――追っ手だ。
張り詰めた気配が森の奥を走り抜け、我と騎士はほとんど同時に顔を上げる。
そして、追っ手が現れたであろう洞窟の外――その先へと鋭く視線を向けた。
「先行が五人……でしょうか。後方にさらに何人かいるようです」
即座に正解を叩き出す騎士の低い声に、無言で頷く。
やはり、この騎士はできる。
探知魔法が侵入者を知らせたとはいえ、即座に人数まで割り出すとは純粋に感心する。
背中を預けるに足る男――いや、もはや背を任せても不安のない存在だ。
「先行は任せる。我は後から来る遠距離攻撃者たちの対処をするとしよう」
我の言葉に頷き、騎士は即座に剣を抜き、洞窟を飛び出した。
剣を存分に振るえる開けた場所へ誘導するため、迷いなく駆けていく。
その颯爽と駆け抜けていく背を見送りながら、我は思う。
(傍から見ても、やはり格好いい。さすがはイケメンである)
だが、恋愛感情は――まあ、今のところない。
とはいえ、この騒動が終わったあとも共に来てくれるなら、これほど心強いことはないだろう。
そんなことを思いながら、娘の身体である我もすぐに後を追う。
騎士の速度に置いていかれぬよう、足元へ風魔法を纏わせ、軽やかに地を蹴る。
――いや待て。
そういえばこの娘、姫だったな。
姫ということは、そうそう自由に旅などできぬのではないか?
広間へ辿り着くと、敵はいつもより明らかに多かった。
やはり数で押してくるつもりらしい。
数で押し潰せると思っているのか、男どもはわずかな油断を滲ませていた。
その好機を逃さず、騎士は飛び出した勢いをそのまま剣に乗せ、最前の一人を横薙ぎに叩き斬る。
鋼が肉を断つ鈍い音が、森の静寂を裂くように響いた。
――騒動が終わったら旅に出て、魔法無双でもしようと考えておったが。
もしかして、姫という立場上、自由に旅をすること自体が難しいのではないか。
そんなことを考えている間にも、追っ手どもの魔法が次々と飛来する。
我は片手間に風で軌道を逸らしながら、騎士の後方、やや奥まった開けた場所に着地した。
――姫という立場に浮かれておったが、町娘の方がよかった……というオチではあるまいな。
期待していた異世界生活との落差に、思わず深いため息が漏れた。
そんな我の姿に気づいた追っ手の男たちが、飛び道具や魔法で一斉に狙ってくる。
我は飛び道具の軌道を風属性魔法で逸らし、軽やかに身をかわす。
さらに放たれた魔法には逆属性をぶつけ、相殺する。
我の魔法は脅威だが、大勢で遠距離攻撃をメインにして距離を取って戦っていれば、やられることもないと思っておるのだろう。
いずれ我が力尽き、攻撃できなくなった瞬間を狙っているのだな?
だが、そろそろ真面目に相手をしてやろう。
こちらから本拠地へ攻撃を仕掛けるためにも、騎士にもいい加減、知ってもらわねばなるまい。
――我が、すでに“完成”へ限りなく近づいているということを。
騎士が数人を相手取り、体勢を立て直すために後方へ飛び退いた、その一瞬。
それを見逃さず、手のひらを前へとかざす。
胸の奥で魔力が唸りを上げる。
そして、満を持して仰々しい詠唱を放つ。
「原初より在りし灼熱の理よ。
名もなき焔となりて降り注ぎ、
我が敵と定めし影のみを包め。
森を焼くことなく、
命ある邪を、ただ滅ぼせ。
禁忌解放――黙示焔界」
刹那。
「――つまり、敵だけ焼き払え魔法!」
もちろん、いつもの直接的すぎる命令文も忘れず付け足す。
詠唱が完結した、その瞬間。
我の足元から、淡く揺らめく炎が円環を描くように静かに広がった。
焔は爆ぜることも荒れ狂うこともなく、まるで意思を宿した生き物のように滑らかに地を這う。
開けた場所に立つ敵の影だけを、寸分の狂いなくなぞるように走り抜ける。
次の瞬間、炎は一斉に敵を包み込んだ。
悲鳴を上げる暇すらない。
