魔王崇拝教団――。
昔から各地に点在する、ありふれた類いの集団である。
世の中に期待を持てず、「闇」という甘美な響きに救いを見いだした者たち。
自分たちは選ばれた存在なのだと、そう思い込んでいる者たちだ。
その多くは小規模で、数人からせいぜい数百人ほどが集まり、鬱屈した理想や歪んだ願望を語り合うに過ぎない。
世間から見れば、未熟な夢想の延長のようなものだった。
だが数年前、その中のひとつの教団が静かに頭角を現す。
辺境の厳しい土地で、長らく虐げられ、搾取され、貧しさに喘いできた者たち。
生き延びるための拠り所として縋りついていたその教団が、枯れ果てたと見なされていた魔石鉱山の奥深くで、新たな鉱脈を掘り当てたのだ。
本来であれば、その発見は自治領へ届け出なければならない。
だが発掘に携わったのは、ほとんどが教団の信徒だった。外部の目は入っていない。
発掘の事実は、静かに闇へと沈められた。
――闇が好きなだけに。
採掘された魔石は、目立たぬ程度の量に小分けにされ、慎重に売りさばかれた。
同時に、流通に関わる貴族たちへも密かに魔石が渡される。
賄賂という名の、口止め料である。
ばれぬ程度に。疑われぬ程度に。
慎重さを何よりの武器として、教団は裏から力を蓄えていった。
やがて彼らは、闇の組織でありながら王国の中枢にまで影響を及ぼす存在へと成長する。
裏社会に根を張りながら、表でも権勢を振るう。
もはや闇組織とは何なのか、分からなくなるような有様であった。
そしてその教団には、代々教祖の家系にのみ秘密裏に伝えられてきた聖典があった。
教祖は、その聖なる書物を大事に手に取る。
神より賜ったとされるそれは、魔王復活の儀式を記した闇の書。
少女を生贄に捧げ、魔王を復活させ、楽園への扉を開く。
選ばれし信徒のみが、魔王と共にその先の世界へ導かれる。
そこには痛みもなく、飢えもなく、絶望もない。
ただ満ち足りた幸福だけが溢れる世界が描かれていた。
鉱山で得た莫大な裏財産により、教団は地位と権力を買い取る。
さらに、王家の腐敗した重鎮たちへも惜しみなく賄賂をばらまき、王国内を自由に動ける立場を手に入れていく。
そして、ついに聖典に記された条件――「魔力量の高い少女」を見つける。
それは、この国の第一王女だった。
発現した魔法こそ未だ発展途上。
しかしその潜在魔力量は、他に類を見ないほど膨大であることが確認されていた。
教団は確信する。
彼女こそが、魔王復活の贄。
新たな楽園への扉を開く鍵だと。
そこで教団が目を付けたのは、浅ましい権力欲を隠そうともしない第二王子である。
第一王子が病に伏している今、姉である姫さえいなくなれば、王位は確実にあなたのもの――。
その甘言に、野心と劣等感を刺激された第二王子は、あっさりと教団の手に落ちた。
そして計画は、慎重に進められる。
姫に盛られたのは、強力だが致死には至らぬ毒。
身体の自由を奪い、城から運び出すための布石である。
だが、姫の潜在魔力はあまりにも強大だった。
もし何らかのきっかけで暴走でもすれば、すべてが水泡に帰す。
そこで教団は、さらに手を打つ。
毒の治療を名目に、魔力低下の呪いをかけたのだ。
潜在魔力そのものを抑え込み、魔力量を微々たるものへと落とす呪詛。
それもまた、成功した。
計画は順調だった。
すべては、聖典に記されたとおりに進んでいる。
あとは魔王復活の地である総本山へ、姫を連れ出すだけだった。
それで、すべてが完成するはずだった。
だが、その段になって幹部の一部が暴走する。
姫はすでに手中に落ちている。
ならば総本山まで運ばずとも、この王城で儀式を行い、魔王様を呼び出せるのではないか――。
焦燥と功名心が混じった、浅慮な判断だった。
彼らは独断で、姫の部屋にて復活の儀を強行する。
しかし儀式は失敗した。
いや、失敗というより未遂に終わったというべきか。
その動きを察知した騎士団長が、姫が狙われていると感づいたのだ。
