我、町娘に転生したと思ったら逃亡中の姫だと?魔王復活より騎士との逃避行が気になりすぎる!

「今更だが、魔王崇拝教団とは一体何だ?」

 洞窟の奥で夕餉の支度をしている騎士へ問いかける。
 焚き火のぱちぱちと弾ける音が、湿った岩肌に反響し、薄暗い空間へ静かに溶けていった。

 騎士は手を止めぬまま、小さくため息を漏らし、わずかに眉をひそめた。

「それもお忘れですか」

 記憶が曖昧になっていることは、すでに伝えてある。
 だが、こうも次から次へと忘れているとなれば、疑念を抱かれても無理はない。

「ど、毒で意識が朦朧としていたのだから、仕方なかろう……」

 我は慌てて言い訳をする。
 危ないところだった。下手をすれば、我が本物の姫ではないと露見するところであった。

「今のフィオレ様のご様子ですと、敵のことをよく知ったうえで反撃に出ようとお考えなのでしょう。ですが、たとえ上級魔法を扱えたとしても、私は反対です」

 騎士は鍋をかき混ぜながら、穏やかな口調でそう言った。
 その声音には、静かな決意が滲んでいる。

 ――頑固者め。

 上級魔法を使えることは示した。
 これでGOサインをもらうつもりだったのに、この男は頑として首を縦に振らぬ。
 我の記憶が定かでないことを理由に、反撃は許さないというのだ。

 城で起こったことも、教団のことも思い出せぬまま攻撃を仕掛けるべきではない、と。

 だが仕方なかろう。
 我はその『姫』本人ではないのだ。

 ラノベであれば、元の持ち主の記憶が蘇る展開もあるだろう。
 だが我には、姫の記憶をひとつとして思い出せなかった。

 だからこそ、正体が露見せぬよう立ち回っているというのに。
 まったく、融通が利かぬ騎士め。
 ……まあ、そういう不器用なところも嫌いではないが。

 ……露見?

 ふとその言葉を思い返し、顎に手を当てて考える。

 よく考えてみれば、露見して何が困るのだろう。

 転生ものでは、正体を隠すのが定石だ。
 だから我も、深く考えず「転生者」であることを伏せていた。

 だが、ここで明かしたとして問題はないのではないか。

 そんなふうに思案している我のもとへ、騎士が両手で熱々の鍋を抱えてやってきた。

「さあ、フィオレ様。相変わらず質素な野営の食事で申し訳ありませんが……どうぞ、心ゆくまでお召し上がりください」

 騎士は具沢山のスープをよそい、こちらへと手渡す。
 それから我に向かって、柔らかく微笑んだ。

 ぐっ……このイケメンめ。
 無駄にキラキラしておるではないか。

「追っ手の勢いが落ち着いたら、まずは隣町へ向かいましょう。そこから港へ出て、隣国の姉君に匿っていただければ……あなたは戦わずに済みますし、食事にも困らずに済みます」

 そう言いながら、騎士も自分の分のスープをよそい、食べはじめる。

 ……我は気づいている。

 質素な食事であることは確かだ。
 だが、いつも良い部分は我の器へと注がれている。

 このスープもそうだ。
 騎士の器より、我の器の方が明らかに具が多い。肉も、野菜も、良い部分ばかりがこちらへ寄せられている。

 本来ならば、護衛である騎士こそ体力をつけるべきだろう。
 それでもこの男は、迷いなく我を優先する。

 それだけ、この騎士は姫を真剣に守ろうとしているのだ。

 最初から、その誠実さは伝わっていた。

 我は色々と茶化してきた。
 だが、この騎士が本気で娘を大切にしていることだけは、最初から疑いようがなかった。

 ――もう、その娘はここにはいないというのに。

 胸の奥が、わずかに重くなる。

 我がこの娘に転生したのは、我の意志ではない。
 それでも、この騎士の姿を見ていれば、情が湧くのは避けられない。

 だからこそ。

 仮に転生者だと露見しても実害がないとしても、姫がもうこの世にいないことだけは、やはり言えぬのだ。

 ――この騎士にだけは。

 だからこそ余計に、教団にはこの娘を殺したことを、死ぬほど後悔させねば気がすまぬ。
 我は、騎士も姫も、守るだけでは終わらせぬ。

 今度はこちらから、反転攻勢を仕掛ける。
 待っていろよ、黒幕ども。

 そこまで考えて、ふと疑問が浮かぶ。

 ――そもそも、なぜ我は転生したのだ。

 転生という一大イベントに浮かれ見落としていたが、今さらながら当然の疑問である。

 トラックに跳ねられた記憶はない。
 子供や動物を助けて身代わりになった覚えもない。
 過労死するほど働いていたわけでもない。

 確かに、複数のゲームで限定イベントが重なったうえ、推し作家の新作ラッシュや各種キャンペーンまで続き、やや徹夜気味ではあった。
 だが、それも我が世界のエリクサー――エナジードリンクで乗り越えてきたはずだ。

 では、なぜ。

 なぜ我はここにいる?

