞ、こちらへ」

乳母は静かに礼をした後に、由羅達を伴って屋敷の奥へと誘った。
だがその道すがら、由羅の意識は紫釉に向いていた。
紫釉はこの国では珍しい金色の髪だ。
幸い皇帝の顔などほとんどの人間は知らず、また皇帝が金髪だとも知られていないため、乳母は紫釉の正体には気づいていないようだ。
加えて官服を着ているため、不審にも思われていないように見える。
とはいえ、それでもやはり紫釉が皇帝だとバレやしないかと由羅はひやひやしてしまう。
由羅の内心の気持ちとは裏腹に、乳母は廊下を進み、やがて一つの部屋の前で足を止めた。

「こちらが瑤琴様のお部屋でございます」

そう言って案内された瑤琴の部屋に入ると、部屋の中はほぼ整理されてしまっていた。
家具がいくつか残っているだけで、遺品が部屋の隅にひとまとめにされていた。
一見すると物置か空き部屋のようで、姜家の姫が使っていた部屋の名残は無かった。
主を失った部屋は、まるで色があせたようにも見え、由羅は寂寥感を覚えた。
そんな由羅の気持ちを感じ取ったのだろう。
案内してくれた瑤琴の乳母が申し訳なさそうに言った。

「旦那様が姫様を思い出すからと、ほとんどのものを処分してしまわれて……」

楊家では、翠蓮が生きていた時のまま遺品は動かさず、掃除をして、まるで時が止まったかのような部屋にしていた。
対して、瑤琴の家族は、一刻も早く彼女を忘れようとしているかのようだった。
どちらの行動が正しいのか、由羅には決められない。
ただ、両者とも娘の死を深く悼んでいることだけは間違いなかった。
瑤琴の部屋は朱塗りの柱に、窓枠には雷紋(らいもん)をかたどった意匠が施された華やかな内装だった。
しかし、奥の部屋には寝具が取り払われてしまった寝台がポツンと置かれているだけで、その光景を見た由羅は胸がギュッと締め付けられる思いがした。

「では失礼して、少々調べさせてもらうよ。あぁ、由羅も侍女の観点から気になることもあるだろうから、気づいたら俺に言ってくれ」

乳母からすれば由羅は官吏が連れて来た侍女に過ぎない。
その侍女が勝手に室内を調べ始めたら乳母は驚くだろうし、怪訝に思うかもしれない。
由羅が事件捜査に関わっていることは極秘なので、大っぴらに部屋を捜査できないことから、紫釉はあえてそう言って由羅に調査させようとしてくれたのだ。
そのことに気づいた由羅は、小さく礼をしながら紫釉に答えた。

「かしこまりました」

由羅がそう答えると、紫釉が近づいてそっと耳打ちした。

「さて、どうする? 何から調べるんだい?」

「最初に確認したい物があるんです」

紫釉の問いに答えると、由羅は部屋を一巡しながら残されている遺品に目を向けた。

(あったわ)

香炉を見つけた由羅はそれを手に取り、中を確認した。
白磁の香炉の中には、燃え残った香の欠片がわずかに残っていた。
それを確認した由羅は、乳母に尋ねた。

「瑤琴様がお亡くなりになった時、香は焚かれていましたか?」
「はい、朝お目覚めになってから焚きました」
「その時、体調に異変のある方はいましたか?」

乳母は当時の事を思い出すように逡巡したが、緩く首を振って答えた。

「いいえ、いなかったと思います」

乳母の言葉を聞いた由羅は、香に鼻を近づけて香りを嗅ぐと、翠蓮の香りとは異なっていた。
翠蓮の香は白檀(びゃくだん)茉莉花(ジャスミン)野苺(ラズベリー)を組み合わせたものであったが、瑤琴のものは梅の香りだった。
翠蓮の時と同様に、香りからは混ぜ物の香りはしない。
香りを嗅いでも由羅の体に痺れなどの異変もないし、乳母の証言からも香に毒物が含まれてはいないだろう。