儀式の途中で踏み込まれ、姫は騎士団長の手によって王城から連れ出されてしまった。
まさか、賄賂に屈しない者がいるとは。
王国の中枢はすでに買い取ったはずだった。
金と宝石を積めば、人は簡単に膝を折るものだと信じていた。
だが、その慢心を嘲笑うかのように、姫は逃げ延びた。
それでも、まだ致命的ではなかった。
姫は毒に侵され、呪いに縛られた身。
自力で動き回れる状態ではないはずだった。
遠からず捕らえ直せる――そう高を括っていた。
断続的に届く情報をもとに姫の居場所を割り出し、生け捕りにするべく刺客を放つ。
だが、姫の傍らにいるのは、腐っても王国騎士団長の肩書を持つ男だ。
実力も経験も本物だった。
送り込んだ刺客はことごとく返り討ちに遭い、誰一人として成果を持ち帰ることはなかった。
焦りが、じわじわと教祖の胸の内を侵食する。
魔王様復活の儀まで、残された時間はわずか。
次の満月までに、必ず姫を総本山へ連れてこなければならない。
聖典に記された刻限は変わらない。
――だというのに。
姫が動けるようになっているという。
姫が強大な魔法を使ったという。
そんな荒唐無稽な報告を口にする信徒が現れた。
馬鹿げている。
我らの総本山でしか採れないあの毒の解毒法は、我らしか知らぬはずだ。
あの呪いは今もなお姫にかけ続けている。
術式は途切れていない。
呪いは急激に悪化するものではないが、日を追うごとに確実に侵食していく類のものだ。
今も姫は、まとわりつく呪いに蝕まれ、床に臥せっていなければおかしい。
そんな姫が、まともに動けるはずがない。
魔王崇拝教団の教祖は、聖典――というにはあまりにも頁数の少ない一冊の書を手に取る。
鮮やかな装丁とは裏腹に、その内に記された真理は重い。
頁をめくる。
そこには、楽園で微笑む聖女たちの姿が、鮮やかな彩色で描かれていた。
苦痛も飢えも知らぬ、満ち足りた表情。
それは約束の未来。
選ばれし者のみが辿り着ける世界。
「必ずや……この楽園を我が手に――」
教祖の指先が、紙面を強く押さえる。
「そのために、必ず姫を捉えるのだ!」
◇
――遡ること数日前。
騎士と姫が洞窟へ逃げたあたりである。
我は、いつものように、ねっとりとまとわりつく気配を感じた。
「……ん」
またである。
あの、魔力というべきか電波というべきか。
静電気のような、不快にまとわりつく違和感。
これを感じるたび、途端にこの身体の調子が悪くなる気がする。
いい加減イライラが募るので、我の周囲に結界を張ってみた。
いつもの「我の周囲十メートル四方に、魔力、電波、静電気――というか、我が不快だと思う何かを弾く結界を張れ魔法」という、直接話法による魔法である。
この世界に存在するのか分からぬ魔法だ。
なので、張れるかどうか半信半疑だったが、普通に張れた。
我の世界の言葉で編まれる魔法は、存外に便利である。
実用的であることは認めよう。
ただし、派手さも威厳も欠片もない。
だから、まったく嬉しくはないのだが。
そして、結界を張ってからというもの、その奇妙な気配は遠のいた。
さすが、我が創りしオリジナル魔法。
とはいえ、完全に消えたわけではない。
少なくとも、我の感覚からは消えた。
だが今も、結界の外側にまとわりつき、じわじわと神経を逆なでしてくる。
だが、攻撃の兆しはない。
明確な害がない以上、今は無視するほかない。
これは何なのだろう。
まるで、どこぞから呪術でも送り込まれているかのような感覚だ――。
……いや。
我は呪術など信じていない。
魔法はかっこよくて良いが、呪術はなんかドロドロしていて怖い。
真夜中に神社の木に釘を打つなど、正気の沙汰とは思えん。
トイレに行けなくなったらどうする。
ともかく、結界のおかげで苛ついていた気持ちが落ち着いたのか、この体の調子もすこぶる良いのだ。
――かくして、我も教団も知らぬところで、
呪いの術式はとっくに効いていなかったのである。