 神の気まぐれか。
 というか、神が転生させたのなら、なぜ最初からチート能力を寄越さなかった。

 姫の魔力が育ちつつある今、それをチートと呼べなくもない。
 だが、それなら最初から最大値で送り出してくれてもよいではないか。

 ……いや、そもそも。
 我は突然この世界へ放り込まれ、気づけば姫の身体へ入り込んでいた。
 
 異世界転移ではない。
 我は、確かに“転生”したのだ。

 では。
 我の元の身体はどうなっているのだろうか。

 ふと、元の世界のことを思い出す。

 ――そういえば、あやつらはどうしているのか。

 我の周囲にいた者たちの顔が、脳裏に一人ずつ浮かぶ。

 突然いなくなって、心配しているだろうか。
 ……いや、案外せいせいしておる者もいるやもしれぬな。

 口うるさい知り合いを思い出し、くすりと口の端が上がる。

 元の世界へ帰れるのかは分からぬ。
 せめて、連絡くらいは入れてやりたいものだ……。

 そう考えると、ほんの少しだけ胸の奥がしんみりとした。

 だが、今は念願の異世界転生の真っ最中なのだ。
 変な教団との対決や、魔法無双で我は忙しいのだ。
 姫と騎士のこと以外に意識を割いている余裕などない。

 お前たちのことは、すべてが落ち着いたあとにでも、哀愁たっぷりに思い返してやるとしよう。

 ……おっと、また思考が逸れた。

 騎士が注いでくれたスープをすすりながら、しばし無言で考える。

 スープが旨い。
 材料もろくに揃わぬ森奥の洞窟で、これほどの味を出せるとは。
 この騎士、本当に優秀である。

 ……今の所、転生した理由は分からぬ。
 だが、我がこの娘に転生し、この騎士と出会えたことは純粋に喜ばしい。

 この、少しだけ甘ったるい空気も――悪くはない。

「まあ、転生した主人公がその理由を知ることもないパターンもあるか」

「てんせ……?」

 騎士が首をかしげる。
 また妙な言葉を口にしている、と言いたげな視線だ。

 仕方あるまい。
 良くも悪くも、我の思考回路はラノベ脳なのだ。

 転生の原因については、ひとまず深く考えないことにする。

「……それより、魔王崇拝教団について教えてくれ」

 転生の考察はいったん脇に置き、意識をもとの話題へと引き戻す。
 胸の奥に残る疑問は消えぬが、今はそれより優先すべきことがある。

 我の強い眼差しは、騎士を捉えて離さない。

 そんな我をじっと見つめていた騎士は、やがて観念したように小さく息をついた。
 そして手にしていた匙を止め、視線を落としながら静かに語り始める。

「いつからかは分かりませんが、ある山奥の村で魔王崇拝教団は生まれたと言われています。世の中が間違っているから魔王を目覚めさせ、一度この世界を更地にするのだと主張しているようです」
 
 ほーん。
 本当に、どこにでも転がっていそうな邪教の類である。
 世界を壊して作り直すなど、短絡的な理想論にすぎぬ。
 壊した先に都合よく理想郷が転がっているほど、世の中は甘くないだろうに。

「仮にそれが叶ったとして、その世界で自分たちだけが生き残れると信じ込んでいるとは愚かなことだ。
 それで、どうしてむす……いや、我が必要なのだ?」

 思わず「娘」と言いかけ、わずかに言い直す。
 騎士は気づいた様子もなく、静かに首を横に振った。

「私も詳しくは存じません。ですが、姫様の潜在魔力が関係していると聞いたことがあります」

 やはりそこか。

 この身体の魔力量は、たしかに尋常ではない。
 毒と呪いに侵されていたときは、しょぼい魔法しか放てず詰んだと思っていたが、完全に回復した今ならはっきりと分かる。

 内側に渦巻く力は、底が見えぬほど深い。

 さすがは姫と呼ばれるだけのことはある。

 我は納得し、さらに問う。

「魔力が多ければ、魔王は復活するものなのか?」

「私も教団の内情までは……。ですが、“聖典”と呼ばれる本にそう書かれているとか」

 聖典。

 いきなりゲームめいた単語が飛び出し、胸の奥が妙にざわつく。
 オラ、わくわくすっぞ。
 
「聖典とは?」

 半信半疑のまま問い返すと、騎士は乾いた笑みを浮かべた。

「噂によれば、次元の狭間を越えて神から賜った“薄い本”だとか……。次元の狭間とは何なのでしょうね」

 苦笑をにじませた口調だった。

 だが、その言葉を聞いた瞬間、我の背筋に冷たいものが走る。

 ――薄い本。

 その言葉は、我の身近でよく聞く言葉と同じなのだが。

 いや、まさか、ハハハ、そんな。
 
 なぜだか我の冷や汗が止まらない。