断末魔すら許さぬ速さで、その存在を跡形もなく呑み込んでいく。
我が魔法を放ったことを知った騎士が、目の色を変えて駆け寄ってきた。
「フィオレ様……! あれほど魔法の行使は慎重にと申したではありませんか! これでは襲ってきた者も死んでしまいますし、何よりこの森が火事になってしまいます」
「よく見るのだ、騎士よ」
余裕を含んだ声で、騎士の視線を炎の先へと誘導する。
焔が触れたのは、あくまで「滅ぼすべきもの」だけだった。
周囲の草木は揺れただけで、焦げ跡ひとつ残らない。森の静寂は破られず、空気さえも澄んだままだ。
役目を終えた炎は、まるで最初から存在しなかったかのように、静かに霧散していく。
そこに残ったのは、わずかな焼け焦げの匂いだけ。
あとは、何事もなかったかのような静寂だけが残されていた。
我から放たれた炎は、魔力によって極限まで精密に制御されていた。
燃やすべきものだけを選び取り、それ以外には一切触れぬ、異質な焔。
まるで、我の意思そのものが焔へ宿っているかのようであった。
すべての刺客は、一瞬で消え失せた。
騎士はその威力と精度に言葉を失い、剣を握ったまま呆然と立ち尽くす。
「だから言ったであろう。上級魔法程度の威力なら放てると」
◇
「た、大変です! たった今入った報告によると、姫が大魔法使いのように強くなっているとのことです!」
山奥の教会にざわめきが走る。燭台の炎が揺れ、石造りの壁に不穏な影を映した。
その空気を、教祖が一喝する。
「何を馬鹿なことを! あの姫の魔法威力はそこまで高くないはずであろう。だが、魔力量は膨大だった。だからこそ魔王復活の生贄に選ばれたのではないか」
一段高く設えられた椅子から立ち上がり、教祖はうろたえる教徒たちを見下ろす。
その声音は威厳を保とうとしていたが、顔には隠しきれぬ焦燥が滲んでいた。
「ですが……上級魔法を使っているのを見たという報告も……。その上、姫の魔法で刺客が何人も殺されたと……」
その一言に、周囲の教徒たちがざわめく。
もしや、魔王として覚醒し始めたのではないか。
そんな憶測が波紋のように広がり、ざわめきは次第に大きくなっていく。
教祖は再び声を張り上げた。
「儀式もせずに魔王復活などあり得ぬ! 大体、あの心優しい姫が人を殺せるわけがない。何かのトリックでも見せられたのであろう。この程度で狼狽してどうするのじゃ!」
信じられない。信じたくない。
その感情を押し隠すこともできぬまま、教祖は怒声で教徒たちを抑え込もうとする。
次の満月まで、残された時間はわずか。
ざわめきが収まらぬ中、教祖の顔にも焦りが浮かぶ。
その心を鎮めるように、祭壇へと歩み寄り、そこに置かれた聖典へと両手を伸ばした。
鮮やかな彩色が施された表紙は、闇の中でもなお妖しく艶めいている。
まるで、それ自体がひとつの完成された世界であるかのように。
教徒たちの視線が、聖典へと一斉に集まる。
そこに、余計な頁は存在しない。
選ばれし言葉のみを収めた、清冽にして神聖なる書。
指先でそっと頁をめくる。
紙は驚くほど滑らかに、音もなく開かれた。
その静寂に、ざわめきが吸い込まれていく。
そこに描かれた楽園の図。
壊れた世界の、その先。
燃え落ちた廃都の向こうに広がる、光満ちる大地。
しかも、煌めくように色鮮やかな表紙に、指通りの滑らかな上質の紙。
本文には、きめ細かく繊細な絵と、解読不能の神秘的な文字が並んでいる。
どこからどう見ても、これは神の手によって作られた書物。
教祖の呼吸が、ゆっくりと整っていく。
先ほどまで揺らいでいた胸の奥が、嘘のように凪いだ。
やがて教祖は、再び椅子へと腰を下ろす。
「聖典は揺らがぬ」
その声には、もはや焦燥はなかった。
ゆっくりと、微笑みが浮かぶ。
この世界は、壊れねばならない。
壊してこそ――約束された楽園は訪れるのだ。
――あの姫さえ手に入れば。