「瑤琴様はこの部屋で亡くなられたのですよね?」
「はい、朝にこの寝台で目を覚まされ、すぐ倒れてそのままお亡くなりに……」
「寝台で亡くなったんですか?」

状況が分からず由羅が首を傾げると、乳母はその疑問を察したようで「ああ」と小さく頷きながら説明を始めた。

「姫様は非常に朝が弱くて、いつも寝台に座ったまま身支度を整えられるのです」
「起きてすぐ亡くなったということは、化粧はまだしていなかったのですね?」
「はい。お顔を洗われて、化粧をする前に亡くなられました」

化粧前に亡くなったということは翠蓮の状況と合わせても化粧品に毒が仕込まれていた可能性は完全に否定された。
念のため、由羅は毒性物質が外から流入した痕跡や、室内に毒性物質が残っていないかをくまなく確認したが、怪しいところは見つからなかった。
角部屋で風通しも良く、毒性の気体を外から流入させて殺害するのも難しいだろう。
つまり、毒物を吸って死亡したわけではないということだ。

「瑤琴様は目薬や軟膏を使用してませんでしたか?」
「いいえ、使っていませんね」

この証言で、点眼による毒の投与と経皮投与も否定された。

(残るは飲食による毒の摂取という可能性だけね)

凌空の話では被害者は紅玉薬を飲んだ直後に死亡しているという。
瑤琴もそうだったのだろうか?

「あの、一つ確認してもよろしいでしょうか?」
「は、はい。なんでしょうか?」

先ほどから由羅が矢継ぎ早に質問することに、乳母は少々面食らいつつ、由羅の言葉に頷いた。

「瑤琴様は紅玉薬を飲んですぐに亡くなられたと聞いたのですか。飲んでから1時間後とか、そう言うことではないのですか?」
「いいえ、薬を飲まれてすぐの事でした。あの日、瑤琴様はいつも通りに朝起きて、支度をしている最中に紅玉薬を飲まれました。そうしたら突然苦しみ出して、顔が真っ青になったかと思うと、そのまま亡くなられました」

この証言が確かなら、やはり死因に紅玉薬が関連しているだろう。
だが、蘭陵の分析では毒性は認められていない。
その矛盾について由羅が考え込んでいる間に、紫釉は乳母に念押しをするように確認した。

「紅玉薬を飲んだ直後に亡くなったというのは間違いないのか?」
「ええ、絶対に間違いありません。紅玉薬は大変苦いらしく、『口直しにあの柚子(ザボン)を用意して』と仰ったので用意するために私が立ち上がろうとしたのと同時に姫様は紅玉薬を飲まれました。その直後に倒れられたのです」
「この時期に柚子とは珍しいな」

紫釉が言う通りこの国で柚子の旬は秋である。
今は春なので柚子があるのは珍しい。
乳母はその問いに頷きながら答えた。

「私も初めて見たのですが、柚子と言っても外国の果実だそうで、正確には柚子ではないらしいのです」

乳母の言葉を聞いて、由羅の中に何か違和感を覚えた。
確か、翠蓮も紅玉薬を飲む前に柚子を食べていたと言っていたはずだ。

「その柚子は瑤琴様がお取り寄せされたのですか?」
「いいえ、姫様のご友人の梓琳様が手土産に持ってきてくださったんです」
「梓琳様!?」

思わぬ名前が出てきて、由羅は思わず驚きの声を上げてしまった。

「瑤琴様は梓琳様とお友達だったのですか?」
「ええ。梓琳様の方が年上でしたので、姫様は梓琳様を姉のように慕っておいででした」

その話を聞いて、由羅の中に一つの疑問が生まれた。

「もしかして紅玉薬は梓琳様に勧められて飲み始めたのではありませんか?」
「ええ、そうです。美肌になるから是非にと」

乳母の言葉を聞いた由羅は、その話に引っかかりを覚えた。

(紅玉薬、柚子、梓琳……)

