我、町娘に転生したと思ったら逃亡中の姫だと?魔王復活より騎士との逃避行が気になりすぎる!

 突きつけられた現実に、転生者の我は一気にやる気を失った。
 華々しいチート能力も、勇者の称号も、隠された血筋もない。

 ただの町娘――しかも、履歴書仕様のステータスである。

「これでは、転生した意味がどこにあるというのだ……」

 ベッドに大の字に寝転んだまま、目の前に映し出された半透明の画面を、ぼうっと眺める。

「名前……住所……学歴……資格……」

 何度見ても履歴書だ。
 実に堅実で、実に現実的な項目ばかりが並んでいる。

「……ん?」
 
 指先で空中をなぞるようにしてスクロールしていくと、まだ下に続きがあることに気づいた。

「魔法……の項目がある? 炎……だと」

 寝転んでいた身体が、ぴくりと跳ねた。
 
 全身が、期待にそわりと粟立った。
 先ほどまで鉛のようだった四肢に、じわりと熱が戻ってくる。

 そこには確かに、「炎適性」の文字と、炎魔法の項目が記されていた。

 ――見間違いではあるまいな。

 はやる気持ちを抑え、さらに下をスクロールすると、水や土、雷などの適性項目もある。
 見間違いではない。幻覚でもない。

 一気に喜びが胸を満たす。
 
「……使えるではないか! この娘、魔法使いではないか!」

 勢いよく上半身を起こしかけ――また意識が遠のきそうになり、今度はゆっくりと身体を起こした。
 そして、そのまま腕を前へと突き出す。

 ぱっと手を広げ、指先に意識を集中させた。

「ここは異世界! ならば強大な魔法が使えるかもしれぬ! いわゆるチート魔法! 魔法無双の可能性だ!」

 静まり返った部屋の中に、我の声だけが虚しく――しかしどこか誇らしげに響き渡る。

 少女の姿をした我の背後で、「ゴゴゴゴゴ……」という効果音が脳内再生されていた。
 風もないのに髪が逆立ち、背景が暗転し、瞳だけが妖しく輝く――そんな演出まで完璧にイメージされている。

