〜摂食障害という名の、透明な檻に閉じ込められて~

それからニヶ月が経った。

楓の食事量は目に見えて減り、体重は落ちていった。

ある朝、着替えながら鏡を見た楓は、自分の体が以前より一回り小さくなっていることに気づく。

「なんか、すっごく痩せて細くなった気がするー! やったー!」

あばら骨がうっすら浮き出たお腹をさすりながら、楓はひそかな達成感に浸っていた。

これで誰からも「太い」なんて言われない。

そう信じ込んでいた。

(ほら、見てよ。あのSNSの人にも見せてやりたい。今の私はこんなに細い。クラスのみんなだって、きっと私のこと『スタイルが良くて羨ましい』って思ってるはず!)

しかし、母親の目はごまかせなかった。

頬がこけ、痛々しいほどに細くなった娘の姿に、母親は強い危機感を抱いていた。

「あの子、なんだか最近細すぎない……?」

父親と声をひそめて相談した母親は、意を決してリビングにいる楓に歩み寄った。

「楓、ちょっといい? お父さんとも今話してたんだけどね」

「んー? なあに、お母さん。これから学校の準備あるんだけど」

「あのね、最近の楓を見ていると、本当にご飯を食べていないし、顔色も悪くて……」

「またその話? ちゃんと食べてるって言ってるじゃん!」

「食べてないわよ! スープを二口三口すするだけで、あとは全部残してるじゃない!」

母親の引きつった笑顔と震える声に、楓はうんざりしたように首を振った。

「楓。あなた最近、また一段と食べなくなってるけど……。一度、病院に行こう。ね?」

「大丈夫だよ、ママ心配しすぎだってば!」

「でも、本当に心配なの。一応診てもらいましょ」

「もー、ママ心配しすぎー!」

楓は笑って見せたが、その笑顔にはかつての活発さはなく、どこか痛々しさが漂っていた。

「心配しすぎじゃないわ! あなた、自分が今どんな姿をしてるか分かってるの!? 腕なんて骨と皮だけじゃない!」

「ひどいな、せっかくダイエット頑張って綺麗になったのに! ママは私がデブのままでいてほしかったの!?」

「そんなわけないでしょ! 綺麗とかそういうレベルじゃないの、命に関わるかもしれないから言ってるのよ!」

「うるさい! 私の体のことは私が一番よく分かってる! 病院なんて絶対に行かないからね!」

激しい拒絶の言葉を叩きつけ、楓はリビングのドアを乱暴に閉めて飛び出した。

自室の鏡の前に、楓は立ち尽くしていた。荒い呼吸のせいで、浮き出たあばら骨が激しく上下する。

母親から「骨と皮だけ」「異常だ」と言われた言葉が、頭の中で鋭い刃物となって渦巻いていた。

(なんで? みんな私を邪魔するの? せっかく『太い』って言われない体に近づけたのに、どうして今度は『細すぎる』って怒るのよ……!)

鏡を凝視する。

しかし、不思議なことに、楓の目に映る自分の太ももや二の腕は、まだ不気味なほど「太く」見えていた。

(嘘だ、ママの言うことなんて嘘。だって、鏡の中の私はまだこんなに肉がついている。お腹だって、力を抜いたらぽっこり出ちゃう。まだ足りない、まだ太いよ……。今病院なんて行ったら、無理やりご飯を食べさせられて、またあの醜い姿に逆戻りさせられちゃう!)

恐怖で全身の毛穴が逆立つような感覚だった。

数字の上では確実に体重が減っている。

服のサイズも合わなくなっている。

それなのに、自分の脳と目が、目の前の現実を歪めて認識してしまう恐怖。

どれだけ体重を減らしても、どれだけ食べたい欲求を殺しても、鏡の中の自分はいつまでも「太った醜い化け物」のまま。

ゴールがどこにあるのか、もう誰にも分からない。

(私はただ、みんなに『可愛い』って認められたかっただけなのに……。

なんでこんなに苦しくて、毎日体が重くて、頭が痛くて……何のために頑張ってるのか、もう分かんなくなっちゃったよ……)

枯れ木のように細くなった自分の腕を、楓は爪が食い込むほど強くかきむしった。

救いのない迷路に迷い込んだような絶望感。

正常な判断力を失った彼女の心は、自分の体を削ることでしか安心を得られない、深い病みの底へと沈み続けていた。