我、町娘に転生したと思ったら逃亡中の姫だと?魔王復活より騎士との逃避行が気になりすぎる!

「――はっ!」

 ベッドで勢いよく目を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは、見覚えのない天井だった。

 ――ここは、どこだ?

 目だけで周囲を見回してみても、いつも見慣れているフィギュアや小説、漫画、薄い本などが散乱している様子はない。
 どう見ても、自分の部屋ではない。

 昨日もいつも通り、日中に買い込んだ好物の転生ものラノベや漫画を読み漁り、深夜アニメをリアルタイムで視聴してSNSに感想を呟き、そのまま朝方までネトゲを嗜んでいたはずなのだが――。

 怪訝に思いながらも、ゆっくりと周囲へ視線を巡らせる。

 室内は主に木材で造られており、年季は入っているが、壁も床も梁もどこか温もりを帯びた素朴な色合いだ。
 テーブルも椅子も、いま身を預けているベッドでさえ、飾り気のない木製に見える。
 
 いわゆる中世から近世のヨーロッパ様式。
 そんな言葉が自然と頭に浮かんだ。

 ――いやいや、そんな馬鹿な。

 思わず、乾いた笑いを漏らしながら、心の中でツッコミを入れる。
 
 状況を把握しようと必死に思考を巡らせる。
 だが、覚えのないこの場所にも、ここへ至るまでの記憶にも、まったく心当たりがない。
 その事実だけが、じわじわと恐怖を呼び起こす。

 ――何故、我はこんな所にいるのだ?

 背中に冷たいものを感じながら、ふと、ベッド脇の小さなサイドテーブルに置かれた鞄に気づいた。
 その留め具に、わずかな違和感を覚える。

 ――これは、なんだ?

 そこには、小さく光る石が嵌め込まれていた。
 まるで生きているかのように、淡い光が静かに揺らめいている。

 ――見たことのない光り方だ。

 まるで呼吸をしているかのような、あるいは生命そのものを宿しているかのような、不思議と目を奪われる光だった。

 思わず、その石へと手を伸ばす。

「……?」

 腕を持ち上げた瞬間、妙な倦怠感を感じた。やけに重い。

 戸惑いを覚えながらも、気になった留め具へ向けて、ゆっくりと指先を伸ばす。
 そして、その光る石にそっと触れた。

「……!」

 その途端――石を中心に、淡い光の円がふわりと広がる。

 円の縁には、見たこともない文字のような文様が浮かび上がっていた。
 さらにその内側には、複雑に絡み合った幾何学模様――いや、何かの紋章にも見える魔法陣が現れる。
 それらはゆっくりと回転しながら、ひときわ強い光を放っていた。

 そして、カチリという小さな音とともに、すべての光がふっと掻き消えた。

 先ほどまで脈打つように光っていた石は、今ではすっかりおとなしくなっている。
 そこにあるのは、ただの装飾品にしか見えなかった。

 ――今のは、いったい何だったのか。

 鞄をよく見ると、鍵が開いていた。

 ……つまり、自分にしかこの鞄を開けられないよう、何らかの細工が施されていたということだろうか。

 だが、あの光った石は機械式ではない。
 見たこともない文様まで空中に浮かび上がったのだ。

 そこから推測するに――あれは。

 首筋にぞわりとしたものが走る。
 思わず、口の端が上がる。

 ――今のは、“魔法石”や“魔石”と呼ばれる類のものではないのか。
 つまり――この世界の魔法。

 この世界では、指紋認証ならぬ魔力認証で鍵の開け閉めをするという訳か。

 また、浮かび上がった魔法陣のような奇妙な紋章にも、心が躍る。

 ――見たこともない魔法のある世界。

 だとすると、ここはヨーロッパではなく、ナーロッパ――といったほうが通じるのではないか?