昔から各地に点在する、ありふれた類いの集団である。
世の中に期待を持てず、「闇」という甘美な響きに救いを見いだした者たち。
自分たちは選ばれた存在なのだと、そう思い込んでいる者たちだ。
その多くは小規模で、数人からせいぜい数百人ほどが集まり、鬱屈した理想や歪んだ願望を語り合うに過ぎない。
世間から見れば、未熟な夢想の延長のようなものだった。
だが数年前、その中のひとつの教団が静かに頭角を現す。
辺境の厳しい土地で、長らく虐げられ、搾取され、貧しさに喘いできた者たち。
生き延びるための拠り所として縋りついていたその教団が、枯れ果てたと見なされていた魔石鉱山の奥深くで、新たな鉱脈を掘り当てたのだ。
本来であれば、その発見は自治領へ届け出なければならない。
だが発掘に携わったのは、ほとんどが教団の信徒だった。外部の目は入っていない。
発掘の事実は、静かに闇へと沈められた。
――闇が好きなだけに。
採掘された魔石は、目立たぬ程度の量に小分けにされ、慎重に売りさばかれた。
同時に、流通に関わる貴族たちへも密かに魔石が渡される。
賄賂という名の、口止め料である。
ばれぬ程度に。疑われぬ程度に。
慎重さを何よりの武器として、教団は裏から力を蓄えていった。
やがて彼らは、闇の組織でありながら王国の中枢にまで影響を及ぼす存在へと成長する。
裏社会に根を張りながら、表でも権勢を振るう。
もはや闇組織とは何なのか、分からなくなるような有様であった。
そしてその教団には、代々教祖の家系にのみ秘密裏に伝えられてきた聖典があった。
教祖は、その聖なる書物を大事に手に取る。
神より賜ったとされるそれは、魔王復活の儀式を記した闇の書。
少女を生贄に捧げ、魔王を復活させ、楽園への扉を開く。
選ばれし信徒のみが、魔王と共にその先の世界へ導かれる。
そこには痛みもなく、飢えもなく、絶望もない。
ただ満ち足りた幸福だけが溢れる世界が描かれていた。
鉱山で得た莫大な裏財産により、教団は地位と権力を買い取る。
さらに、王家の腐敗した重鎮たちへも惜しみなく賄賂をばらまき、王国内を自由に動ける立場を手に入れていく。
そして、ついに聖典に記された条件――「魔力量の高い少女」を見つける。
それは、この国の第一王女だった。
発現した魔法こそ未だ発展途上。
しかしその潜在魔力量は、他に類を見ないほど膨大であることが確認されていた。
教団は確信する。
彼女こそが、魔王復活の贄。
新たな楽園への扉を開く鍵だと。
そこで教団が目を付けたのは、浅ましい権力欲を隠そうともしない第二王子である。
第一王子が病に伏している今、姉である姫さえいなくなれば、王位は確実にあなたのもの――。
その甘言に、野心と劣等感を刺激された第二王子は、あっさりと教団の手に落ちた。
そして計画は、慎重に進められる。
姫に盛られたのは、強力だが致死には至らぬ毒。
身体の自由を奪い、城から運び出すための布石である。
だが、姫の潜在魔力はあまりにも強大だった。
もし何らかのきっかけで暴走でもすれば、すべてが水泡に帰す。
そこで教団は、さらに手を打つ。
毒の治療を名目に、魔力低下の呪いをかけたのだ。
潜在魔力そのものを抑え込み、魔力量を微々たるものへと落とす呪詛。
それもまた、成功した。
計画は順調だった。
すべては、聖典に記されたとおりに進んでいる。
あとは魔王復活の地である総本山へ、姫を連れ出すだけだった。
それで、すべてが完成するはずだった。
だが、その段になって幹部の一部が暴走する。
姫はすでに手中に落ちている。
ならば総本山まで運ばずとも、この王城で儀式を行い、魔王様を呼び出せるのではないか――。
焦燥と功名心が混じった、浅慮な判断だった。
彼らは独断で、姫の部屋にて復活の儀を強行する。
しかし儀式は失敗した。
いや、失敗というより未遂に終わったというべきか。
その動きを察知した騎士団長が、姫が狙われていると感づいたのだ。
