我、町娘に転生したと思ったら逃亡中の姫だと?魔王復活より騎士との逃避行が気になりすぎる!

 この娘を蝕む呪いを、今ここで取り除く。

「我が身に絡みし穢れの鎖よ、今ここに解き放たれよ! この娘の体内から呪いを引き離すのだ!」

 前半の仰々しい文言が不要であることは理解している。
 それでも、こういう場面で口上を省けぬのが、オタクの性というものだ。

 我の言葉が放たれた瞬間、今度は紫の光が身体を包み込んだ。
 淡く揺らめく光は、先ほどと同じように上へと昇り、やがて静かに消えていく。

 すぐさまステータスを確認する。

 ――状態異常の文字は、どこにもない。

「成功したではないか……!」

 今まで横たわっていたのが嘘のように、勢いよく上体を起こす。

「これで自由に動ける! 町娘スタートは変わらぬが、寝たきりよりははるかにましだ!」

 内心は、ようやくチュートリアルを突破した勇者の気分である。
 
 そのテンションのまま、ベッドから降りようと、足を床に下ろす。

 ――が。

 踏み出した瞬間、膝が笑い、身体がぐらりと傾いた。

 慌ててベッドの縁に手をつく。
 
 ……解呪したからといって、即座に全快するわけではないのか。
 
 解呪はしたものの、HPはいまだ一桁なのだ。
 ここで転べば、本当に死ぬやもしれぬ。

 それに、長らくデバフ状態だったせいで、この娘の体力そのものが削られているのかもしれぬ。

 では、魔力はどうなのだ。

 片手を掲げ、空中に向かって炎の呪文を唱えると、ぽん、と小さな火の玉が現れた。

 ――大きさも威力も、先ほどと変わらぬ。

 ……うむ。魔法関係は、まったく回復しておらぬ。

 期待していたチート無双の未来が、がらがらと音を立てて遠ざかっていく。
 あまりにも残念な結果に、我はそのままベッドへ突っ伏し、頭を抱えた。

 時間経過で回復するのか。
 それとも、これがこの娘の限界値なのか。

 もし後者であれば――せっかくの転生が泣くではないか。

 我はもっと強くなるはずなのだ。
 転生物の定石的にも……きっと。

「これはあれだな。そのうち覚醒イベントでも起こり、我の潜在能力が開花するまで、チート無双はお預けということだな」

 目の前の現実にそっと蓋をし、都合の良い未来図を糧にする。

 そして我は、体力を少しでも回復させるべく、再びベッドへと身体を沈めた。

 静かに目を閉じ、来るべき覚醒の日へ思いを馳せて――。

 ……のだが。

 毒と呪いを解いたというのに、妙にすっきりしない。

 なんというか――魔力というべきか、電波というべきか。
 静電気のような違和感が、身体の奥にまとわりついているのだ。

 気のせいかもしれぬ。
 ……いや、きっと気のせいだろう。

 そう結論づけて、我は意識を手放した。

 それから数日。
我は寝たり起きたりを繰り返しながら、少しずつ身体を動かせるほどにまで回復していた。

「かなり動けるようになってきたな」

 ゆっくりと立ち上がり、肩や腕を回す。
 まだぎこちなさは残っているものの、身体は確かに以前より軽くなっていた。

 我が唱えた呪文は、確かに効果を発揮した。
 この身体は、ゆっくりではあるが、着実に回復へと向かっている。

 娘の不調が毒や呪いによるものだとは知らぬ騎士は、病以外の不調を治せる医者を探すため、毎日のように街へ出ていたらしい。
 しかし、そのほとんどは空振りに終わっていたという。

 それでも、あの日――。

 成果もなく沈んだ顔で戻ってきた騎士は、娘の顔色がわずかに良くなっていることに気づいた瞬間、驚きに目を見開いた。
 そして次の瞬間には、心の底から安堵したように笑い――まるで自分のことのように涙を流し、喜んだのである。