張り詰めた気配が森の奥を走り抜け、我と騎士はほとんど同時に顔を上げる。
そして、追っ手が現れたであろう洞窟の外――その先へと鋭く視線を向けた。
「先行が五人……でしょうか。後方にさらに何人かいるようです」
即座に正解を叩き出す騎士の低い声に、無言で頷く。
やはり、この騎士はできる。
探知魔法が侵入者を知らせたとはいえ、即座に人数まで割り出すとは純粋に感心する。
背中を預けるに足る男――いや、もはや背を任せても不安のない存在だ。
「先行は任せる。我は後から来る遠距離攻撃者たちの対処をするとしよう」
我の言葉に頷き、騎士は即座に剣を抜き、洞窟を飛び出した。
剣を存分に振るえる開けた場所へ誘導するため、迷いなく駆けていく。
その颯爽と駆け抜けていく背を見送りながら、我は思う。
(傍から見ても、やはり格好いい。さすがはイケメンである)
だが、恋愛感情は――まあ、今のところない。
とはいえ、この騒動が終わったあとも共に来てくれるなら、これほど心強いことはないだろう。
そんなことを思いながら、娘の身体である我もすぐに後を追う。
騎士の速度に置いていかれぬよう、足元へ風魔法を纏わせ、軽やかに地を蹴る。
――いや待て。
そういえばこの娘、姫だったな。
姫ということは、そうそう自由に旅などできぬのではないか?
広間へ辿り着くと、敵はいつもより明らかに多かった。
やはり数で押してくるつもりらしい。
数で押し潰せると思っているのか、男どもはわずかな油断を滲ませていた。
その好機を逃さず、騎士は飛び出した勢いをそのまま剣に乗せ、最前の一人を横薙ぎに叩き斬る。
鋼が肉を断つ鈍い音が、森の静寂を裂くように響いた。
――騒動が終わったら旅に出て、魔法無双でもしようと考えておったが。
もしかして、姫という立場上、自由に旅をすること自体が難しいのではないか。
そんなことを考えている間にも、追っ手どもの魔法が次々と飛来する。
我は片手間に風で軌道を逸らしながら、騎士の後方、やや奥まった開けた場所に着地した。
――姫という立場に浮かれておったが、町娘の方がよかった……というオチではあるまいな。
期待していた異世界生活との落差に、思わず深いため息が漏れた。
そんな我の姿に気づいた追っ手の男たちが、飛び道具や魔法で一斉に狙ってくる。
我は飛び道具の軌道を風属性魔法で逸らし、軽やかに身をかわす。
さらに放たれた魔法には逆属性をぶつけ、相殺する。
我の魔法は脅威だが、大勢で遠距離攻撃をメインにして距離を取って戦っていれば、やられることもないと思っておるのだろう。
いずれ我が力尽き、攻撃できなくなった瞬間を狙っているのだな?
だが、そろそろ真面目に相手をしてやろう。
こちらから本拠地へ攻撃を仕掛けるためにも、騎士にもいい加減、知ってもらわねばなるまい。
――我が、すでに“完成”へ限りなく近づいているということを。
騎士が数人を相手取り、体勢を立て直すために後方へ飛び退いた、その一瞬。
それを見逃さず、手のひらを前へとかざす。
胸の奥で魔力が唸りを上げる。
そして、満を持して仰々しい詠唱を放つ。
「原初より在りし灼熱の理よ。
名もなき焔となりて降り注ぎ、
我が敵と定めし影のみを包め。
森を焼くことなく、
命ある邪を、ただ滅ぼせ。
禁忌解放――黙示焔界」
刹那。
「――つまり、敵だけ焼き払え魔法!」
もちろん、いつもの直接的すぎる命令文も忘れず付け足す。
詠唱が完結した、その瞬間。
我の足元から、淡く揺らめく炎が円環を描くように静かに広がった。
焔は爆ぜることも荒れ狂うこともなく、まるで意思を宿した生き物のように滑らかに地を這う。
開けた場所に立つ敵の影だけを、寸分の狂いなくなぞるように走り抜ける。
次の瞬間、炎は一斉に敵を包み込んだ。
悲鳴を上げる暇すらない。
断末魔すら許さぬ速さで、その存在を跡形もなく呑み込んでいく。