気になる単語はあるが、それらの関係がまだ見えない。
逡巡する由羅の様子に気づいた紫釉が、さりげなく由羅に近づいてそっと尋ねた。

「やはり紅玉薬が怪しいと思うかい?」
「ええ。状況から考えるとやはり紅玉薬は死因に関係していると思います。でも蘭陵様は毒性はないと仰っていましたし……何か見落としているのかもしれませんね」
「そうだね」
「ただ、一つだけ翠蓮様と瑤琴様に共通点がありました。共通の友人が梓琳様で、紅玉薬を勧めたのも梓琳様だってことです。梓琳様が事件の鍵を握っているのではと私は思います」
「分かった。凌空にも共有して、梓琳について少し探ってもらうことにしよう」

二人でそう話していると、乳母が言いにくそうに声をかけて来た。

「あの……もうよろしいでしょうか? そろそろお夕食の支度をしなくてはならないのですが」
「あぁ、すまない。なら俺たちも失礼しよう。部屋を見せてくれて感謝する」
「いえ、とんでもございません。では門までお見送りいたします」

由羅が慌てて答えると乳母はそう言って入り口へ向かった。
由羅たちもそれに続こうとした時、不意に傍机の上に置かれた刺繍道具が目に入った。
その横には途中まで刺繍されている手布(ハンカチ)が丁寧にそっと置かれていた。
艶やかな薄紅色の牡丹が施されており、葉の部分が半分まで刺繍された状態で止まっていた。
足を止めた由羅に気づいた乳母が、由羅の視線の先にある手布を見ると、少し寂しそうに話した。

「あぁ、これは瑤琴様が作っていらっしゃった刺繍です。あともう少しで完成できると毎日頑張ってらっしゃいました。実は亡くなられる日の一週間後、ご当主様のお誕生日だったので、その時にお渡ししようと頑張って作ってらっしゃったんですよ」

乳母は刺繍が途中まで施された手布を大切そうにそっと取り上げると、綺麗に刺繍された牡丹を指先で愛おしむように撫でながら言った。

「瑤琴様は元々刺繍は得意ではありませんでした。ですが、皇帝陛下の元に輿入れが決まり、もう二度と家族に会えないことを考えて、せめて手元に何か残したいと刺繍を始めたのです。頑張ってらしたので、完成させたかったと、思います……うぅっ……」

乳母はそう途切れ途切れに言いながら俯くと、嗚咽を漏らした。
その姿が樹璃のものと重なり、由羅は胸がぎゅっと締め付けられた。

「お客様の前で失礼しました。さぁ、参りましょう」

涙を拭って顔を上げた乳母は、無理に作った笑顔を見せると、由羅たちを屋敷の外まで案内してくれたのだった。



そうして姜家を後にした由羅であったが、脳裏に浮かぶのは樹璃と瑤琴の乳母の泣き顔だった。
大切な人を失った無念さや辛さ、悲しみが伝わってきて、由羅の胸が締めつけられるような思いだった。
黙って歩いている由羅を不思議に思ったのか、紫釉は足を止めて由羅の顔を覗き込んだ。

「どうしたんだい? 何か気にかかる?」

由羅はどう言葉にしたらいいのか、うまく言えない。
だが自分の中の想いを整理するようにゆっくりと口を開いた。

「事件について気になるというより……少し罪悪感のようなものがあって」
「罪悪感?」
「はい。私は自分の事ばかり考えていたなぁとちょっと反省していたんです」

由羅がこの捜査に参加した目的は、この事件を解決して一刻も早く後宮を出るためだった。
早くこのお飾り妃という役割を終えて、宇航(ゆはん)たちの元に帰りたかったからだ。
だけど翠蓮と瑤琴の家に行き、二人にはやりたいことがたくさんあったことを知った。
翠蓮は皇妃としてより良い国を作りたいと思っていたし、瑤琴は父親のために刺繍を頑張っていた。
だがその未来も希望も突然断たれてしまった。
それは翠蓮と瑤琴だけでなく、(れい) 霜月(そうげつ)() 紫霞(しか)もそうだろう。