 ……あのときの顔を思い出すだけで、胸の奥がじわりと熱を帯びる。

 やめろ。我まで泣いてしまうではないか。

 込み上げてくる感情を誤魔化すように、我は小さく息を吐いた。
 
 とはいえ、かなり以前から毒に侵されていたのだ。
 神経や内臓は相当な損傷を受けていたであろうし、それらが元に戻るには、どうしても時間がかかる。

 それ以前に、この娘はもともと体力に恵まれているようには見えぬ。
 基礎体力そのものが低いのであれば、なおさらだ。

 ――今後は、まず筋トレからだな。

 リハビリ系主人公ルート……。
 思い描いていた異世界転生とはだいぶ違う気もするが、仕方あるまい。

 回復魔法が使えれば話は早いのだが、ステータス画面や診断書を何度確認しても、魔法の項目に「回復」の文字は見当たらなかった。

 一緒にいる騎士もまた、回復魔法は扱えぬとのことだった。
 だからこそ娘を宿に寝かせ、自らは街を駆け回り、治療のできる医者を必死に探していたのだろう。

 その努力には頭が上がらない。
 我が回復してからも、食事をはじめ、何かと世話を焼いてくれている。

 思ったより回復が早かったのは、騎士のおかげもあるに違いない。
 このまま順調にいけば、もうすぐ外にも出られるはずだ。
 そう思うだけで、胸の奥がそわそわと騒ぎ出す。

 せっかくの異世界である。
 街を歩き、どのような店があり、どのような本が並んでいるのか。
 この目で確かめてみたいではないか。

 そんな期待に胸を躍らせ、あれこれと妄想を膨らませていたところへ、騎士から声がかかった。

「体力がもう少し回復しましたら、早めに隣町へ向かいましょう。そこから港町へ行く乗合馬車が出ています。まずはそこを目指します」

「……港町?」

 どうやら、この街をゆっくり見て回ることは叶わぬらしい。
 少し残念だ。

 とはいえ、港町なら港町で見どころも多そうではある。

「はい。以前にもお伝えしましたが、そこからさらに海を渡り、隣国へ向かいます。そこには、数年前に嫁いだあなたの姉上であるメル様がいらっしゃいます。そこまで行けば、もう安心でしょう」

 騎士は優しく微笑みながら、いつでも出発できるよう荷物を整えている。
 その手つきは慣れており、無駄がない。

 隣国へ向かう理由は理解した。
 姉に会いに行くのだな。

 ――だが。

 なぜ急ぐ必要があるのか。
 つい先日まで床に伏していた娘を、すぐに遠くへ連れて行こうとするのはなぜなのか。

 「安心」という言葉は、裏を返せば――ここは安心できる状況ではない、ということなのか。

 胸の奥に、小さな引っ掛かりが残る。

 たしかに、毒と呪いを解いたにもかかわらず、時折、静電気のような不快な違和感が身体にまとわりついていた。
 
 この娘に毒と呪いをかけた者が、いまだ命を狙っている可能性もある……のか。

 ――うむ。分からぬ。

 娘の置かれている立場が、現時点ではまったく見えてこない。

 詳細を知るには、騎士に我が転生した真実を打ち明け、理由を問いただす手もある。
 だが、純粋に娘を案じ、想っているこの騎士に、「この娘はすでに死んでいる」と告げるのは、あまりにも酷だ。

 我にも、少しばかりは情というものがある。

 ゆえに騎士には、「高熱でうなされていたせいで記憶が曖昧になった」と説明した。
 その影響で、以前とは話し方や考え方が少し変わっているかもしれぬ、とも。

 騎士はたいそう心配してくれたが、

「……あの大病から回復しただけでも、奇跡のようなことです」

 そう言い、我の変化については深く詮索しなかった。

 ――実にありがたい。よくできた騎士である。

 おかげで、こちらから質問すれば、この世界について丁寧に教えてくれる。
 娘自身の出自や現状についても聞きたかったが、一気に聞けば、何も覚えていないことが露呈してしまう。
 さすがに怪しまれるやもしれぬ。

 その辺りは、少しずつ聞き出していくとしよう。

 だが、そうすれば、娘がもういないという真実も、いずれは告げねばならぬ。
 その時を思うと、胸の奥がわずかに痛んだ。

 ――とはいえ。

 我はこの騎士がまったく好みではないため、恋心に応えてやることはできぬのだ。
 仕方あるまい。

 それでも、もうしばらくはこの世界のことを知るため、世話になるつもりである。

 騎士のもとを去るときには、せめて一つくらい抱きしめイベントでも発生させてやるか――などと、脳内で勝手に好感度イベントを構築していた、そのときだった。

 突如、階下から怒鳴り声が響いた。