我が魔法を放ったことを知った騎士が、目の色を変えて駆け寄ってきた。
「フィオレ様……! あれほど魔法の行使は慎重にと申したではありませんか! これでは襲ってきた者も死んでしまいますし、何よりこの森が火事になってしまいます」
「よく見るのだ、騎士よ」
余裕を含んだ声で、騎士の視線を炎の先へと誘導する。
焔が触れたのは、あくまで「滅ぼすべきもの」だけだった。
周囲の草木は揺れただけで、焦げ跡ひとつ残らない。森の静寂は破られず、空気さえも澄んだままだ。
役目を終えた炎は、まるで最初から存在しなかったかのように、静かに霧散していく。
そこに残ったのは、わずかな焼け焦げの匂いだけ。
あとは、何事もなかったかのような静寂だけが残されていた。
我から放たれた炎は、魔力によって極限まで精密に制御されていた。
燃やすべきものだけを選び取り、それ以外には一切触れぬ、異質な焔。
まるで、我の意思そのものが焔へ宿っているかのようであった。
すべての刺客は、一瞬で消え失せた。
騎士はその威力と精度に言葉を失い、剣を握ったまま呆然と立ち尽くす。
「だから言ったであろう。上級魔法程度の威力なら放てると」
◇
「た、大変です! たった今入った報告によると、姫が大魔法使いのように強くなっているとのことです!」
山奥の教会にざわめきが走る。燭台の炎が揺れ、石造りの壁に不穏な影を映した。
その空気を、教祖が一喝する。
「何を馬鹿なことを! あの姫の魔法威力はそこまで高くないはずであろう。だが、魔力量は膨大だった。だからこそ魔王復活の生贄に選ばれたのではないか」
一段高く設えられた椅子から立ち上がり、教祖はうろたえる教徒たちを見下ろす。
その声音は威厳を保とうとしていたが、顔には隠しきれぬ焦燥が滲んでいた。
「ですが……上級魔法を使っているのを見たという報告も……。その上、姫の魔法で刺客が何人も殺されたと……」
その一言に、周囲の教徒たちがざわめく。
もしや、魔王として覚醒し始めたのではないか。
そんな憶測が波紋のように広がり、ざわめきは次第に大きくなっていく。
教祖は再び声を張り上げた。
「儀式もせずに魔王復活などあり得ぬ! 大体、あの心優しい姫が人を殺せるわけがない。何かのトリックでも見せられたのであろう。この程度で狼狽してどうするのじゃ!」
信じられない。信じたくない。
その感情を押し隠すこともできぬまま、教祖は怒声で教徒たちを抑え込もうとする。
次の満月まで、残された時間はわずか。
ざわめきが収まらぬ中、教祖の顔にも焦りが浮かぶ。
その心を鎮めるように、祭壇へと歩み寄り、そこに置かれた聖典へと両手を伸ばした。
鮮やかな彩色が施された表紙は、闇の中でもなお妖しく艶めいている。
まるで、それ自体がひとつの完成された世界であるかのように。
教徒たちの視線が、聖典へと一斉に集まる。
そこに、余計な頁は存在しない。
選ばれし言葉のみを収めた、清冽にして神聖なる書。
指先でそっと頁をめくる。
紙は驚くほど滑らかに、音もなく開かれた。
その静寂に、ざわめきが吸い込まれていく。
そこに描かれた楽園の図。
壊れた世界の、その先。
燃え落ちた廃都の向こうに広がる、光満ちる大地。
しかも、煌めくように色鮮やかな表紙に、指通りの滑らかな上質の紙。
本文には、きめ細かく繊細な絵と、解読不能の神秘的な文字が並んでいる。
どこからどう見ても、これは神の手によって作られた書物。
教祖の呼吸が、ゆっくりと整っていく。
先ほどまで揺らいでいた胸の奥が、嘘のように凪いだ。
やがて教祖は、再び椅子へと腰を下ろす。
「聖典は揺らがぬ」
その声には、もはや焦燥はなかった。
ゆっくりと、微笑みが浮かぶ。
この世界は、壊れねばならない。
壊してこそ――約束された楽園は訪れるのだ。
――あの姫さえ手に入れば。