「皆、夢や希望があったはずなのに、突然奪われてしまった。そんな単純なことに気がつかなかったんです。事件を解決するのは自分のためだったけど、今はそれよりも未来を奪われた彼女たちのために犯人を見つけなくちゃって思います」

由羅は犯人に対する怒りを覚え、ぎゅっと拳を握りながら言った。
そう、事件解決は自分のためだけじゃない。
亡くなった4人の無念を、そして残された家族の無念を晴らすために、由羅は事件を解決したい。
由羅は改めてそう、強く思った。
そんな由羅を紫釉は眩しいものを見るように目を細めた。

「由羅は変わらないね。いつも他人の事を考える」

「え?」

「由羅は自分のことよりも他人の事を考えられる人間だ。この事件の捜査は刑部も凌空も皇帝の権威を守るために動いている。だけど由羅は被害者のために事件を解決しようとしている。そんな人の痛みに寄り添える由羅が、俺は好きだよ」

あまりにも直接的に好意を告げられ息を呑んで硬直してしまい、すぐには言葉が出なかった。
紫釉はそんな由羅を見てくすりと小さく笑った後、困ったように眉を下げた。

「由羅の気持ちは分かるけど、俺としては複雑な気持ちだな」
「どうしてですか?」
「だって事件が解決したら由羅は後宮を出て行ってしまうだろ? 事件は解決したいけど、由羅には傍にいてほしいからね。でもまぁ、由羅の気が変わってくれるように、頑張るとするよ」

(頑張る……とは? 何を?)

紫釉の言っている言葉の意味が分からず、由羅は首を傾げた。
だがそんな由羅を楽し気に見た紫釉は、皇城とは反対の市場の方に向かって歩き出した。

「じゃあ、行こうか」
「紫釉様、どこ行くんですか? 皇城は反対方向ですよね?」
「いいから来て」
「えっ?」

由羅は困惑しながら紫釉の後について行くと、先ほど待ち合わせをしていた街の宿屋まで戻ってきていた。
そして紫釉は一つの屋台の前で足を止めた。

「あ……」

驚きの声をポロリと漏らした由羅の前には、先ほど食べるかどうかの誘惑と戦っていた葱油餅の店があった。
由羅の驚きをよそに、紫釉は手慣れた様子で葱油餅(ネギ入りおやき)を2つ購入すると由羅の前に微笑みながら差し出した。

「ほら、食べたかったんだろう?」
「……どうして分かったんですか?」
「待ち合わせの時、じっと見ていたからね」

まさかそんなところを見られていたとは。
物欲しそうな顔をしていただろうことを考えると、羞恥で地面に埋まりたくなった。

「それに、俺もお腹が空いてしまったしね。せっかく町に来たんだし、色々食べて帰らない?」
「でも、早く帰らないと凌空様が……」
「いいからいいから。ほら、早く食べないと冷めてしまうよ」

一瞬、今朝見せたような疲労した凌空の表情が浮かんだが、目の前の葱油餅(ネギ入りおやき)の誘惑には抗えなかった。

「ではいただきます」

熱々なのでフーフーと息を吹きかけて冷ましながら葱油餅を頬張った。
もちもちとした皮に、ちょうどいい塩加減である。

(うううう空腹にしみる美味しさ)

葱油餅を半分食べて空腹がいくらか和らいだところで、不意に視線を感じて由羅が顔を上げると、紫釉の水色の瞳と目が合った。
紫釉は満足そうな表情で、その眼差しには慈愛と思慕、いや恋慕に近い色がある。
それを見た由羅の胸が何故かドクンとなった。

「え、えっと……私、何か変でした?」
「いや。ただ由羅が美味しそうに食べてくれて嬉しかっただけだよ。ここに由羅がいるんだなぁって思ってさ」

万感の思いを込めてしみじみと言った紫釉の顔には、恋人に向けるような甘さが含まれるように見えた。