「いでよ! ファイア!」

 ――辺りは静寂に包まれた。

 空気は、ぴくりとも動かない。

「……ファイア? ファイアボール?」

 もう一度、今度は少し声量を上げて唱える。

 だが、手先からは何も出ない。

 振ってみても、指を閉じたり開いたりしてみても、何ひとつ起こらなかった。
 部屋の空気は、どこまでも穏やかなままだった。

「……ふぅ」

 一息つき、どうにか冷静さを保とうとする。
 
 焦りは禁物だ。
 魔法とは精神集中の産物である――と、どこかの物語に書いてあった気がする。

「仕方がない。これはまだ封印しておきたかったが……」

 手のひらを額に寄せ、目を閉じる。
 ゆっくりと息を吸い、静かに吐く。

「……我が血に刻まれし古の契約よ、
 闇に伏せられし焔の王よ、今こそ目覚めよ。

 虚空を裂き、因果を焼き、
 罪深き世界に裁きの光を落とせ。

 ――来たれ、紅蓮。
 ――吠えろ、業火。

 インフェルノ・ブラスト・ゼロ!!」

 決めポーズまで完璧である。
 だが――

 ――辺りは静寂に包まれた。

「…………」

 …………沈黙が、やけに長い。

「この究極呪文でも駄目だというのか!」

 ショックを隠しきれず、両手をだらりと下ろし、おもむろに肩を落とす。

「いつか異世界転生したときのためにと、密かにしたためていた我の究極魔法の呪文だったのだが……。なにか契約形態などが違うのだろうか……」

 手のひらをまじまじと見つめながら、しょぼくれた顔で愚痴る。
 そこにあるのは、何も刻まれていない、ただの少女の手だった。
 
「ファイアでは出なかった。長年考えた呪文もさっぱりだった。あとはなんだ? フレイム! フレア! ヒート! バーニング! ええい、火! 炎! 火球出ろ!」

 半ばやけくそになって叫んだ、その瞬間――。

 手のひらから、一瞬だけ――ボッ、と小さな赤い火が生まれた。

 指先ほどの大きさ。
 頼りないが、確かに炎だ。

「……今、使えたな? 確かに火の魔法だった! 呪文が火球なのが気になるが!」

 再びテンションが最高潮に達し、部屋の中で盛大に喜びの舞を踊ろうと拳を突き上げる。
 だが、それだけで体力を消耗し、そのまま力尽きたようにベッドへ突っ伏した。

 ――嬉しくなると、つい病人であることを忘れてしまうな……。

「だが……町娘スタートではあったが、やっと異世界転生っぽくなってきたぞ。くふふ」

 しかし、純粋に喜んでもいられない。

 呼吸が荒い。
 胸が上下に激しく動き、上半身を起こしているだけでもだるくなる。
 手足もわずかに震えていた。

 ――この町娘、いくら病人とはいえ体力がなさすぎではないか。

 これは……まず、体力作りから始めねばならぬのか。

 理想の異世界転生とは、どんどんかけ離れていく。
 剣も振るえず、魔法も未だ大技は出せず、体力すら乏しい。
 あまりにも残念仕様すぎて、めまいがしてくる。

 ――いや、本当にめまいがするのだが。

 視界がわずかに揺れ、額に手を当てると、じんわりと熱がこもっているのが分かる。

 この世界、町娘ジョブは最弱なのでは……?
 いや、もしかして成り上がり系か? あるいは復讐系なのか!?
 弱いなら弱いで、そこには物語がある。
 さあ、どれだ。

 そんなラノベ知識を総動員した考察を頭の中で繰り広げながら、我は荒くなった呼吸をどうにか整える。
 だが、呪文に関してだけは、どの作品の知識を引っ張り出してきても答えが見つからなかった。
 
「異世界転生ファンタジーのはずなのに、なぜ呪文が我の母国語でなければ発動しないのだ?」

 息を整えながら、疑問が浮かぶ。

 この世界の標準がそういう規則なのか。
 それとも、魔法を使っているのはこの娘の身体ではなく、中に入っている我の意識だから、秘められし母国語でしか反応しないのか。

 考え始めると止まらない。
 だが、この辺りは一人で推測していても答えは出まい。

「それにしても、魔法使いにしては威力がないではないか。チート能力はいつ解禁するのだ」

 深いため息をつく。

 吐き出した息が、熱を帯びている。
 実際、頬は火照り、自分の息も熱い。

 インフルエンザのような症状にも思える。
 だが、咳は出ない。
 それどころか、内臓や筋肉の奥に鈍い痛みが走り、身体の芯がじくじくと疼いている。
 
 残っていた体力ではしゃぎすぎたせいか、次第に瞼が重くなっていく。

「魔法を使ったせいなのか、さっきよりも身体がダルいな。もう起き上がるのもつらい」

 そう呟いた声は、思っていたよりも弱々しかった。
 自分の口から出たとは思えぬほど頼りなく、かすれている。

 そのまま、ゆっくりと目を閉じる。

 意識がゆるやかに沈み、まどろみへと引きずり込まれそうになる。
 その瞬間――。

 ――いや。

 内側から、強引に意識を引き起こす。

 この、目覚めたときから感じていた、この異質なだるさ。
 それは、我の知っている病とは違う気がした。
 
 ただ重いのではない。
 ただ熱があるのでもない。

 それは――胸の奥をざらりと撫でられるような、言葉にしがたい不快感だった。

 これはなんだ?

 この娘の身体は、いったいどうしたというのだ?

 目を閉じたまま、これまでに読んできた数多の転生譚を思い返す。
 病弱設定、魔力暴走、聖女の代償――ありとあらゆる展開を脳内で並べてみるが、どれも決定打にはならない。

 ラノベのように、都合よく答えが転がっているとは限らない。
 伏線が分かりやすく張られ、綺麗に回収される――そんな保証など、どこにもない。

 眉間にしわを寄せ、無意識に口をとがらせる。

 なんだか――我の異世界転生、まったく面白くないのだが……?

 華々しさもなければ、豪華な設定もない。
 その上この身体には、安心感のかけらもない。

 ただ得体の知れぬ不調だけが、じわじわと身体を侵食していく。

 この娘の身体のことを知りたい。原因を突き止めたい。
 
 だが――体力がなさすぎて、思考すらまとまらない。

 身体の怠さに抗えず、我はひとまずベッドへ身を預けた。
 ――そのとき。
 
 コン、コン、と扉をノックする規則正しい音が、部屋にこだました。

 我は反射的に肩を強張らせ、警戒するように扉へ視線を向けた。

 胸は重く、呼吸も浅い。身体のだるさも、相変わらず抜けない。
 それどころか、先ほどより悪化しているようにすら感じる。

 この状態で、外の者が泥棒や強盗だった場合――町娘である我には、抵抗する力も手段もない。

 どうする?
 ここは先制攻撃を仕掛けるか――。
 
 だが、魔法もしょぼい。
 先ほどの小さな火が、どれほどの威力になるというのか。

 どうする、我。
 
 わずかに逡巡した、そのとき。

 扉の向こうから声がかかった。

「フィオレ様? 入ってもよろしいでしょうか?」