 その言葉が脳裏をよぎった瞬間、胸の奥がじわりと熱を帯びる。
 まるで胸の奥へ火種を落とされたかのように、静かに、しかし確かに高揚が広がっていった。

 鼓動が、わずかに早まる。

 ――落ち着け。まだ決まったわけではない。

 今の段階では、ここがそのような物語の世界だと確信するには至らない。
 浮き立ちかけた心を、意識して押さえ込む。

 気持ちを落ち着けるように、改めて周囲へと視線を巡らせた。

 部屋には、自分が寝ていたベッドのほかに、窓を挟んだ反対側にも、もう一つ簡易的なベッドが置かれている。
 生活感はあるが、どこか仮住まいのような空気が漂っている。

 察するに――ここは宿屋だろうか。

 ということは、ベッドが二つある時点で、この部屋は自分ひとりのものではない。
 自分以外の誰かも、ここを使っている可能性があるということになる。

 しかし、部屋を見渡しても、他人の気配も荷物らしきものも、どこにも見当たらない。

 どうやら、いまこの場にいるのは、自分ひとりらしい。

 ひとまずの安全を確認し、息をひとつ整える。
 それから、ゆっくりと上半身を起こした。

 その瞬間、身体にずしりとした重みがのしかかった。

「……っ」

 上半身を起こしただけで、息が上がった。
 喉の奥から、熱を帯びた吐息がこぼれ落ちる。
 力を込めようとしても、どこか感覚が鈍く、身体が言うことをきかない。

 先ほども感じた、この異様な重さ……。

 まるで熱に浮かされたときのような、全身を覆う倦怠感。

 ひどい風邪でもひいたのだろうか。
 だが、そんな覚えはまったくないのだが……。
 
 それでも、わずかに残った気力を振り絞り、どうにか身体を起こしきる。

 すると、肩へさらりと何かが触れた。

 かすかな違和感に、視線が引き寄せられる。
 視界の端で揺れたのは――光り輝く金の色。

 窓からの光を受けて、やわらかく揺れるそれに、思わず息を呑む。

 ――これは、金髪! 紛れもなく金髪!

 胸元まで伸びた髪が、きらめきを帯びてやわらかく揺れる。
 指先で触れずともわかる。
 細く、しなやかで、今まで見慣れていた自分の髪とは、明らかに異なっていた。

 その事実を認識した瞬間、胸の奥から抑えきれない熱が込み上げてくる。

「これは……全体を確かめなければならな――」
 
 自分の発した声に、思わず息を呑む。
 明らかに自分が記憶している声とは違う。
 少し高めの、甘い声色。まるで鈴を転がしたような、透き通った音だった。

 ごくり、と喉が鳴る。

 よもや――本当に、そうなのか?

 期待を胸に、荒くなりかけた呼吸を必死に抑えながら、さらに確かな情報を求める。

 重たい身体をどうにか引き起こし、よろよろとベッドから立ち上がる。
 だが、足元はおぼつかず、今にも崩れ落ちそうだった。
 それでも、壁に掛けられた鏡へと、ゆっくりと歩みを進める。

 そうして――ようやく鏡の前へと辿り着く。
 恐る恐る覗き込み、その中に映る人物――自分の姿を確認した。

 そこに映っていたのは――

 一人の可憐な少女だった。

 幼さをわずかに残しながらも、整った顔立ち。
 胸元まで届く長めのストレートヘア。
 毛先にかけてやわらかなカーブを描く、艶やかなセミロングの金髪。

 カーテンの切れ目から射し込む光を受けて、髪は淡く輝いている。
 その一本一本が、まるで絹糸のように繊細で、現実離れした美しさを湛えていた。

 そして、この顔立ちに似合う、ぱっちりとした瞳。
 その瞳には、新緑を閉じ込めたような、淡く澄んだ翠が宿っていた。

 見慣れた自分の面影など、どこにもない。

 ――この姿! 確実に金髪碧眼の美少女ではないか!

 理解が現実に追いついた瞬間、胸の奥で膨れ上がっていた歓喜が、一気に弾けた。

 拳をぎゅっと握りしめ、思いきりガッツポーズを決める。

「きた……! きたぞ……! 異世界転生、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」

 ――と、脳内で盛大なファンファーレを鳴らした、その直後だった。
 視界が急激にぐにゃりと歪む。

 異世界への興奮は、この身体が抱える「致命的な異常」を、ほんの一瞬だけ忘れさせてくれていただけだったのだ。