儀式の途中で踏み込まれ、姫は騎士団長の手によって王城から連れ出されてしまった。
まさか、賄賂に屈しない者がいるとは。
王国の中枢はすでに買い取ったはずだった。
金と宝石を積めば、人は簡単に膝を折るものだと信じていた。
だが、その慢心を嘲笑うかのように、姫は逃げ延びた。
それでも、まだ致命的ではなかった。
姫は毒に侵され、呪いに縛られた身。
自力で動き回れる状態ではないはずだった。
遠からず捕らえ直せる――そう高を括っていた。
断続的に届く情報をもとに姫の居場所を割り出し、生け捕りにするべく刺客を放つ。
だが、姫の傍らにいるのは、腐っても王国騎士団長の肩書を持つ男だ。
実力も経験も本物だった。
送り込んだ刺客はことごとく返り討ちに遭い、誰一人として成果を持ち帰ることはなかった。
焦りが、じわじわと教祖の胸の内を侵食する。
魔王様復活の儀まで、残された時間はわずか。
次の満月までに、必ず姫を総本山へ連れてこなければならない。
聖典に記された刻限は変わらない。
――だというのに。
姫が動けるようになっているという。
姫が強大な魔法を使ったという。
そんな荒唐無稽な報告を口にする信徒が現れた。
馬鹿げている。
我らの総本山でしか採れないあの毒の解毒法は、我らしか知らぬはずだ。
あの呪いは今もなお姫にかけ続けている。
術式は途切れていない。
呪いは急激に悪化するものではないが、日を追うごとに確実に侵食していく類のものだ。
今も姫は、まとわりつく呪いに蝕まれ、床に臥せっていなければおかしい。
そんな姫が、まともに動けるはずがない。
魔王崇拝教団の教祖は、聖典――というにはあまりにも頁数の少ない一冊の書を手に取る。
鮮やかな装丁とは裏腹に、その内に記された真理は重い。
頁をめくる。
そこには、楽園で微笑む聖女たちの姿が、鮮やかな彩色で描かれていた。
苦痛も飢えも知らぬ、満ち足りた表情。
それは約束の未来。
選ばれし者のみが辿り着ける世界。
「必ずや……この楽園を我が手に――」
教祖の指先が、紙面を強く押さえる。
「そのために、必ず姫を捉えるのだ!」
◇
――遡ること数日前。
騎士と姫が洞窟へ逃げたあたりである。
我は、いつものように、ねっとりとまとわりつく気配を感じた。
「……ん」
またである。
あの、魔力というべきか電波というべきか。
静電気のような、不快にまとわりつく違和感。
これを感じるたび、途端にこの身体の調子が悪くなる気がする。
いい加減イライラが募るので、我の周囲に結界を張ってみた。
いつもの「我の周囲十メートル四方に、魔力、電波、静電気――というか、我が不快だと思う何かを弾く結界を張れ魔法」という、直接話法による魔法である。
この世界に存在するのか分からぬ魔法だ。
なので、張れるかどうか半信半疑だったが、普通に張れた。
我の世界の言葉で編まれる魔法は、存外に便利である。
実用的であることは認めよう。
ただし、派手さも威厳も欠片もない。
だから、まったく嬉しくはないのだが。
そして、結界を張ってからというもの、その奇妙な気配は遠のいた。
さすが、我が創りしオリジナル魔法。
とはいえ、完全に消えたわけではない。
少なくとも、我の感覚からは消えた。
だが今も、結界の外側にまとわりつき、じわじわと神経を逆なでしてくる。
だが、攻撃の兆しはない。
明確な害がない以上、今は無視するほかない。
これは何なのだろう。
まるで、どこぞから呪術でも送り込まれているかのような感覚だ――。
……いや。
我は呪術など信じていない。
魔法はかっこよくて良いが、呪術はなんかドロドロしていて怖い。
真夜中に神社の木に釘を打つなど、正気の沙汰とは思えん。
トイレに行けなくなったらどうする。
ともかく、結界のおかげで苛ついていた気持ちが落ち着いたのか、この体の調子もすこぶる良いのだ。
――かくして、我も教団も知らぬところで、
呪いの術式はとっくに効いていなかったのである。



